日本の歌100選 その1 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

「日本の歌100選」というものをご存じでしょうか?
「日本の歌100選」は、親子で長く歌い継いでほしいと思う歌を2006年に
文化庁が公募し、その中から101曲を選定したものです。
童謡や唱歌が中心ですが、中には日本古謡やポピュラー音楽も含まれています。
どうしても100曲に絞れなかったため、最終的には101曲になったのだとか。

この一覧ですが、ウィキペディアで確認することができます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%8C%E7%99%BE%E9%81%B8

いかにも「日本的だな」と感じる古い曲もあれば、
昭和中期以降にヒットした歌謡曲も見られます。
日本の歌との選定ですが、外国曲も含まれています。
(定義としては日本語詞の曲であれば選定の対象となるようです。)
小中学校の音楽の教科書に載っている多くの方が知っているような曲から、
特定の世代だけが知っているのではないかというような年齢限定的な作品まで、
それなりに幅広く選定されているようにみえます。

自分は割と童謡や唱歌も好きで、子供のころに覚えた曲だけではなく
その後色々な経緯で調べたり知ったりした曲の中にも好きなものもあります。
音楽はジャンル問わず比較的何でも聴く方なのですが、
童謡や唱歌はその中でも比較的好きな音楽の部類に入ります。

ということで、この「日本の歌100選」の楽曲について、あれこれコメントしたり
想い出を並べてみたりする記事を書いてみたいと思います。
そして、なぜこれらの曲が「日本の歌」として選定されたのかについても
少し考えてみたいと思います。

楽曲の紹介にあたり、YouTubeのリンクを張ったりした方が良いのかも
しれませんが、曲目が多いですし、面倒なのでやめておきます。
多くの曲はYouTubeなどで聴くことができますので、
ご興味のある方は調べてみてください。


---

ということで、第1回は「日本の歌100選」の中の
明治~大正初期の作品を並べてみます。

といっても、実はそれぞれの曲が「いつの曲」なのかを定義することは
意外と難しかったりします。
作詞と作曲で年代が違ったり、曲の完成と発表の時期がずれていたり、
あるいは曲が完成してから実際に広く歌われるようになるまでに
時間がかかったりで、何を基準にするかを決めることは意外と難しい。

例えば「蛍の光」のメロディの由来はスコットランド民謡、
詞は明治初期に日本語詞が作詞され、初出は1882年の「小学唱歌集」、
その後教育現場などで徐々に広がっていき、やがて卒業の歌となり、
各種メディアなどでクロージングの音楽としても使われるようになった、
という具合。

なので以下に明治~大正初期の作品をおおよそ年代順に並べてみますが、
「だいたいこのころには曲ができて広く歌われ始めていたのではないか」
くらいの選定です。

以下、23曲を並べてみます。
記載は、曲名-作詞者-作曲者の順です。
( )内は歌い出しです。


・蛍の光/稲垣千穎/スコットランド民謡
 (蛍の光 窓の雪)

・仰げば尊し/大槻文彦ら訳詞/H.N.D.
 (仰げば尊し 我が師の恩)

・埴生の宿/里見義訳詞/ヘンリー・ローリー・ビショップ
 (埴生の宿も 我が宿)

・夏は来ぬ/佐佐木信綱/小山作之助
 (卯の花の 匂う垣根に)

・花/武島羽衣/瀧廉太郎
 (春のうららの 隅田川)

・お正月/東くめ/瀧廉太郎
 (もういくつ寝ると お正月)

・荒城の月/土井晩翠/瀧廉太郎
 (春高楼の 花の宴)

・旅愁/犬童球渓訳詞/ジョン・P・オードウェイ
 (更け行く秋の夜 旅の空の)

・春が来た/高野辰之/岡野貞一
 (春が来た 春が来た どこに来た)

・虫のこえ/文部省唱歌/文部省唱歌
 (あれ松虫が 鳴いている)

・われは海の子/宮原晃一郎/文部省唱歌
 (我は海の子 白浪の)

・ふじの山/巌谷小波/文部省唱歌
 (あたまを雲の 上に出し)

・もみじ/高野辰之/岡野貞一
 (秋の夕日に 照る山もみじ)

・雪/文部省唱歌/文部省唱歌
 (雪やこんこ あられやこんこ)

・汽車/文部省唱歌/大和田愛羅
 (今は山中 今は浜)

・茶摘み/文部省唱歌/文部省唱歌
 (夏も近づく 八十八夜)

・春の小川/高野辰之/岡野貞一
 (春の小川は さらさら行くよ)

・村祭/葛原しげる/南能衛
 (村の鎮守の 神様の)

・早春賦/吉丸一昌/中田章
 (春は名のみの 風の寒さや)

・浜辺の歌/林古渓/成田為三
 (あした浜辺を さまよえば)

・冬景色/文部省唱歌/文部省唱歌
 (さ霧消ゆる 湊江の)

・朧月夜/高野辰之/岡野貞一
 (菜の花畠に 入日薄れ)

・故郷/高野辰之/岡野貞一
 (兎追いし かの山)


蛍の光」が1882年(明治15年)初出、「故郷」が1914年(大正3年)初出、
だいたい年代順に並べています。

日清戦争が1894年、日露戦争が1904年、第一次世界大戦が1914年。
日本が脱亜入欧を目標としいわゆる「一等国」になっていく過程と
ほぼ重なる時期です。
この時代から選ばれてる曲の特徴としては、
ほとんどが唱歌であるということです。
」などの一部を除き多くが文部省唱歌のようです

そもそもこの時代の音楽は教育と結びついており、
近代教育は軍隊と結びついています。
西欧列強に比肩する近代軍を養成することを主たる目的とした教育が行われ、
その中で「国民」としての連帯意識や共同体意識を生み出していく手段として、
音楽とりわけ合唱が利用されるようになります。
なので、メロディや作曲方法は西洋音楽に準拠したものでありながら、
そこに載せられる詞は日本的な風景を描いたものがほとんどです。
叙情的なものよりも叙景的なものが多い。
汽車」のような近代的なものを対象にした曲であっても
歌詞に登場するのは汽車の外の風景が中心です。
このあたり、「日本的風景」ともいえるものが元々あったのか、
それともこの時代に作り上げられたものなのか、
あるいは「日本的風景」と感じられるものだけが現在まで歌い継がれており
100選の中に選定される結果となったのか、どうなのかが興味深いところです。

上記のような理由より、総じてメロディは分かりやすく、
逆に歌詞は文語調のものが多いです。
全体的に七五調のメロディがかなり多い。
お子様が理解するのはなかなか難しい詞もありますが、このあたり、
大人になってから「こういう意味だったのか」と理解するのも面白いものです。
大人になってから「いい曲だったのだな」という歌が現在まで歌い継がれ、
選定されているということなのかもしれません。
このような教育現場を非常に意識した曲、「国家から国民へ」という唱歌に対し、
大正デモクラシー期以降は反唱歌、童謡推進の動きに繋がっていくのですが、
このあたりの曲は次回の記事に登場します。

この時期目立つのが、作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一の組み合わせです。
春が来た」「もみじ」「春の小川」「朧月夜」「故郷」の5曲がそう。
このコンビの特徴としては、少なくともこの100選に選ばれている曲の中には
七五調の曲がないということ。
春が来た」は5音の繰り返し、「もみじ」「春の小川」は7音の繰り返し、
朧月夜」は4-4-3-3音の組み合わせ、「故郷」は3-3-4音の組み合わせ。
このあたりのリズムと詞の関係を考えてみるのも面白いですね。

次に多いのが滝廉太郎の作品で、「」「お正月」「荒城の月」の3曲が
選ばれています。
こちらはすべて七五調の曲。
お正月」の歌詞は7-5音が計4回繰り返されますが、
2フレーズめと3フレーズめは詞に対する楽曲の速度が倍になっており、
4フレーズめに元のスピードに戻るという、この時代の唱歌のパターンからいうと
結構珍しい曲なのではないかと思います。
改めて滝廉太郎と「お正月」の面白さが確認できます。

あとは作詞作曲者不明の曲が多いのもこの時代の特徴。
そして西洋に学ぶ時代であるからか、外国曲が多いのも特徴的です。
蛍の光」「仰げば尊し」「埴生の宿」「旅愁」は、実は外国曲だったりします。
蛍の光」はスコットランド民謡、「仰げば尊し」のH.N.D.なる人物は
何者か特定できていないようです。


概要はこのあたりで、以下個人的な思い出を書きます。

まずこの中で自分が小中学校の教育現場で歌ったと明確に記憶のある曲は、
小学校では「ふじの山」「もみじ」「故郷」「朧月夜」「蛍の光」の5曲、
中学校では「旅愁」「早春賦」「冬景色」「」の4曲です。
荒城の月」は鑑賞の時間に聴いた記憶はありますが、
歌った記憶はありません。

もみじ」は混声二部合唱で、前半は輪唱、後半は上下パートに分かれて
歌った記憶があります。

蛍の光」はやはり卒業式で登場した曲です。
この曲は商業施設などの閉店を予告する曲として今でもよく耳にしますね。
元はスコットランド民謡とのことですが、その昔アメリカの「ザ・シンプソンズ」という
アニメのクロージングで、メロコア調に編曲されて使われていた記憶が
ありますので、やはり外国でも有名なのだと感じます。

早春賦」はモーツァルトの「春への憧れ」に似ていると指摘されることがあります。
出だしが少し似ていること以外は、全体としてはそんなに大きな影響は
ないようにも思いますが、どうでしょうか。

この中では「旅愁」「早春賦」「冬景色」が個人的に割と好きな曲です。

あと、「荒城の月」はどうしてもダウンタウンの同名のコント作品を
思い出すようになってしまいました。
ダウンタウン演じる老夫婦が、公衆トイレ直下の下水道に子供たちをさらい、
汚水に塗れる中で社会の平等を訴えながらみんなで「荒城の月」を演奏するという
とんでもないコント(笑)で、このコントを見て以降この曲を聴くとどうも
笑ってしまっていけません。


お正月」「」「虫のこえ」「春が来た」「春の小川」も、幼稚園もしくは
小学校低学年で歌ったような気もしますが、かなり記憶が曖昧です。

お正月」は替え歌で歌った記憶が強いです。
お葬式だとか、お餅食って死んだだとか、
不吉な替え歌であったことを記憶しています(笑)。

」は自分の中では灯油販売の音楽として定着してしまっています。
自分の実家近くでは、「ゆきやこんこん♪」の音楽を鳴らしながら、
トラックで灯油を売りにくる業者さんが、冬になると毎日のように
やってきていました。


われは海の子」「茶摘み」「汽車」「村祭」「夏は来ぬ」「仰げば尊し
浜辺の歌」「埴生の宿」の8曲は、明確に学校で歌った記憶がありません。

われは海の子」は自分は「われは海の子ワカメの子」という替え歌が
記憶にあるのですが、これが何だったのかよく思い出せません。
何かのCMだったのかなとも思いますが、記憶が曖昧です。

村祭」は週刊新潮のCMを思い出します。
「週刊新潮はただいま発売中です」というセリフとともに、
表紙のイラストが浮かんできます。

仰げば尊し」は卒業式の定番曲のようですが、地域性もあるのか、
自分は小中高と一度も歌ったことがありません。
なので実はこの曲、歌詞もメロディも曖昧で、自分はちゃんと歌えません。
(今この時点でも出だしのフレーズ以外思い出せません。)

浜辺の歌」「埴生の宿」の2曲は、歌詞もメロディも全く知らず、
おそらく生まれてこの方一度も聴いたことない曲だと思います。


さて、この中で一番好きな曲は「夏は来ぬ」です。
この曲、1番~5番までありますが、それぞれすべて5-7-5-7-7の短歌に
なっており、最後に「夏は来ぬ」の詞が追加されるという構成になっています。
メロディも綺麗で心地よいです。
そしてこの曲の5番、1~4番に登場した語句をごちゃ混ぜにして再現させるという
詞になっているのも妙な感じで面白いです。
「あわてんぼうのサンタクロース」の「シャラランリン チャチャチャ ドンシャララン」に
通じるものがあります(笑)。
複数のメロディを最後にポリフォニックに再現すると音楽が感動的になりますが、
歌詞の方で同じことをすると、なぜかチープな感じになるという(笑)、
このあたりを考えるにも面白い楽曲だと思います。


ということで、次回は大正~昭和初期の童謡を並べてみたいと思います。
時代は文部省選定の唱歌から、在野の作家による童謡へと
移り変わっていきます。