日本の歌100選 その2 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

前回の記事(→[日本の歌100選 その1] )に引き続き、
「日本の歌100選」の曲を並べて、あれこれコメントしたり
想い出を並べてみたりしてみます。
「日本の歌100選」は、親子で長く歌い継いでほしいと思う歌を
2006年に文化庁が公募し、その中から101曲を選定したもの。
一覧はウィキペディアで確認することができます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%8C%E7%99%BE%E9%81%B8

今回は大正期の作品を並べてみようと思いますが、その前に、
この100曲の中には「日本古謡」や「わらべうた」といった、作曲者不詳で
近世以前から歌われてきたと言われている曲も4曲選定されています。
まずその4曲を並べてみます。
( )内は歌い出しです。

・江戸子守唄
 (ねんねんころりよ おころりよ)

・さくらさくら
 (さくらさくら やよいのそらは)

・通りゃんせ
 (通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細道じゃ)

・ずいずいずっころばし
 (ずいずいずっころばし ごまみそずい)

どれも作詞・作曲は不詳、ただし「通りゃんせ」に関しては大正期の作曲家の
メロディであるとも言われているようです。

さくらさくら」は元々は箏の練習用のメロディだったのだとか。
海外でもこのメロディは有名なのか、自分の好きなピアニスト、
シプリアン・カツァリスは、即興演奏中によく「さくらさくら」メロディを
引用しています。
プッチーニのオペラ「蝶々夫人」にもこのメロディは登場しますね。

通りゃんせ」といえば、自分などはまず横断歩道のメロディを思い出しますが、
最近は鳥の鳴き声などの音声を使用したものが増えているようで、確かに
言われてみれば「通りゃんせ」は最近あまり聞かなくなったような気もします。


---

さて、大正期~昭和初期の童謡21曲を並べてみます。
記載は、曲名-作詞者-作曲者の順です。
( )内は歌い出しです。

・靴が鳴る/清水かつら/弘田龍太郎
 (お手て繋いで 野道を行けば)

・背くらべ/海野厚/中山晋平
 (柱の傷は おととしの)

・浜千鳥/鹿島鳴秋/弘田龍太郎
 (青い月夜の 浜辺には)

・叱られて/清水かつら/弘田龍太郎
 (叱られて 叱られて)

・風/西條八十訳詞/草川信
 (誰が風を 見たでしょう)

・どんぐりころころ/青木存義/梁田貞
 (どんぐりころころ どんぶりこ)

・七つの子/野口雨情/本居長世
 (からす なぜ鳴くの)

・夕日/葛原しげる/室崎琴月
 (ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む)

・揺籃のうた/北原白秋/草川信
 (ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ)

・赤い靴/野口雨情/本居長世
 (赤い靴履いてた 女の子)

・シャボン玉/野口雨情/中山晋平
 (シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ)

・肩たたき/西條八十/中山晋平
 (母さんお肩を たたきましょう)

・月の沙漠/加藤まさを/佐々木すぐる
 (月の沙漠を はるばると)

・どこかで春が/百田宗治/草川信
 (どこかで春が うまれてる)

・夕焼小焼/中村雨紅/草川信
 (夕焼け小焼けで 日が暮れて)

・あの町この町/野口雨情/中山晋平
 (あの町この町 日が暮れる)

・からたちの花/北原白秋/山田耕筰
 (からたちの花が咲いたよ)

・あめふり/北原白秋/中山晋平
 (雨雨降れ降れ 母さんが)

・雨降りお月さん/野口雨情/中山晋平
 (雨降りお月さん 雲の陰)

・この道/北原白秋/山田耕筰
 (この道は いつか来た道)

・赤とんぼ/三木露風/山田耕筰
 (夕焼け小焼けの 赤とんぼ)


ほぼ年代順に並べてみました。
靴が鳴る」が1919年(大正8年)、「赤とんぼ」が1927年(昭和2年)、
これらの21曲はおよそこの9年間に製作されたと思われる曲たちです。
(前回の記事でも書きましたが、「いつの曲」なのかの定義は難しく、
誤りもあるやもしれませんので、その点はご了承ください。)

前回の記事に登場した明治期の曲はほとんどが唱歌でした。
大正期になると、国家による教育目的の唱歌ではなく、
日本の大衆にとってより歌いやすくより愛されることを目的とした
童謡が次々に作成されるようになります。
大正デモクラシーの流れもあり、明治期のやたらと国家主導的なあり方への
反動もあったのか、この童謡運動は反唱歌運動のような形をも
取っているようです。
同時に、この時期の大衆社会化に伴い、数多くの雑誌が登場、
「幼年の友」「少女号」「小学女性」「小学男性」「赤い鳥」「コドモノクニ」
といった雑誌に、童謡作家たちが様々な作品を発表するようになります。
当時のイラストレーターの挿画とともに、このような雑誌にて童謡文化が
広がって行きました。

日本の歌100選では、1880年代から2000年代までの曲が選ばれていますが、
この時期約10年間の楽曲が21曲も選ばれています。
大正中期~昭和初期の曲がいかに今でも愛されているかがよく分かります。

前回の記事に登場した明治期の唱歌と今回の大正期の童謡を比較してみると、
明治期はやや文語調で歌詞が難しいものが多い気がしましたが、
大正期はより口語朝で分かりやすくなっているように思います。
明治期は七五調の歌詞が多かったですが、大正期はもっと詞のリズムが
自由になっています。(もちろん七五調も存在しますが。)
明治期は脱亜入欧の時代からか西洋的なメロディが多いように思いましたが、
大正期は「和風な」感じの曲も多く、西洋音楽の作曲手法を取り入れながら、
日本で作曲するとはどういうことかという模索がなされた時期であるとも
いえると思います。
しかし現在では明治期の唱歌も大正期の童謡も同じように歌われており、
どちらがより日本的かについては、今日では一概に言えないと思います。

歌詞が簡単になった一方、大正期の童謡のメロディは結構難しくなっています。
例えば、「赤とんぼ」の「夕焼け小焼けの♪」の上昇音型や
あめふり」の「雨雨ふれふれ♪」の跳躍の部分など、
子供にとって正確に歌うのは意外と難しいようにも思います。
あとでも書きますが、「肩たたき」「あの町この町」など、
正確に記憶して歌うのは結構難しいです。
どこかで春が」のように、4拍子の中に2拍子が挟まれる曲も登場します。

作詞者では野口雨情が5曲、北原白秋が4曲、この2人が多いです。
いずれも大正期に活躍した有名な詩人ですね。

この時期の作曲者といえば、何といっても中山晋平です。
中山晋平は「背くらべ」「シャボン玉」「肩たたき」「あの町この町
あめふり」「雨降りお月さん」の6曲が選定されており、
この「日本の歌100選」で計6曲も採用されているのは中山晋平だけです。
自分は中山晋平曲の曲は結構好きで、あの町この町」「あめふり
雨降りお月さん」なんかは今でも知らぬ間に鼻歌で歌っていたりします。
その他、草川信が4曲、弘田龍太郎と山田耕筰が3曲となっています。
弘田龍太郎の「叱られて」、山田耕作の「からたちの花」「この道」は、
童謡というより歌曲といった方がよく、歌い方も声楽的な歌唱が要求されるため、
ちょっと子供向けではありませんが、いずれも素敵な曲です。


さてさて、以下個別の曲に対し、個人的な思い出などをまとめておきます。

靴が鳴る」は自分は幼いころに歌った替え歌のイメージしかありません。
「お手テンプラ つないデメキン♪」とか(笑)。
なお、メロディは知っていてもタイトルが思い出せない曲ってよくあると
思いますが、自分はこの曲がそうです。
これは最後の方の「靴が鳴る♪」のところまで歌を聴くことが
あまりないからかもしれません。

どんぐりころころ」も替え歌のイメージで、子供のころ
「どんぐりころころ馬場チョップ♪ お池にはまって地獄突き♪」
とか歌っていた記憶があります。
これは全国区の現象なのだろうかと思って調べてみると、
どうも地域によって技の名前が違ったりするようです。
ちなみに自分はこの曲の最後が「日清製粉から揚げ粉♪」になってしまいますが、
これは年のせいでしょうか(笑)。
(今でもこのCMはやっているのかな?)

七つの子」は、志村けんを思い出す方が多いようですが自分はギリギリ(?)
時代外のようで、記憶にはありません。
これもメロディは知っていてもタイトルが思い出せない曲だと思います。
なお、「七つ」は「七歳」なのか「七羽」なのかの議論があるようですが、
カラスは七年も経つと子ガラスではなくなり、かつ七個も卵を産まないらしいので、
いずれにしても生物学的には辻褄が合わないのだとか。

夕日」については、またCMばかりで申し訳ないですが、
自分の実家近くにあるモリ工業というステンレス加工業者が
「どんとほっせ」というステンレスの物干し台のブランドを販売しており
「ぎんぎんぎらぎら どんとほっせ♪」とCMで歌われていた記憶から、
このCMのイメージしかありません。

シャボン玉」の歌詞は生まれてすぐに亡くなった子供のことだという説も
あるようですが、自分は台風被害の歌だという笑い話が印象的です。
要するに、強風でシャボン玉が飛んで、その上さらに家の屋根までもが
強風で飛ばされて壊れて消えるという内容(笑)。
確かに、助詞「まで」の意味の捉え方により、「壊れて消えた」の主語が、
シャボン玉だけなのか、屋根も含まれるのかが変わりますね(笑)。
あとこの曲の最後、自然と「風風吹くな、大きな栗の木の下で♪」
となってしまいます(笑)。

肩たたき」は似たようなフレーズが5回繰り返される曲ですが、
メロディが同一の繰り返しではなく、出だしの部分は5回ともメロディが違います。
「タントンタントン」の部分もメロディが3種類もあります。
今回改めて調べて気付きました。
この曲、実は正確に記憶していて歌える人は少ないのではないでしょうか。

夕焼小焼」は小学校の下校のときに流れていた曲なので、
家に帰る曲というイメージがあります。
現在自分が住んでいる地域でも、午後6時になるとこのメロディが
どこからともなく聞こえてきます。
なので、自分がメロディを聴いた回数では、この曲はかなり多い音楽に
なるのではないかと思います。

あの町この町」も、上のも書きましたが、意外と歌のは難しいです。
「日が暮れる 日が暮れる」の部分、1回目と2回目でメロディが異なります。
「帰りゃんせ 帰りゃんせ」の下降部分も、こぶしのように8分音符が挟まります。
なお、この曲はスコア見ると2/4拍子になっていますが、
一般的には6/8拍子のように歌われています。なぜだろう?
「だんだんおうちが遠くなる」など歌詞は何やら怖く、短調であることもあって、
赤い靴」と共に怖いイメージの曲という印象を持たれている方も
多いのではないかと思います。

あめふり」も3番の歌詞の幽霊説(あらあらあの子はずぶ濡れだ、
柳の根方で泣いている)などもあって、怖いイメージもあるようです。
この曲は昔NHKで放送されていた「ゆうがたクインテット」での編曲が面白く、
この「あめふり」と、弘田龍太郎の「雨」(雨が降ります 雨が降る♪)を
同時に歌うという、何ともアヴァンギャルドな(笑)編曲が印象的でした。
「ゆうがたクインテット」の編曲については書き出すと面白いことが
いろいろあるので、機会があればどこかでまた何か書こうかと思います。

雨降りお月さん」は元々2番は「雲の蔭」という別の曲だったらしく、
2番には全く別のメロディが存在するようです。
現在は1番2番も同じメロディで歌われますが、レコードなどでは別のメロディを
収録しているケースもあるようです。

赤とんぼ」は何と言ってもゴミ収集車のメロディです。
前回「雪やこんこん♪」は自分の住んでいた地域では灯油販売のメロディであると
書きましたが、この曲も清掃車のイメージが強いです。
赤とんぼ=清掃車は自分はずっと全国区なのかなと思っていましたが、
大学の近所(大阪市内の大学です)では清掃車は全然違うメロディで
走っており、びっくりした思い出があります。
ちなみにその後さらに調べて気付いたのですが、大阪市のゴミ収集の曲は
「小鳥が来る街」という曲で、こちらの方がよっぽど超ローカルらしく、
まだ「赤とんぼ」の方がメジャーなのかもしれません。
そもそも清掃車がメロディを鳴らしてやってくること自体が珍しいという
意見もあるようです。

浜千鳥」「」の2曲は自分は知らない曲です。

叱られて」「からたちの花」も歌曲なので聴く機会が少なく、
真剣に聞いたことはありませんでしたが、よく聴くとすごく素敵な歌曲ですね。


---

今回はこのあたりで。
次回は30年代から50年代、戦中戦後の童謡を並べてみようと思います。
反唱歌運動であった童謡が再び「唱歌的」になっていく戦中、
再び外国曲が登場する戦後。
30年代以降はラジオやテレビの普及に伴い、
童謡はもっと多様なものになっていきます。