歌劇「ばらの騎士」/新国立劇場 | れぽれろのブログ

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5月30日の土曜日、東京に遊びに行ってきました。
目的はリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」、この作品が初台の
新国立劇場で演奏されるとのことで、
わざわざ東京まで行ってきたのでした。
新国立劇場は前々から1度は行ってみたかった場所、「ばらの騎士」も大好きな
オペラなのですが、まだ生で鑑賞したことのない作品です。
「ばらの騎士」は数年前にびわ湖ホールで鑑賞の機会がありましたが、
スケジュールが合わず行けず仕舞いでした。
なので、高いチケット代と新幹線代を払ってでもこれはぜひ行きたいなと思い、
チケットを買って東京まで行くことにしました。
(東京の公演は関西に比べて同じ内容でも1.5倍くらい値が張る気がします。)

前回の記事で書いたとおり、自分は5月末で今の仕事を退職しました。
退職しようと決めたのは4月ですが、チケットはそれ以前から予約しており、
5月になってからふと気づくと、よく考えたら最終出社日(29日の金曜日)の
次の日が東京行き。
なので、最終出社日は何とか引継ぎを終わらせ、早々に帰宅。
慌ただしかったですが、30日に無事東京に行くことができました。

新幹線で新大阪から品川へ、山手線で品川から新宿へ、
新宿から京王線で初台へ向かいます。
東京の恐ろしく分かりにくい(笑)鉄道の路線図を見ながら、京王線の入口まで
行って切符を購入しましたが、
一瞬初台への行き方が分からず混乱しました。
初台へは京王新線で行かねばならず、乗り口が違うようですね。
ああややこしや。


自分はシュトラウスの「ばらの騎士」がすごく好きです。
一番好きなオペラと言われるとモーツァルトのどれかになりますが、
それ以外で1作だけ好きな作品をあげろと言われると、
おそらく「ばらの騎士」を選ぶことになると思います。
シュトラウスの「サロメ」や「エレクトラ」では前衛的な作風でしたが、
その後シュトラウスは作風を変更、古い貴族社会を舞台にした
ややマニエリスム的なオペラを作曲、これが個人的にすごく心地よく感じます。

若い貴族の男の子オクタヴィアンと不倫する30代の人妻マルシャリン、
偶然が重なりオクタヴィアンの前に若い女の子ゾフィーが現れ、
マルシャリンは若い2人のために身を引く、というのが物語の主要なプロット。
ゾフィーは新興ブルジョワジーであるファーニナル家の娘で、
好色でコミカルな悪役である没落貴族のオックスと
政略的な結婚をする予定でしたが、諸々の計略と紆余曲折により、
最終的にオクタヴィアンとゾフィーが結ばれる、というお話。

全編に至りウィーン風の舞曲を20世紀的に解釈したような音楽が続き、
諧謔的な要素を含みつつ陶酔的で官能的でもあるという、すごく面白い音楽。
シュトラウスのオペラは基本ワーグナーの延長上にあるのだと思いますが、
陶酔的なワーグナーの音楽に諧謔性と官能性を加えたような感じがします。
ワーグナーも官能的な音楽と言えるかもしれませんが、
何というか、シュトラウスの方が音に色気がある気がします。
尾籠な言い方をすると、シュトラウスの方が「音がエロい」。
まあ、このあたりは個人の主観ではありますが(笑)。

「ばらの騎士」は18世紀的な貴族社会における男女の愛を描いた作品ですが、
もう一つのテーマは、歳をとるということに対する諦念です。
未来への希望あふれる若い二人(オクタヴィアン、ゾフィー)と
対照的に描かれるのが、中年の二人(マルシャリン、オックス)です。
マルシャリンは若い男との刹那的な情交から足を洗い、没落貴族オックスは
金銭面からの政略結婚と若い女の子を「モノにする」ことをあきらめます。
自分が初めてこのオペラに接したときはまだオクタヴィアンやゾフィーに
近い年齢でしたが、今やマルシャリンの年代に入り、「身を引く」という気持ちは
なんとなく分かるようになりました。
「ばらの騎士」は85歳まで生きたシュトラウスの40代半ばの作品。
「サロメ」や「エレクトラ」で攻めのオペラを作曲した作家の人生の
折り返し地点における心境を現している、ということなのかもしれません。

オクタヴィアンはズボン役(女性歌手が男性役を演じる)で、この女性演じる男性が
劇中で女装するという倒錯ぶり(?)もこのオペラの魅力です。
このあたり、「フィガロの結婚」のケルビーノと少し重なりますね。
そして何と言ってもオックスのキャラがいい!
我儘で好色で間抜けな3枚目、こういうキャラクタは魅力的でよいですね。


ということで、新国立劇場の「ばらの騎士」です。
指揮はシュテファン・ショルテス、主役級4人(マルシャリン、オクタヴィアン、
オックス、ゾフィー)及びファーニナルは
すべて外国人キャストで、
それ以外の脇役は日本人キャストでした。
オケは東京フィルフィルハーモニー交響楽団。

序奏からかっこよくスタート、いいテンポで進んでいきます。
前もどこかで書いたと思いますが、この序奏はあからさまな性描写です。
序奏が終わり幕が開くと、ロココ風のお部屋でマルシャリンとオクタヴィアンが
戯れており、マルシャリンの最初のセリフは「あなたは素晴らしかった」。
果たして何が素晴らしかったのでしょうか・・・笑。
舞台は白を基調としたシンプルなセットで、右手奥に廊下があり、
左手にマルシャリンのお部屋という作りです。
室内はあまりきらびやかではありませんが
(さすがにメトロポリタンやコヴェントガーデンのような訳にはいかない)
シンプルなロココ風のお部屋は心地よいです。
やがてオックスが登場し、気持ちの良い音楽が続きます。
聴いているだけでうっとりしますね。

1幕中盤、来客がどどっと流れ込んでくるシーン、
この部分の目まぐるしく変わる音楽も自分はすごく好きです。
テノール歌手はルバートを多用してのびのびと歌っていました。
オックスがフライング拍手するのも面白いです。

ちなみにこのシーン、18世紀イギリスの風刺画家ウィリアム・ホガースの
以下の作品を思い出します。

・連作「当世風結婚」より/ホガース

当世風結婚4

「当世風結婚」の4枚目。
中央右側には髪の手入れをされる女主人、
画面の左側にはオペラ歌手(この絵ではカストラートという設定のようです)、
そしてその後ろにフルート奏者、右下には召使の黒人少年。
そのまんま、「ばらの騎士」1幕中盤のシーンですね(笑)。
「当世風結婚」は、富裕なオランダ商人と没落するイギリス貴族の政略結婚と
その破綻を描いた連作です。
シュトラウスとホフマンスタールには、この作品が念頭にあったのかもしれません。

そして1幕後半、人生の儚さ、経年変化への諦念を歌う、
マルシャリンのモノローグ。
前半最大の聴かせどころ、うっとりと鑑賞。
「ばらの騎士」は各幕ともすべて「かっこよく始まって静かに終わる」という
構造です。
シュトラウスの他の交響詩にもこのパターンは多く、
このあたりがシュトラウスの美学なのかもしれません。


2幕はファーニナルの屋敷です。
1幕から壁などの基本構造はそのまま流用されていますが、
お部屋の奥行きは1幕より広くなっています。
銀の薔薇を贈呈する若いオクタヴィアンに対し、
オックスと政略結婚するはずだったゾフィーの心は一気に揺れ動く。
2幕は素敵な音楽がたくさんあります。
オクタヴィアンとゾフィーの出会いの二重唱、
その後の二人のイチャイチャ二重唱、そして後半のオックスのワルツ。
官能的で陶酔的な音楽が続きます。

途中、オックス一味が狼藉を働くシーンがありますが、
この狼藉ぶりはお部屋の外で行われているとの解釈で、
騒がしい演出がなかったのが何やら残念。
オックスの最後の最低音も綺麗に響き、2幕も静かに終了。


3幕は1,2幕とは逆に左側が廊下で右側がお部屋という構造。
騒がしい前奏曲が奏でられ(この前奏もいいですよね)
幕が開くとオックスを陥れるためのオクタヴィアンたちの計略シーン、
壁の高いところに穴2ヶ所、そして床に穴1か所。
部屋の隅にはベッドが隠されており、
そのベッドを隠しているのがフラゴナールの閨房画でした。

・The Useless Resistance(無駄な抵抗)/フラゴナール

無駄な抵抗というより、女の子に抵抗する気がないという感じの作品(笑)。
この絵の2人がマリアンデル(女装したオクタヴィアン)とオックスと重なります。
3幕前半のイチャイチャシーンの音楽も自分は結構好きです。

感情が高ぶり、熱くなってきたオックスは、なんとカツラを取り外します。
実は彼は禿頭であったことが明らかになるという演出。何この演出(笑)。
この後カーテンコールに至るまで、オックスはずっとヅラが取れたり
被りなおしたりで、何度も笑いをとっていました。
このような演出の場合、関西だとケタケタ笑うおばちゃんたちの声が
聞こえてきますが、さすが新国立劇場、お客さんの反応もそんなに軽くはなく、
やはりここは尼崎アルカイックホールとは違うのだということを
改めて感じます(笑)。

警察官が登場し、オックスを陥れる大混乱シーンが終わった後、
音楽はいよいよクライマックスです。
ばらの騎士は全体の大クライマックスがほぼこの三重唱のみで、
全体的に頂点が少ない節約オペラ。
なのでこの部分の感動はひとしおです。生演奏はいいなあ。

自分はこの三重唱の前の最初の和音を聴いただけでウルっときます。
泣くという感情は目の前で起こっている事柄に対する解釈として起こる場合も
ありますが、多くはある条件である感情のスイッチが入ったときに反射的に起こる
現象でもあります。
なのでこの三重唱も条件反射的に泣きます。
この日の前日は最終出社日で、職場の女の子から花束を贈呈されて
みんなとお別れしたときも涙は出ませんでしたが、ここへ来て昨日の気持ちやら
何やらがないまぜになり、
オペラの内容と直接関係はないにしても、
泣けてくるのはやはり音楽の力なのだと感じます。
未来への希望と過去への思いを三者三様に歌い上げ、
音楽は静かな愛の二重唱へ、ここがまた素敵ですね。
子どもの召使いが登場しややコミカルな音楽になって、おしまい。


ということで、また例によってこの日の演奏に対する感想になっていない(笑)
記事ですが、東京でオペラを見るという得難い機会を持てて非常に良かったと
思いましたので、
その思いを記事に残しておきます。
東京での鑑賞はまとまった出費が必要ですし、機会もなかなかないですが、
チャンスがあればまた新国立劇場に訪れたいですね。

初台を後にし、この日宿泊予定の新宿へ向かい、人ごみの中を歩いていると、
先ほどの「ばらの騎士」の感慨はどこへやら、
脳内スイッチがあっという間に
切り替わり、
「歌舞伎町の女王」「浴室」「群青日和」「歌舞伎」などの
椎名林檎さんの楽曲が
流れ始めます。
人間の心など、適当なものですね。


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<おまけ>

この日(30日)の夜、地震がありました。
久々に強い揺れを体感し、非常に怖かったです。
物凄い揺れを感じ、東京では震度4を観測、何でもマグニチュード8.5だとか
(その後8.1に訂正されたようですが)、震源が観測史上最も深いだとかで、
巨大地震だと報道されていました。

この日の「ばらの騎士」の公演は午後14時開演で、
18時台には公演は終了したため、東京で食事をしたとしても
まだ新幹線で大阪へ帰ることはできる時間帯でした。
しかし、せわしないのは嫌なので、一泊して翌日に帰ることにし、
新宿のビジネスホテルを予約したのでした。

ニュースを見ると、地震で山手線をはじめとする鉄道が運行を停止しており、
東海道新幹線も止まっています。
その後のニュースでは新幹線の中で夜を明かした方もおられたのだとか。
もしこの後大阪に帰る予定だったなら完全に足止めを食らい、
自分も新幹線の中で夜を明かすことになったかもしれず、
宿取っておいてよかったなと思った次第です。

新国立劇場の開演前には、
「この劇場は震度7でも耐えられるように設計されている」
云々のアナウンスが流れていました。
こんなアナウンスが流れるなんて、やはり関東は関西より地震が多いのだと
いうことを改めて実感しましたが、このときはこの後本当に地震が来るとは
思ってもいませんでした。
何でもエレベーターに閉じ込められた人もおられたらしく、
新宿の高層ビルなどを下手に観光気分でウロウロしなくてよかった(笑)。


実は2年前にフランシス・ベーコン展とマリオ・ジャコメッリ展を鑑賞しに
東京に来たときも、出発に日の朝に大阪で地震があり、
電車が大幅に遅延する中東京までやってきたという思い出があります。
3年前、大原美術館などの中国地方の美術館を巡った際にも大雨が降りましたし、
昨年島根県立美術館など山陰を巡ったときも土砂災害で電車がとまりました。
どうも自分が旅行に行くと災害が起こるようです(笑)。

古くは94年の北海道東方沖地震のときも、ちょうど自分は修学旅行で
北海道におり、この地震を体験しています。
調べてみると、ここ数十年の地震規模(マグニチュード)の上位は、
311の地震(M9.0)を除くと、この94年の北海道地震(M8.2)と今回の地震(M8.1)が
2強になるのだそうで、この2つをより震源に近い位置で経験しているというのも
なかなか珍しいことなのかもしれませんね。


ちなみに自分は今後、紀南方面、甲信方面、北九州方面に旅行に行きたいなと
思っています。
自分が旅行に行く地域では災害が発生する可能性が高まるようですので、
上記の各地域にお住いの方は、防災にはお気を付けください(笑)。