批評誌 「ゲンロン」 | れぽれろのブログ

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今年ももうすぐおしまい。
自分の趣味嗜好の中での今年の個人的に重要な出来事として、久しぶりに続けて購読したいなと思う雑誌(定期刊行誌)が登場した、ということがあげられます。
それが批評家の東浩紀さん編集の「ゲンロン」です。
創刊は昨年の12月ですが、自分は少し遅れて本年の春に創刊号(「ゲンロン1」)を購入しました。
不定期刊行のようですが、現在4号まで発売されており、つい先日4号を購入したところなのです。
今回はこの「ゲンロン」の感想や、関連することなどを少し書いておきます。

 


元々自分の人文系書籍との関わりのルーツを辿っていくと、1988~91年に刊行された週刊分冊「週刊朝日百科 世界の歴史」に辿り着きます。
これは父が定期購読していた世界史についての週刊分冊で、刊行当時は自分はまだ小学生だったにも関わらず、どういうわけか毎号楽しみに待つようになり(意味もしっかり把握せず眺めていたのだと思います)、いつの間にかこのシリーズは全号自分の本棚に置かれるようになり、約25年の時を経て今でも我が家の本棚に収納されています。
以降も美術系の週刊分冊や読書系の雑誌、テレビ雑誌など、雑誌を定期的に購読するという楽しみは継続するのですが、ネットの登場により情報収集に対する比重が紙媒体からネットに移行したこともあって、雑誌というメディアからはからどんどん離れていき、2004年に「噂の真相」が廃刊になって以降、定期的に雑誌や分冊の類を買うということはなくなりました。
以降も「現代思想」「ユリイカ」「大航海」などをときどき購入することもありましたが、あくまでも関心の高い特集がある場合のみ読むというスタンスで、毎号を継続して読み続けたいと思うことは、長い間ありませんでした。


この春にたまたまジュンク堂書店で「ゲンロン1」を発見し、その特集「現代日本の批評」が面白そうだったということが、このシリーズを購入するきっかけです。
「現代日本の批評」は70年代から現在までの人文系・批評系の重要な書籍をチョイスし、それについて東浩紀さん他数名が座談会により解釈を加えるという企画。
2015年末から1年に渡り継続した企画で、「ゲンロン1」が70年代後半から80年代、「ゲンロン2」が主に90年代、「ゲンロン4」がゼロ年代から現在を取り扱っています。(「ゲンロン3」はこの企画はお休み。)
そしてこの特集には、1975年から1年ごとに重要書籍をチョイスして並べた年表が付属しているのですが、この年表がとにかく素晴らしいです。
人文系・批評系の主要な書籍がずらりと並ぶこの年表は、はっきり言って一生ものです。
どちらかというと古い本を読むことが多い自分にとって、70年代以降の書籍についてのこのような参照点を提示してくれるのは非常に有難いことです。
この年表をこれからの自分の読書計画に対する一つの指標としたいと思い、「ゲンロン1」を購入した後「ゲンロン2」も買おうとしたのですが、なぜかこちらは本屋さん(ジュンク堂)に並んでおらず、2巻以降はネットで購入することになりました。


この年表は「ゲンロン史観」ともいえるある種の歴史観が表されているもので、重要と判断された書籍ほど年表上の字体のサイズも大きく表示されています。
批評史上の重要な著作や社会に影響を与えた著作をチョイスする形ですので、年表上の書籍が必ず読むべき書籍なのかというとそうでもなく(中には全く読む気が起こらないような不快な書籍も含まれています)、このあたりは座談会で語られている内容も含めて参照する必要があります。
その他、ある特定の書き手に照準した場合、人によっては当然「なぜあの著作がないのか」という疑問も出てくることだと思います。

このあたりの「ゲンロン史観」と自分の読書観の差異を考えてみるのも、今後の読書の一つの楽しみになりそうです。
(ちなみに、自分は宮台真司さんの著作を約20年間フォローしているミヤダイファンですので、「世紀末の作法」は登場するのになぜ「自由な新世紀 不自由なあなた」が登場しないのか、とか、ミヤダイ研究上の最重要著作である「<世界>はそももデタラメである」が登場しないのは悲しい、とか、あれこれ思うこところはありますが、双風舎の対談3部作「挑発する知」「日常 共同体 アイロニー」「限界の思考」のうち、2作目だけが年表から漏れているのは単純にミスなのではないかと思います。)
一応年表はこの「ゲンロン4」で完結ですが、その他の個別の特集や論考も面白い物が多いので、「ゲンロン5」以降も継続購入しようと考えております。

 


個別の特集や論考について。


先週「ゲンロン4」がAmazonから届いて早速読んでみました。
とくに印象的なのが浅田彰さんへのインタビュー「マルクスから(ゴルバチョフを経て)カントへ」です。
自分は浅田さんの著作を書籍で直接読んだことはないのですが、REAL KYOTOのブログは継続して参照しています。(自分のようなどちらかというとクラシックな(?)美術ファン・音楽ファンにとって、このブログは重要な参照点になります。)
浅田さんは美学的なジャッジをする博識な人という印象がありますが、このインタビューを読むと、ポストモダニストというよりむしろモダニストとしての側面を強く感じ、その美学的ジャッジが単に戯れな嗜好の差異によるものではなく、歴史・近代を強く踏まえたものであるということがよく分かるインタビューになっています。
このインタビューで語られる時代は、上記の「現代日本の批評」で取り上げられる1975年以降の40年間とも重なり、マルクス主義&ケインズ主義→新自由主義&グローバル化に移行していった時代とリンクします。
その中で(タイトルにあるように)ゴルバチョフ的なもの(緩やかな体制変革)が重視されているように読めるのが興味深く、グローバル化は不可避だが急激な移行は問題であり低速度軟着陸路線が重要、周りまわって批評や芸術の在り様もこのこととは無縁ではない、などと考えたりもしました。


「ゲンロン2」は今年の5月に、「ゲンロン3」は8月に購入しました。
「ゲンロン3」には「現代日本の批評」の特集がないので最初は買うのはどうしようかなと思いましたが、美術関係の特集(脱戦後日本美術)とのこでしたので、美術ファンとしてはこれは読まなければと思い、やはり購入することにしました。
一般に19世紀以降の美術史は、ロマン主義から写実主義・印象主義を経て抽象主義に至り、主眼は意味から造形へ移行しそれが戦後アメリカのモダニズム(≒抽象表現主義)として結実、その一方でデュシャンに始まる造形よりも概念を重視する傾向が、戦後のウォーホルを経て現在までコンセプチュアルアートとして継続している、というのが大きな流れであるとされています。
さらには20世紀後半以降のグローバル化・テクノロジー化・新自由主義化に伴い、美術の概念が地理的にも技術的にも経済的にも拡張し、途上国のアーティストが登場する時代、ビデオアートやインスタレーション等の情報化に伴う新しいアートが跋扈する時代、そして安田火災によるゴッホ「ひまわり」の落札に始まるアートが投機対象となる時代を迎えます。
このような状況故、20世紀前半までのように呑気に編年体で美術史を描くことは非常に困難。(美術出版社の書籍「20世紀の美術」においても、巻末ジャンル年表が最終的に単に「マルチカルチュラリズム」に集約する形になっているのがこのことの困難さを表しています。)
そんな中、近代日本美術をどのように描くのか。
この「ゲンロン3」では「外地」が一つのキーワードになっいるように読め、旧来の「西洋的技術を受容した日本近代美術史」という捉え方ではなく、19世紀以降の他国との関わり、とくにアジアとの関わり・アジアからの影響において捉えなおすという方向への模索は、非常に重要なのではないかと直感的に思います。(このあたりは最近鑑賞した「1945年±5年展」の満州への画家の関わりについての展示や、「藤田嗣治展」での作家の中南米や中国・沖縄との関わりともリンクします。)


その他、「ゲンロン2」の筒井康隆さんのインタビューもたいへん面白かったです。
自分は中高生のときに筒井作品をたくさん読みましたので、このインタビューは感動的です。
とくに、筒井さんの「天におられるあの方」(≒神、ただし一神教的な神ではない)について思うという宗教的感性が、筒井さんの虚構的作品のベースにある(虚構内の「作品-作者」という関係が、現実の「世界-<神>」に相当する)と考えると非常に興味深いです。
(作者≒<神>が作品世界に混濁してくる「虚航船団」の第3部や、虚構世界が階層構造を成す「朝のガスパール」など、このような視点で読み直すと面白い発見があるかも。)
93年の断筆当時自分は高校1年生で、96年の復活のときが大学1回生、96年以降の筒井作品は自分は読めていません(読んでいたのは「噂の真相」連載の「狂犬楼の逆襲」のみ)ので、20年ぶりに筒井作品を読みたいななどと思ったりもしております。

 


ということで、この「ゲンロン」は来年以降も継続してフォローしようかなと考えております。
「ゲンロン5」は来年3月の刊行予定で、演劇がテーマになるようです。
自分はオペラを除き舞台を見に出かけることはほとんどないのですが、ゼロ年代にNHK教育の芸術劇場という番組で、ときどきぼんやりと演劇も鑑賞していました。(ほぼ音楽がメインの番組で、音楽の回を楽しみに鑑賞していたのですが、月イチで演劇も放送されていました。)
この中でもとくにチェルフィッチュと維新派の舞台を衝撃的に鑑賞した記憶がありますので、このあたりにも触れてくれるといいな、などと楽しみに待っている次第です。