天女散花、恋は魔術師♡ | れぽれろのブログ

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7月18日の土曜日、いずみシンフォニエッタ大阪の定期演奏会を鑑賞しに
いずみホールに行ってきました。
前日までの台風の影響で、近畿圏ではこの日は朝から交通網が乱れまくり、
電車がまともに運行していない状況が続いていました。
そんな中、南海本線は大丈夫だろうと思っていたら、
なんとこちらは人身事故で朝から電車が止まっています。
JR阪和線もまともに動いてなさそうなので、
車で中百舌鳥まで行って地下鉄御堂筋線で行こうかなと思っていましたが、
お昼ごろには南海が動き出し14時ごろにはほぼ時刻通り運転されているようで、
無事南海本線で出かけることができました。
しかしJR環状線は大幅に遅れているらしく、いつもは自分はJR大阪城公園駅で
降りるのですが、この日は地下鉄長堀鶴見緑地線経由で、
大阪ビジネスパーク駅に向かいました。
地下鉄の駅を降りるとすごい人、大阪城ホールで開催されている
いきものがかりのライブに行く人の群れのようです。
人ごみをかき分け、いずみホールへ。

いずみシンフォニエッタ大阪は近現代の楽曲を中心に、
こんなプログラムはどこに行っても聴けないというような、
たいへん面白プログラムを毎回用意してくれます。
この日もまたものすごく個性的なプログラムで、ファリャとヴィラ=ロボスという
ラテン系の2人の作家さんの作品に挟まれる形で、
日本人作曲家西村朗さんと
坂東祐大さんのお二人の作品が並ぶというプログラム。
さらに西村さんと坂東さんは38歳も年が離れており、
世代の異なるお二人の対比を楽しめるという構成になっています。
なかなか得難いプログラムです。
タイトルは「天女散花、恋は魔術師♡」で、ハートマーク付きです(笑)。

ということで、この日の覚書など。


前半1曲目はヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ第9番。
弦楽のみの音楽で、バッハ風にプレリュード+フーガを組み合わせた形式に
なっています。
フーガの複雑な繰り返しが楽しい一曲。

2曲目はギターソロの作品。
同じくヴィラ=ロボスの前奏曲第3番「バッハへの賛歌」。
なんとなくバッハの「トッカータとフーガ」に登場する旋律らしきものも
出てきましたが、そんなにバッハバッハしてない感じでした。
ギターソロは鈴木大介さん、この方のギターの音色がすごくきれいで、
ずっと聴いていたくなりましたが、割と短い曲ですぐに終わってしまいました。
自分はそんなにギター曲はしっかりと聴いておらず、
ギターといえばマーラー7番の4楽章の響きが好きだとかとか
(このギターが生演奏だといい雰囲気なのです)そんなレベルですが、
改めてギターは素敵だなと感じました。

3曲目は西村朗さんのギター協奏曲「天女散花」という作品。
引き続き鈴木大介さんが独奏パートを担当される協奏曲です。
京劇にインスピレーションを得た作品たらしく、
今回演奏される鈴木大介さんに献呈された曲なのだとか。
西村さんの楽曲はこのいずみシンフォニエッタ大阪で何度か聴いていますが、
いつもながらオケの音色と響きがとっても美しく素敵で、
CDだと楽しさがずいぶん減少するのではないかと思われる音楽だと感じます。
独奏ギターは旋律的要素も持っていますが、メロディやリズムよりも
全体の響きを重視した音楽です。
解説によると、オケが地上界、ギターが天界を表しているのだとかで、
ギター独奏部分とオケ演奏のみの部分が対比されており、
確かに言われてみるとそのように聴こえます。
眩い花に溢れた地上界の上で、天女が弦楽器を奏でているような
絵が浮かんできます。
そしてなんといっても鈴木さんが奏でる音が素敵で印象に残ります。


休憩を挟み、後半1曲目は24歳の作曲家、
坂東祐大さんの「めまい」という作品、世界初演だそうです。
これがまた問題作で、解説によるとヒッチコックの「めまい」に
インスピレーションを得た曲らしく、楽曲全体は6部に分かれており、
各部分がそれぞれ
耳鳴り・痙攣・集合体恐怖・過呼吸・吐き気・幻覚症状を
表しているらしく
この文字の並びを見るだけで不快な(笑)気持ちになる、
なんとも稀有な音楽です。
これらの症状は作曲家ご自身が経験された症状なのかと思いきや、
坂東さんのプレトークによると、耳鳴りは飛行機で経験するらしいですが、
他はあんまり経験はないのだとか
(と仰られていましたが、本当かどうかは・・・?)。
この曲、解説の症例の字面の印象が強いせいもありますが、
やはり聞いてて不快な部分が多い(笑)音楽で、
ピアノや弦やハープが高音でキンキン騒ぐ冒頭の耳鳴り部分に始まり、
音がうねったり、不気味な低音のリズムが続いたり、
規則的なのか不規則なのかよく分からない繰り返しが並んだり、
特殊楽器の音、怪しげな空気音の連続(どうやって音が出ているのか?)、
突如聴こえてくる風船の破裂音(この部分は心臓に悪い 笑)、
とにかく耳に心地悪い表現が延々と続きます。
最後には曲の終了と同時に会場の照明が消え、
これは失神を表しているのだとか。

特殊楽器がいろいろと使われていたようですが、
今回の前の方の席では後ろの楽器がよく見えませんでした。残念。
ヒッチコックの「めまい」の旋律も使われているようですが、
自分は未視聴なので、このあたりもよく分かりませんでした。
とにかく不快な部分が多い音楽ですが、ある種の怪奇音楽というか、
刺激音楽としては非常に楽しく、よくホラー映画などの怪奇現象が起こる場面で、
キンキンキンキンとかギャーンとか意味不明な怪音が鳴っていますが、
こういった部分を極端に誇張して楽曲化した感じというと近いかもしれません。
音楽的・スコア的・演奏手法的には様々な工夫や面白みの部分が
あるのだと思われますが、素人目(素人耳?)には、
その怪奇性・特異性・刺激性が楽しく感じられました。
そしてこれを演奏した飯森さんといずみシンフォニエッタ大阪が
またすごいと思います。

西村朗さんと坂東祐大さんは年が38歳離れているのだそうです。
プレトークにて西村さんは、この2人の楽曲の差異がそのまま38年の
世代間差異であると半分冗談で仰っていましたが、
比較して聴くことにより、やはりある種の世代間差異を感じました。
美術の記事で過去何度か書きましたが、美術作品において、
昔の世代の作家さんが「私の世界」を描こうとするのに対し、
近年の若い作家さんは「普遍的世界」を描こうとする傾向が強いと
自分は感じることが多く、概ね70年代ごろに生まれた作家さんから
この変化があるのではないという、勝手な仮説を自分は持っています。
旧世代の作家さんの作品から「私には世界はこう見える」ということの
アピールを強く感じるのに対し、
新世代の作家さんの作品からは「世界はきっとこのようである」という
アピールを自分は強く感じます。
で、今回の2人の作品を比較して聴くことにより
同様な傾向があるのかなと感じました。
西村さんからはやはり西村さんならではの響きの追求を感じます。
坂東さんはひょっとしたらパーソナルかもしれない細かいことを描写している
ようで、作曲家ご自身の強い自己表出のようなものはあまり感じず、
各種の症例の描写を通じてある種の普遍性(人間ってこうだよね)を、
意識的・無意識的に関わらず表現されているように聴こえます。
もちろん楽曲の目的も異なりますし、作曲手法やスコア的なところは
分からないので勝手な感じ方なのですが、音楽においても、
美術作品から自分が感じることと同様な傾向があるのかなと感じました。
このあたり、他の若い作家さんの作品もいろいろと聴いてみたいですね。


さて最終曲はファリャの「恋は魔術師」です。
この日は小編成向けの1915版の演奏とのことで、
通常演奏される2管編成版ではありません。
楽曲だけでなくストーリーも微妙に違うのだとか。
自分も知っている有名な「火祭りの踊り」は、この1915版では
「日の終わりの踊り」となっていますが、この部分のメロディはほぼ同じでした。
この日は太田真紀さんのナレーション付で物語を楽しむことができました。
「恋は魔術師」は声楽付きの楽曲で、メゾソプラノは林美智子さん。
この歌唱がまた素敵です。
オケメインの楽曲ですが、お二人の女声が素敵で、楽しめました。
前の曲の印象が強すぎたせいか、魔術が登場する怪しげな音楽も
すごく健康的に響いてきます(笑)。
一般に心身症や神経症などの病気は社会によってその表れ方が異なると
言われていますが、古き物語の伝統が残る20世紀前半のスペインでは
魔術で復讐という狂気的行動が作品化され、
現代日本では「めまい」のような
自己の内面に向かう症例が作品化されるというのも、
時代の差なのかなどと
無理やり考えたりしながら、楽しく鑑賞することができました。


ということで、耳への快楽と脳への刺激をもたらす楽しい演奏会でした。
自分は長らくCDを買っていませんでしたが、この日のギターがたいへん
気に入ったので、早速鈴木大介さんが演奏する武満徹のギター作品集を購入、
同時に林美智子さんの武満徹歌曲集も販売されていたので
(ちなみに自分は「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」とう曲が妙に好きだったりします)
これも同時に購入し、ただいま届くのが楽しみな状況です。

次回のいずみシンフォニエッタ大阪の演奏会は、
イタリアの音楽(個人的にベリオがすごく楽しみです)、及び
西村朗さんの新作交響曲の組み合わせとのことで、
これまた楽しみですね。