600回 | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

当ブログは今回で600回目となります。
節目の回には振り返りの記事を書くというのが恒例となっていますので、今回もそういう記事を書きたいと思います。
500回目の振り返り記事を書いたのが2015年の6月、最近は更新回数が減ったため、1年半ぶりの振り返り記事となります。
今回は自分がどういった方針でこのブログを書いてきたのかについて、振り返って少し書いておこうと思います。
前半に当初から現在までの当ブログの変遷を、後半には感想の書き方についての考えを書きます。

 


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アメブロを始めたのは2012年の4月。
きっかけはたまたま友達がアメブロをやっていたからで、本当に戯れに始めたので、最初の方はかなり適当に記事を書いています。
数回目からなんとなく基本方針のようなものが自分の中で出来上がり、それに沿って記事を量産することになりました。


基本方針とは、
①鑑賞した展覧会・演奏会の感想を書く
②読んだ本の感想を書く
③美術作品を紹介する記事を書く
④当面は自己紹介的な記事を含むゆるい記事を中心に書き、

  だんだんとマニアックな記事に移行していく
⑤たまに社会的な記事を書く
と、こんなところ。
しばらくこの方針に沿って記事を書いてくとなかなか楽しくて、このやり方で3年は遊べるなと思い、記事を量産していくことになりました。


①は現在まで継続している当ブログのメイン記事です。
②は「読書メーター」( → [こちら] )を始めたこともあって、2014年以降は徐々に読書メーターに移行していき、現在は記事数はすっかり少なくなっています。
③は美術のキュレーションをやってみたくて始めたのですが、この記事が書き出すと楽しくて、テーマ別記事数でも最も多い記事になっています。
現在は少し飽きて来た(笑)ということもあり、記事数は減っています。
(これらの感想やキュレーションの書き方については、後半にもう少し詳しく書きます。)


④の方針については、マニアック化するのが予想より早く、当初は1年くらいはゆるい記事中心で書こうと思っていましたが、半年くらいでもうえらくマニアな記事が増えていくことになり、現在はさらに記事のマニアックぶりに拍車がかかっている(笑)のではないか、などと感じています。
しかし不思議なことに(?)、ある程度マニアックな記事の方が読者数も増えアクセス数も多くなるようなので、現在でも気にせず我が道を突き進んでおります。


⑤も実は当初からぜひ書きたいと思っていた記事で、
(A)「生きる意味」を含む実存的な問題と社会との関連
(B)近代・憲法・刑法・戦争・リベラリズムetcについての歴史的なまとめ
(C)客観的な日本の姿(日本の特異点)についてのまとめ
を体系的に書いてみたいな、などと漠然と考えていました。
その後、選挙があるタイミングでこれら書こうということに決め、2012年末の衆院選のタイミングでまず(C)について計7本の記事を書き(→[こちら])、続いて2013年夏の参院選で(A)の記事を書き始めましたがまとめきれず、(B)の記事を一部前倒しで追加して計7本の記事を書き(→[こちら])、2014年末の衆院選のときに(B)の残りを含む計6本の記事を書きました(→[こちら])。
そもそもこんな大それた記事を体系的に書く力量が自分にあるはずもなく(笑)、一部はうまく纏められないまま現在に至っています。
以降、(A)の派生版として、2015年春の統一地方選の際にE.バーンの交流分析についてのまとめ(計5本)を書いたり(→[こちら])、コーマック・マッカーシーの「越境」の感想(→[こちら])や相模原殺傷事件(→[こちら])にかこつけて、まとめきれなかった実存の問題に関わる記事を書いたりしています。
このあたりは、体系的に書くことはやはり困難なので、断片的に書く方向にシフトしていっています。


ちなみに、旅行記やお寺巡りなどの記事は、当初は全く予定していなかった記事です。
とくに西国三十三所を回ってみようなどとは、当初は考えもしていませんでした。
YouTubeの動画を貼り付けてコメントするという音楽版キュレーションの記事も予定してませんでした。
このような予定外の記事もありましたが、ほぼ当初の基本方針のまま3年ほど経過し、案の定3年で少し飽きが来た(笑)からか、2015年の中盤、前回「500回」の記事を書いたあたり(ちょうど転職のタイミングでもある)から、記事数がだいぶ減ることになりました。

 


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合わせて、展覧会や演奏会や本の感想の書き方、美術作品や音楽作品の紹介の仕方について、少し細かく書いておきます。


何かの感想を書くとき、自分は以下の点に注意しています。
①何が面白いのかについて、自分の考えを書く
②優劣には触れない
③好き/嫌いを強調しない
④歴史観を加える


当ブログの感想にはやたらと「面白い」「心地よい」「楽しい」などと言う形容詞が登場しますが、これは実は意図的にやっていることで、優れている/劣っている、好き/嫌いよりも「何が面白いのか」に着目することが重要だと考えているからです。
何かについて面白いなと感じたとき、「ほら、ここが面白いよ」と誰かに伝えたくなるもので、そういった思いを記事にしています。
「自分はここが面白い、心地よい、楽しいと感じますが、あなたはどう思われますか?」というのが、当ブログの基本的なスタンスです。


②の優劣については、結局その分野の人しか判断できない、絵のうまさは絵描きにしかわからない、作曲技術が高いかどうかは作曲経験者にしかわからない、ということがあるように思います。
自分は楽器は経験したことがありますが作曲経験はなく、絵については全く経験がなく、このあたりの技術的な優劣はよく分かりません。
うまい下手についての価値判断はその分野の専門家がやればいいと思っていますので、自分はもう少し違う視点で記事化しています。
また、技術的優劣というのはそんなに重要なことではないと自分は考えています。
技術的に稚拙な作品であっても、概念的に興味深い作品はいくらでもあります。


③の好き/嫌いについて、「好き」は書いても害がないのでそれなりに表明していますが、熱量を込めて「好き」を強調する文章をやたらと書いてもあまり面白くないと思いますので、控えめにしています。
上に技術的優劣は重要ではないと書きましたが、自分は好き嫌いについて考えることも重要ではないと考えています。
一般に、「感想=好きか嫌いか」ということになりがちで、なんとなく好き嫌いを表明しなければならないような力学が働きますが、そこにこだわりすぎると作品の面白さを見落とします。
また、「嫌い」は表明しないことにしています。
というよりも長らくいろんなものに接していると、嫌いなものというのはほぼないということに気づいてきます。
(作品鑑賞以外の記事も含め、おそらくこのブログではっきり「嫌いである」「不快である」と書いたのは、2012年自民党憲法草案、排外主義的・差別主義的な書籍が並ぶ書店の棚、ドナルド・トランプの選挙戦略、おそらくこの3つくらいだと思います。)


自分は④が重要だと考えています。
優れた作品批評とは、技術的優劣を判断するものでもなく、好き嫌いを表明するものでもなく、対象の作品の世界的意味・歴史的意味について詳述すること、対象の作品を世界・歴史の中に適切に位置づけることだと考えます。
作家が作品を制作する場合、意識的/無意識的に関わらず、必ずその時代の社会の影響を受けながら、歴史の影響を受けながら作品を制作しています。
自分のブログには「この作品は○○世紀のどこの国の作品で、このころの社会はこんな感じで、文化の潮流はこのように変遷しており、その影響が表れているように見え」みたいなことをあれこれと書くことが多いですが、これは上記のようなことを意識した上でやっています。
決してうまく書けているとは思いませんが、「歴史や社会との関わりを考えると、こんなに面白いよ」というのも、当ブログの基本的なスタンスでもあるのです。

 


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今後について。


何かについて文章を書くということはもはやライフワークになってしまっていますので、よほど何かの変化がない限り、記事の更新回数が減ったり内容が変化することはあっても、当ブログをやめることはないのではないかと思います。
アメブロは広告や余計なリンクがどんどん増えてごちゃごちゃしている面がありますが、このような情報過多でぐちゃっとした雰囲気は嫌いではなく、とくに移転する積極的な理由もないので、今後もアメブロで更新していくことになると思います。
何より読者登録させて頂いてる方の記事を読むのが楽しく(商業ベースに乗らず、営業がメインでもない一般の方の書くものは本当に面白い)、ブログを通して仲良くさせて頂いている方もおられますので、今後もアメブロを続けたいと考えています。


ということで、当ブログにご興味のある方は、今後ともお付き合いの程、よろしくお願い致します。