ジョルジョ・モランディ -終わりなき変奏- | れぽれろのブログ

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19日の土曜日、兵庫県立美術館に行ってきました。
目的は「ジョルジョ・モランディ -終わりなき変奏-」と題された展示です。
兵庫県立美術館は今年3回目の訪問です。
面白い展示をたくさんやってくれたので、訪問回数が多いです。
この12月は初旬は暖かかったですが、この日の数日前から一気に寒くなりました。
この日も寒い一日、ですがさすがにマフラーまでは要らないかなと思い
出かけましたが、マフラーが欲しくなるくらい冷え込んでました。
寒さの中、阪神電車に乗って岩屋駅へ。

ジョルジョ・モランディは実は自分はあまり詳しく知らなかった画家です。
イタリアの画家で、1890年に生まれ1964年に没しているとのこと。
同じイタリアではジョルジョ・デ・キリコなどとほぼ同じ年代の画家です。
初期には形而上絵画に似たような雰囲気の作例もあるようですが、
基本的には独自の画風を完成させた人のようです。
作品のほとんどが静物画で、瓶や食器などの特定の静物を
何度も繰り返し描いた方。
よく知らない画家でしたがなかなかに面白く、得難い展示でした。


各作品は一見すると非常に似通っており、
テーブルの上に置かれた特定の静物を繰り返し描いています。
風景画も少し描かれているようですが、作例は少ないようです。
花を描いた作品もありましたが、これも生きた花ではなく、
造花を描いているのだとか。
なので、基本的に描かれているのはすべて器物のようです。
画面は静謐な感じ、色合いも穏やかで、ベージュやグレーを基調とした
淡い感じで描かれています。
塗りは比較的薄く、絵具があまり主張して来ません。
遠近法は正確ではなく、人間の目で見た視覚のゆらぎを重視した描き方で、
このあたりはセザンヌにもよく似ています。
静物の奥に見えるテーブルの線が静物の左右でそろっていなかったり、
このあたりもセザンヌの作風に似ます。
静物の形状と静物に降り注ぐ光、その光によって静物が形作る影。
瓶の溝などの細かい装飾的な静物の形状がもたらす影と光の色彩の変化が
じっくり観察するとゾワゾワするように面白く、絵画作品を見ることの快楽を
存分に味わうことができる作品たちです。

同じ静物を繰り返し描いているため、
特定の瓶などに何度も出くわすことになります。
やたらと何度も登場する、作家自身のお気に入りと思われる静物もあります。
これらの静物がまるでスターシステムのように何度も登場するため、
何やらそれぞれの静物に愛着が湧いてきます。
登場人物(静物)がほとんど同じで、微妙に位置関係や色合いが異なる
2枚の作品もあり、並べてみると間違い探しのよう。
このような2枚の場合、一方がかなりまとまって安定した画面であり、
もう一方は各静物がバラバラでそれぞれの静物が独立して主張してくる
感じがするなど、比較して鑑賞するのも面白いです。
このような複数の連作の作品たちを会場では「変奏」と呼んでいました。
確かにクラシック曲の変奏曲のような、主題が展開して少しずつ異なった旋律に
変化していくような、そんな印象も感じられます。
登場人物(静物)は同じでも、配置や色の塗り方、光の加減が異なり、
比較するのが楽しい。
このあたりはモネのルーアン大聖堂のシリーズや、
セザンヌのサント・ヴィクトワール山のシリーズなどと
比べて考えてみるのも面白いです。
基本的に似たような作風が延々続く作家さん、じっくり鑑賞すると面白いですが、
作品の変化を求める方はひょっとしたら退屈されるかもしれません。


その他、モランディの面白い点。
ひとつはモデル:静物の選択と配置に対するフェティッシュなまでの
異様なこだわりです。
モランディの作品制作はまず面白い形状の静物を収集するところから
始まるようです。
そしてその静物を場合によっては加工したりします。
静物に独自に着色するのはよくあることのようで、
透明のガラスの瓶などの場合、瓶の内側にインクを入れて内側から着色し、
透明の内側に色があるという静物を完成させたりするケースもあるようです。
他にも2種類の静物を接着させて独自の形状を形作ったり、
静物をそのまま掃除せず放置し埃が被った状態にしておいたり
(家族が勝手に埃を払うとモランディは怒ったのだとか 笑)
とにかく「描いて面白くなる」ように静物を制作していたようです。

そして、それらの静物を面白く描くことができるように並べ替えます。
テーブルの上の配置にやたらとこだわる。
もう一度同じ位置に並べることができるように、テーブルの上に目印を付ける。
会場ではモランディのアトリエも紹介されていましたが、
テーブルの上は位置関係を示した目印だらけです。
さらには、静物に降り注ぐ光の加減を調整するため、
自室の窓にフィルタを付ける。
とにかく、モデル(静物)の選定・制作から配置、室内の環境まで、
徹底的にこだわって環境を整え、その上でやっと作品を描き始めるのだそうです。
このマニアックなまでの徹底ぶりが面白いですね。
ベストな一枚を撮影するため何時間にもわたって被写体や撮影環境を
調整する写真家のようです。
画家の場合は色あいなどは脳内である程度変換できそうなものですが、
モランディの場合はそれは是とせず、あくまで目の前のものをキャンバス上に
そのまま写し取ることが重要だと考えていたのかもしれません。

こういった周到な準備が必要なので、人体や自然物ではこうはいかない、
なので必然的に静物を描くことになるのだと思います。
花を描く場合でも、本当の花だと成長したり枯れたりしますので、
やはり造花である必要があるのだと感じます。


もう一つ、同時代の絵画との差異を考えるのも面白いです。
モランディの主要な作品は40年代から50年代ごろに描かれていますが、
この時代はアメリカのモダニズム芸術の全盛期。
ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンらが
活躍した時代です。
彼らの抽象画は絵画の視覚的効果が重視され、
画面上の色や形や配置などにこだわって制作されています。
視覚的構造を究極にまで追求したような作品たちです。
モランディも似たような視覚効果を追求するタイプの作家だと思いますが、
抽象ではなくあくまで具象物を使用して追求しています。
モランディの作品はポロックやロスコらの作品と同様に、
描かれている内容そのものにおそらく意味はありません。
目の快楽、キャンバスの上に絵具をどう載せていくと面白いか、
素晴らしいかということを、ポロックらのように無から生み出すのではなく、
独自に製作したモデル(静物)たちを使ってそれを実現しているのが
モランディの面白いところなのだと思います。

モランディ以外にも具象物を使って視覚的に面白い画面を作る人もいますが、
例えばピカソなどの場合、描く対象をピカソなりに脳内で変化させて
描いています。
モランディの場合は対象を見たままに、遠近法的ではなく
セザンヌ的な視覚のゆらぎのあるままに描く。
そしてその画面構成や色彩の計画性については、
多くの抽象画家のように脳内で無から作り出すのではなく、
ピカソのように対象を独自に変化させて作り出すのでもなく、
ポロックのように計画的偶然性の下で作り出すのでもなく、
モデル(静物)の配置時において計画するというところが、
モランディの20世紀モダニズム絵画としては独特で
面白いところなのではないか、そのように感じて鑑賞しました。


ということで、面白い展示でした。
本展は2月までやっているようですので、20世紀絵画にご興味のある方は
兵庫県立美術館へ足を運んでみるときっと面白いと思います。

今年ももう残り少なくなってきました。
おそらく今年の展覧会の鑑賞はこれでおしまい。
来年もまたたくさんの展示を鑑賞したいですね。