ライアン・ガンダー この翼は飛ぶためのものではない | れぽれろのブログ

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少し前になりますが、5月6日の土曜日、ゴールデンウィークも終盤に差し掛かった日、国立国際美術館に行ってきた感想を残しておきます。
目的は「ライアン・ガンダー この翼は飛ぶためのものではない」と題された展覧会です。
5月は旅行や演奏会など、残しておきたい記事がたくさんありましたので、ガンダー展のまとめは後回しになっており、ずいぶんアップが遅くなりました。
時系列が入り乱れるブログですが、ご容赦のほどを。


ライアン・ガンダーは現代イギリスのアーティストで、主としてコンセプチュアルアートを制作されている方です。
オランダに学んだあと、2000年代前半より作品を制作されています。
1976年生まれなので、自分より2歳年上です。
同時代&同年代の作家の特集展示を、作品制作からあまり時代が経過していない段階で鑑賞できるという経験はなかなか少なく、興味深く鑑賞しました。

作品はインスタレーションが中心。
写真、映像、絵画的なもの、彫刻的なもの、レディメイド的なものなど、何でもありの展示になっていました。
作家により様々な情報が提示され、その情報と情報が事後的に意味的なつながりを持つことを期待する、といった趣旨で製作されたような作品であり、感想は鑑賞者により千差万別になると思われます。
意味を喚起する情報をいかにして提供するかということが、おそらく作家の目的。
非常に現代的な作家であると感じます。


展示される作品数は多く、統一的に感想を述べることはなかなか難しいですが、以下、いくつかの作品について覚書を残しておきます。
写真撮影OKの展覧会ですので写真を撮ればよかったのですが、鑑賞に集中していたので写真はありません。
少しわかりにくいですがご容赦のほどを。
( )内は制作年です。


・アンパーサンド (2012)

会場の壁に一般的な絵画程度の大きさの四角い枠が設けられ、その枠の向こうにコンベアが設置されています。
そのコンベアに乗って様々なものが運ばれてきます。
運ばれてくるものは一般的な意味での作品ではなく、鞄などのレディメイドです。
鑑賞者は次々と運ばれてくるものを、四角い枠とセットで絵画のように鑑賞し、その提示されるものともののつながりから、想像力を膨らませることができる、という趣旨の作品。
ガンダー展全体を代表するような作品です。


・最高傑作 (2013)

壁に目と眉毛が設置されている作品。
目と眉の形状は漫画的でコミカルです。
センサーが来場者の動きに反応し、それに伴い眼球と眉毛と瞼が動きます。
様々な表情を見せながら、来場者や会場を観察し続ける顔。
作品を鑑賞しに来たのに鑑賞されている感じがし、見にきたのに見られているという居心地の悪さを感じさせる作品です。
しかし、作品の表情に可愛げがあるので、どこか憎めない感じがします。


・あの最高傑作の女性版 (2016)

文字通り上記の「最高傑作」の女性版です。
まつ毛が長く、やや瞳が切れ長に見えるような構造になっています。
瞼があまり大きく動かないので、三白眼風の表情になることが多く、「最高傑作」より侮蔑的な表情になりがちで、より居心地が悪い感じがします(笑)。


・ひゅん、ひゅん、ひゅうん、ひゅっ、ひゅうううん、
 あるいは同時代的行為の発生の現象的表象と、
 斜線の動的様相についてのテオとピエトによる論争の物質的図解と、
 映画の100シーンのためのクロマキー合成の試作の3つの間に (2010)

やたらと長いタイトルです。
展示スペースも大きく、大々的なインスタレーション作品です。
黒い矢が会場所せましと突き立てられているます。
ある方向から大量の矢が放たれた、という感じ。
単に矢が刺さっているというより、今まさに矢が飛んできたかのような臨場感のある配置になっています。
鑑賞者は背後から攻撃されているかのような居心地の悪さを感じます。
作品はかなり動的な印象を受けますが、同時に映画の1シーンのような、どこか作り物めいた感じもあります。
また、黒くて細いものが規則的に、ときに不規則的に並んでいる様子は、色と形(線)の表情の面白さをも感じられます。
タイトルとの関連での概念的な面白さよりも、造形的な美術作品として面白く、心地よいものになっています。


・主観と感情による作劇 (2016)

本展で一番面白かった作品です。
膨大な数の玩具の人形が一列に並んでいます。
レゴブロックに登場する人形に近く、それより少し大きいものを想像して頂けるとよいと思います。
人形は頭部・顔・胴体・足が分離できる構造らしく、様々な組み合わせの身体が、様々なアイテムを持っています。
各人形は、過去の歴史:バキング時代や中世時代の服装、現代の様々な職業や地域別の服装、未来(?)の宇宙の装いなど、様々な格好をしていますが、これらの頭部・顔・胴体・足・アイテムが人形ごとにバラバラに組み合わされています。
パッと見るだけでは各人形のパーツはあまり違和感ないように組み合わされていますが、よくよく観察するとどこか違和感があります。
服装の上下に違和感があったり、歴史上の衣装を着ながら現代のアイテムを持っていたり、女性なのに男性っぽい服装だったり(あるいはその逆)、それぞれの衣装・アイテムの人物から様々な物語を読みだせる展示になっています。
幼いころレゴブロックで遊んだことがある人なら分かるかもしれませんが、異なるシリーズのレゴ人形を組み合わせる、例えば騎士シリーズのレゴ人形に宇宙シリーズ用の銃を持たせたりするような、あの感じを想像して頂ければよいと思います。
一体一体の人形からむやみに多くの物語を想像させられ、ずっと見てても飽きない楽しさのある作品です。


・5歳の時に知っていた何度も崩壊し拡張した世界 (2008)

黒い紙に無数の穴が開けられているだけの作品で、それが夜空に浮かぶ星座のように見える、というシンプルな作品です。
紙にパンチで開けた穴が並んでいる感じを想像して頂けるとよいと思います。
平面的で絵画的な作品で、抽象画のようにも見えます。
コメントによると、作家が5歳のときの夜空の星の配置を再現したものらしいですが、抽象度が高いため、じっと見ていると何やら違うものにも見えてきます。


・何かを描こうとしていたまさにその時に

 僕のテーブルから床に滑り落ちた一枚の紙 (2008)

透明の球体の中に薄い紙を閉じ込めた作品。
この球体が、会場の床に100個近く転がっているというインスタレーション作品です。
紙の様子は作品タイトルの通り。

舞い落ちる紙の様子は一瞬の儚さを感じさせます。
本展で最も綺麗で刹那的な情感を呼び起こさせる、分かりやすく心地よい作品になっていました。


さて、会場では制作風景の映像も合わせて上映されていました。
これがなかなか面白かったです。
ガンダーは足が不自由なのか、車椅子に乗っています。
作品のアイデアは、写真で撮影したアイデアの断片を、紙の写真の形で分類別にまとめてられています。
作品制作はチームで行っているようです。
昔風の言い方でいうと、工房作品のようなものを想像すると良いかもしれません。
1作家1作品といった19世紀的な作品感ではなく、共同作業で制作した作品を効率的に仕上げ、今日的なアートワールドに売り込んでいく様子が映像から分かります。
ここにあるのは、アイデアとそれを形にするシステム化された共同作業です。
この映像から感じられることは、アートを制作することと工業製品を生産することはほとんど同じであるということです。
工業製品には量産化というプロセスがあり(これが難しい)ますが、それを除けばアートも工業製品も同じあるということが印象付けられます。


その他考えたこと。

同時代の美術作品を前提情報ないまま整理して受け止めることは、なかなか難しいです。
例えば、過去のザ・プレイ展や工藤哲巳展等なら、過去の歴史や時代の潮流を既に知っているので、その文脈で鑑賞できるため割と理解しやすく、作品の面白さも伝わりやすいです。
しかし少なくとも自分は、イギリスの同時代の状況が全く分かりません。
作品をどのように受け止めればよいか、自分なりの文脈を見つけにくい。
展示内容が多岐にわたるため散漫な印象を受けましたが、これは文脈が分からない故に統一的な感想を抱けないという受け手側の問題なのかもしれません。
20年くらい経過し、10年代のイギリスという時代がある程度歴史化されると、ガンダーの作品はもっと面白く鑑賞できるのかもしれません。
逆に言うと、文脈なしで眼前の現象をそのまま享受できるという楽しさがあり(実際本展はかなり楽しかった)このあたりが同時代の作家を鑑賞することの面白さなのかもしれません。
放っておくとアートは忘却されますので、数十年後も鑑賞できるように保存と記録が必要。
このあたりに美術館の必要性と価値があります。


さて、地下2Fの常設展。

今回は国立国際美術館の所蔵品をただ陳列しただけではなく、ガンダーが作品をチョイスしたとのことです。
ガンダーは異なる2作品をセットで選定したとのことで、このチョイスが面白いです。
いきなりバゼリッツの「ケーニッヒ夫妻の肖像」の逆さまになった2人と、ジョージ・シーガルの「煉瓦の壁」の歩く人の2人が対比されています。
国際美術館ファンなら何度も見た作品たちが、ペアになることにより面白みを増すという、国際美術館ファン必見の展示です。

ウォーカー・エヴァンズのニューオーリンズとトーマス・シュトゥルートの新宿が並び、ピカソの道化師&子供とマルレーネ・デュマスの老人&孫が並び、ヨーゼフ・ボイスのレモンと島袋道浩のトマトが並ぶ。
これは楽しい・・・笑。
東松照明のタマゴを持った左手の写真と、ミケランジェロ・ピストレットのタマゴを持った右手は、ちょうど左右対称。
ようこんなん見つけてきたな、という面白さです。

似たもの同士の組み合わせだけではなく、フランク・ステラのカラフルな作品の横にジョセフ・コスースの色について解説する作品を並べたり、ルーチョ・フォンタナの切り裂かれたカンバスの前に深見陶治の巨大なナイフを置いてみたりと、様々な組み合わせの妙を楽しむことのできる展示になっていました。
国際美術館ファンはニヤニヤできること請け合い。
ご興味のある方はこちらも合わせて鑑賞のほどを。