映画 ナッシュビル | れぽれろのブログ

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また最近見た映画の記事を。
ロバート・アルトマンの1975年の映画「ナッシュビル」を鑑賞し、これが非常に面白かったので、感想などを記事化しておきたいと思います。


アルトマン監督の作品のうち、自分は過去に「M★A★S★H」「ザ・プレイヤー」「ショート・カッツ」「クッキー・フォーチュン」「ゴスフォード・パーク」を鑑賞しています。
とくに自分は「ショート・カッツ」が好きで、20人余りの登場人物のカットが次々と入れ替わる作風は映像的快楽に溢れ、お気に入りの作品となっています。
「ナッシュビル」は「ショート・カッツ」より古い作品で、名作と言われながら長らくソフト化されていませんでしたが、5年ほど前にリバイバル上映と共にDVD化され、見よう見ようと思いつつ見ていなかった作品です。
今回たまたまdTVにてストリーミングで公開されていましたので、ようやく鑑賞することになりました。
「ショート・カッツ」に比べるとひょっとしたら見劣りするのでは、などと思いながら鑑賞したましたが、全然そんなことはなく、やたらと面白い作品で、個人的お気に入り映画になりました。

 


「ナッシュビル」は総勢24人の登場人物が織りなす群像劇で、「ショート・カッツ」の元となったと言われる作品。
2時間40分の長丁場の中、誰が主人公と言うこともなく、24人の登場人物の5日間が淡々と描かれていく作品です。
舞台はアメリカ南部テネシー州の州都ナッシュビル。
撮影は1974年、劇場公開は1975年、映画の中の時代設定は1976年の夏となっています。
アメリカ合衆国の独立が1776年のため、この年は独立200周年のメモリアルイヤーであると同時に大統領選挙の年でもあり、映画の中の多くの場面で大統領立候補者の選挙カーが登場し、演説を繰り返します。
時代背景としては、63年にケネディ大統領が暗殺され、後継のジョンソンがベトナム戦争を開始、68年の大統領選挙中にはロバート・ケネディの暗殺が起こり、このときに大統領となったニクソンは72年に再選されますが、74年にウォーターゲート事件で辞任(ちょうどこの映画の撮影中の辞任だったのだとか)、この映画の後の80年にはレーガン大統領も暗殺未遂に遭っています。
経済成長が続いた黄金の50年代はもう遠い昔、60年代以降は政治的な混迷が続く時代であると同時に、豊かになったはずなのにこれは何なんだという期待外れ感もあってか、独立200周年のメモリアルイヤーであるはずなのに、映画の中ではしらけ切った雰囲気が支配的です。
このような背景の中、24人の登場人物のドラマの断片が映し出されていきます。


主要登場人物24人の多くは音楽関係者です。
ミュージシャンたち、及びその家族・顧問弁護士・運転手などの関係者、歌手志望のミュージシャンのたまご、熱心なファン、ミュージシャンを追いかけるレポーターなどが登場、そして彼らに大統領選挙キャンペーンの主催者が絡んでいきます。
映画は冒頭のレコーディングシーンの後、ロニー・ブレイクリー演じる女性人気歌手バーバラ・ジーンが飛行機に乗って空港に到着するシーンに始まり、このシーン及び次の事故渋滞のシーンで総勢24人中一気に23人が登場、以降各人物の5日間の軌跡を描きつつ、物語5日目の大統領選挙キャンペーンのシーンに繋がって行きます。
各人各様が様々な思いを秘めつつやってくる大統領選挙キャンペーンで果たして何が起こるのか、というのがこの映画の主要プロットです。

 


「ナッシュビル」の面白さ。
1つは映像の快楽です。
この映画はストーリー性は希薄です。
一応各登場人物の様々な思いや動機は断片的に描かれますが説明的ではなく、人物が物語を駆動していくという雰囲気はありません。
映画の終盤にはある事件が発生しますが、その事件の理由も全く説明的ではありません。
ストーリー性のある映画を期待して鑑賞すると、この映画はおそらく期待外れに終わります。
その代り各場面には緻密な状況設定があり、その場面の中で多数の登場人物のセリフと動きがあり、それをカメラとマイクがドキュメンタリー風に捉えていき、独特の映像を構成するというところがこの映画の面白いところです。
監督のインタビューなどを参照すると、この映画の撮影方法はおそらく以下のような感じ。
各シーンごとに撮影場所を決め、そこに登場させる人物を決め、人物には大まかな動きと状況設定のみを与え、セリフは明確な台本はなくアドリブが主体、エキストラも含め大人数がめいめいに動き会話する中、複数のカメラとマイクがそれを捉え、それらがリズムよく繋がるように後で編集する、といた感じで製作されているようです。


このような映像はある種実験的であるとも言え、一般的な映画と比較すると煩雑で分かりにくく、人によっては何が面白いのか全くわからないという印象を与えがちであることは確かです。
アルトマン監督はおそらく現実に近い映像、映画の文法ではなくリアリティ溢れる映像を作りたかったのであり、それがかなりの程度成功していることが、この映画の評価が高い理由なのだと感じます。
リアリティ溢れる目まぐるしい映像は、「この世界の在り様はこうである」という観点では説得的であり、映像を鑑賞する快楽に充ちています。
そして、このような映像であるが故に、能動的に鑑賞すれば、各人物のドラマや70年代アメリカの政治的雰囲気を、物語で説明されるよりも楽しく想像することができる映画になっています。
アルトマン監督のこの手法は、その後の「ザ・プレイヤー」や「ショート・カッツ」に受け継がれていきます。

 


もう1つの面白さは、音楽のシーンが多いことです。
この映画には(自分の記憶に間違いがなければ)BGMはありません。
その代り歌の場面が多く、映画冒頭の歌手のレコーディングシーンに始まり、全編2時間40分のうち、1時間弱くらいは歌のシーンで構成されているのではないかと思います。
歌手が歌っている間にも別の人物のセリフは入り、場面は進んでいきますが、この歌の数々が意外と印象に残ります。
登場する楽曲の多くはこの映画用に新たに作られたものらしく、しかも楽曲は各登場人物を演じる俳優&ミュージシャンたちが自ら作詞作曲しているようです。
キャストは俳優兼ミュージシャンという人もいますが、そうではない人もおり、人気歌手バーバラ・ジーンを演じるロニー・ブレイクリーは本業はミュージシャンで、この映画が女優として最初の仕事なのだとか。
逆にゴスペル歌手リネア演じるリリー・トムリンや、ビル・メリー&トムのメリー役の人は女優なので、歌はこの作品用に訓練したのだそうです。


個人的に最も印象に残るのはロニー・ブレイクリーの歌です。
彼女は冒頭の空港のシーンで体調を崩し、その後映画後半までベッドの上で過ごします。
後半でようやく登場し、彼女は教会で短く1曲、演奏会で4曲、計5曲を歌いますが、このカントリー風(?)の楽曲が意外と気に入りました。
やはりプロのキャリアが長い歌手だからか、それまでに登場する歌手たちに比べると彼女の歌はしっかりしており、後半にようやく真打登場、と言った感じで彼女は登場します。
とくに「Dues」「My Idaho Home」がいい感じ。
ビル・メリー&トム(ピーター・ポール&マリーへのオマージュ?)のトム役のキース・キャラダインが歌う「I'm Easy」はこの楽曲でアカデミー歌曲賞を受賞。
このトムはナンパ師で、映画の5日の間毎晩別の女の子と寝る嫌な奴(笑)なのですが、彼が「I'm Easy」を歌う中、4人の女の子が「私のことだわ」と思いながら聞き惚れるシーン(このシーンのリリー・トムリンの演技がいい)は、アイロニーあふれる名場面(笑)。
冒頭のレコーディングでヘンリー・ギブソン演じるヘヴンが歌う「200 Years」はアメリカ200年の歴史を歌う壮大な楽曲。
彼のなんとなく古臭い感じの刺繍の入った変な舞台衣装も要注目。
その他、歌が下手糞なのに歌手に憧れる女の子スーリーンの歌も妙に耳に残ります。
彼女は本当に音痴らしく、わざと下手に歌っているのではなくある程度訓練した上で本気で歌っているのだそうです。
そして、歌手志望の放浪妻ウィニフレッドが偶然に舞台上で歌うことになる「It Don't Worry Me」は、物語終盤の偶発的な展開の中で演奏される、感動的な楽曲です。

 


その他、登場人物の魅力や各シーンの面白さをあげればキリがありませんが、印象的なところを1つあげるなら、役者が即興で普通の会話のように語る、アドリブの長セリフです。
歌手ヘヴンの妻役のレディを演じるバーバラ・バクスレーが、ジョン&ロバート・ケネディの暗殺と政治について語る場面は、この映画の時代背景とも関連する重要な場面。
BBCのリポーターを名乗る女性オーパルを演じるジェラルディン・チャップリン(彼女はチャーリー・チャップリンの娘)が、廃車場やバス停車場で即興の詩を詠むシーンも、背景の映像と合わせて印象的。
2日前の朝にリネア役のリリー・トムリンが長々と語る身体損傷の話もアドリブのようです。
そしてバーバラ・ジーンが4日目の演奏会で2曲を歌った後、精神的失調から3曲目が歌えなくなり、舞台上で長々とお喋りを続けるシーン、その後彼女の夫兼マネージャーのバーネットがその場を取り繕うシーンも面白いです。
これらの長いお喋りは自然な感じで、この手法がその後の「ショート・カッツ」でのジャック・レモンの息子の出生に関わる長セリフや、ジュリアン・ムーアの不倫についての長セリフ(彼女は下半身丸出しのまま延々しゃべり続ける 笑)に繋がっていっているかもしれません。


「ショート・カッツ」(大好きな映画です)との比較という点でもう少しだけ。
1975年の「ナッシュビル」では上記のように大人数の登場人物が登場し、それぞれの人物の出会いやその後の関係性が多面的に描かれました。
その後1993年の「ショート・カッツ」では、出会いと関係性の変化がより強調的に描かれるようになり、誰かの誰かが誰かの誰かに出会うことにより、幸福になったり不幸になったりする様子が、より説得的に描かれるようになります。
禍福は糾える縄の如し、人は社会の中で他者との関係性の中で生きていき、ある人の幸福がある人の不幸に繋がり、またある人の不幸が別の人の幸福につながっていく、今日の幸福は明日の不幸の始まりであり、明日の不幸はまた明後日の幸福に繋がるきっかけかもしれない。
「ショート・カッツ」はこのような関係性を何重にも描いた映画ですが、「ナッシュビル」でもその片鱗(ある人物の偶発的な死が別の人物の成功への繋がりを予感させるところなど)を感じさせる作品になっていました。
このあたりの世界の在り様の描き方は「ショート・カッツ」の方が深化していると感じますが、もし「ナッシュビル」の方を先に鑑賞していたら、間違いなくフェイバリット・ムービーになったことだと思います。
音楽という点では、「ショート・カッツ」もアニー・ロスの歌、ロリ・シンガーがチェロで演奏するドヴォルザークやストラヴィンスキーが耳に残る映画ですが、各場面設定と音楽の混濁具合を楽しむならやはり「ナッシュビル」の方が楽しいです。
(「ショート・カッツ」にはトム・ウェイツやヒューイ・ルイスも登場しますが、残念ながら彼らは歌いません。)

 


・My Idaho Home/Ronee Blakley

 

 

映画終盤の選挙キャンペーンの前座でバーバラ・ジーンが歌うシーン。
舞台の背後に主要登場人物がずらりと並び、穏やかな雰囲気が漂うシーンです。
この曲はジャンル的にはカントリーになるのでしょうか?
アメリカ的な田舎の家族が描写される分かりやすい歌詞、シンプルな楽曲と心地よい歌唱。
この前後の場面の出来事と相まって、印象的な楽曲になっています。