交流分析② ストローク | れぽれろのブログ

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交流分析についてまとめてみようシリーズ、
第2回目はストロークについて書いてみます。

※この記事は交流分析を学問的にまとめたものではなく、
  自分なりの交流分析の理解と実践を書き留めたものです。
  学問的な厳密さからすると誤りを含む可能性もありますので、
  正しく理解されたい方は専門書を当たってください。


全体のメニューは以下のとおり。
 (1)構造分析(エゴグラム)
 (2)交流(ストローク)
 (3)対話分析
 (4)ゲーム分析
 (5)時間の構造化
 (6)脚本分析(ストーリー)

前回は(1)について書きました。
今回は(2)について書いてみます。


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◎ストローク

ストロークは、交流分析においてエゴグラム分析と並んで
重要な考え方だと思います。
ひょっとしたら自分の過去記事でもストロークという言葉が無意識に
登場していたかもしれませんが、これは交流分析の用語です。
ストローク(stroke)は直訳すると「打撃」や「一撃」という意味になるようですが、
交流分析では「人の存在を認めるための一単位」と定義され、
「他者と交流する」ことを、「ストロークを交換する」と表現したりします。
他者とコミュニケーションをとるということは、
ストロークをやり取りしているということになります。
自分なりに意訳すると、他者とコミュニケーションするときによく
「会話のキャッチボール」という例えが使われることがありますが、
ストロークとはこの例えでいうボールに相当するものです。
交流=ストローク交換、他者との交流においての刺激=ストローク、
と考えても大きく間違いではないと思います。
本によっては、「ふれあい」「心の栄養」のように説明されている場合もあります。

「おはよう、今日はいい天気ですね。」
「そうですね、素敵な一日になりそうですね。」
というような日常会話も、ストロークの交換です。
ストローク交換は単に言語的なコミュニケーション(言葉のやり取り)だけで
生じるのではなく、例えば握手するとか頭を撫でられる(撫でる)とか、
あるいは仕事を通して他者と関わるだとか、こういったこともストロークの
やり取りになります。

ストロークの交換、ストロークをやり取りすることは、
我々が生きていく上で非常に重要です。
極端に言うと、我々はストロークへの欲求のために生きていると言っても
過言ではないと思います。
(厳密には「時間の構造化」と「構えの証明」も重要なのですが、
それはまた別の回に書きます。)

他者から承認されたいという思いも、ストロークへの欲求です。
良い成績を取りたい、良い学校に入りたい、社会的地位を得たい、
こういった思いも、背後にはストロークへの欲求があります。
例えばブログを書いて誰かに読んでもらいたいなと思うことも、
ストロークへの欲求なのだと思います。


◎ストロークの分類

ストロークは以下のように分類されます。

(1-a)言語的なストローク
(1-b)非言語的なストローク

(2-a)陽性のストローク
(2-b)陰性のストローク

(3-a)無条件のストローク
(3-b)条件付きのストローク

ストロークは一般に、この(1)(2)(3)の組み合わせです。
それぞれ(a)(b)のパターンに分けることができます。
ストローク交換において問題が生じるのは、
(2-b)及び(3-b)が関わるパターンです。


(1-a)言語的なストロークは、通常の言葉のやり取りです。
(1-b)非言語的なストロークは、身振りや手振り、
態度や雰囲気で伝えるものです。
うなずく、握手する、頭を撫でる、抱きしめる、などが非言語的なストロークです。
あるいは、会話の途中で黙り込んでしまう、ということも
非言語的なストロークです。

(2-a)陽性のストロークは、受け取ったときに気分が良くなるストロークです。
逆に(2-b)陰性のストロークは、受け取ったときに不愉快になるストロークです。
人を罵倒する、嘲る、いたずらする、陥れる、などは陰性のストロークです。

なぜこのような不愉快な陰性のストローク交換が発生するのでしょうか?
ストロークへの欲求が強く、それでいて陽性のストロークが得られないとき、
人は陰性のストロークを集めるようになります。
好きな子の気を引くため、わざと意地悪するという行為を思い出してみると
分かりやすいと思います。
人はストロークへの欲求のために生きていますので、ストロークが全くない
状態より、不愉快であってもストロークがある方を求めるのです。
無視されるよりは否定的であれ関わっていたい。
陰性のストロークという考え方は、ストーカーやその他の対人関係の症例を
幅広く説明できる考え方だと思います。

(3-a)無条件のストロークは、相手の存在そのものに与えられるストロークです。
逆に(3-b)条件付きのストロークは、相手の行為に対して与えられる
ストロークです。
例としては「良い成績を取ったから褒めてあげる」「プレゼントをくれるから好き」
のようなパターンです。
それぞれ、「良い成績を取る」「プレゼントをくれる」という行為を
承認しているのであり、相手の存在を承認しているわけではありません。
成績が悪くなったり、プレゼントをあげなくなると、
ストロークは与えられなくなります。
条件付きストロークばかりが与えられると、ストロークへの欲求のため人は
過度に特定の行為に向けて励むようになりますが、何らかの原因で
行為が果たせなくなった場合、関係性が破綻することになります。
条件付きストロークは実は問題を秘めているのです。


(2)(3)のパターンの交流の例をもう少し挙げてみると・・・

「あなたがいるだけで幸せだ」
  ・・・陽性-無条件のパターン

「あなたはお金持ちだから好きだ」
  ・・・陽性-条件付きのパターン

「あなたはすぐ嘘をつくから嫌いだ」
  ・・・陰性-条件付きのパターン

「あなたのことは生理的に嫌いだ」
  ・・・陰性-無条件のパターン

陽性-無条件以外は、すべて問題を秘めていることが
なんとなくお分かりかと思います。

現実のコミュニケーションはもっと複雑で、ストローク交換は
コミュニケーションの流れの中で
(1-a)~(3-b)を自由に変化させていきます。
普段は仲の良い夫婦が些細なことからいがみ合い、お互いの欠点をあげつらい
罵倒し合いつつ、結局最後は涙を流して抱き合う、
なんてのはストローク交換の
全要素が含まれています。


◎ストロークの法則

交流分析では一般に以下の5つの法則が成り立つと言われます。

・無条件に陽性のストロークを得ている限り、人の心は安定している。
・陽性のストロークが不足してくると、人は陰性のストロークを集め始める。
・条件付きのストロークばかりを得ていると、人は陰性のストロークを集め始める。
・陰性のストローク集めは陽性のストロークが与えられない限り永久に続く。
・ストロークがないことは人にとって最大の値引き(discount)である。

4つめまでは読んで字の如くですが、5つめが少し分かりにくいと思います。
自分なりに意訳すると、要するにストロークがない状態は
ものすごく生きがいのない状態である、というような意味合いで捉えて
よいのではないかと思います。


◎社会に当てはめて考えてみる

ストロークの法則は社会の諸事象を説明するのにも有効だと思います。

例えば、上にも書きましたが、ストーカーは陽性のストロークが得られない場合に、
陰性のストロークでもよいので、ストローク得ようとする行為だとも考えられます。
SNSなどで行われる「釣る」だとか「炎上させる」だとかの行為も、
陰性のストローク集めの典型ですね。
こういった行為をしている人は、きっと他者からの承認が不足しているのだと
思います。
好きなタレントやアイドルなどを攻撃するという心理についても、
同様のことが当てはまるかもしれません。

条件付きストロークは教育の場でよく登場するメッセージです。
例えば「宿題をやったら褒めてあげる」のようなメッセージがそうです。
しかし、「良い成績だから偉い」「良い学校に入ると偉い」と言って育てられた
子供は、親は本当に心から自分を愛してくれているのか、と考えるようになります。
「可愛いから好き」「優しいから好き」など、条件を付けて人を好きだという
ストロークも、「可愛いから好き」→可愛い人は他にもいる、
「優しいから好き」→優しい人は他にもいる、となってしまい、
「私でなくてもいいのか」という印象を与えてしまいそうです。

90年代の一連のオウム事件を起こした犯人たち。
彼らの中には良い学校を出て社会的承認を得ていた人もいます。
彼らが社会から得ていたのは、ひょっとしたら条件付きの承認ばかり
だったのかもしれません。
なので、無条件で自分を受け入れてくれる教義に心酔したのかもしれません。
しかし、その後の教団内での関わり合いが「教団のために罪を犯せるか」という、
やはり条件付きストロークが前提となるコミュニケーションに移り変わっていった
ようにも思われ、このあたりが何ともアイロニカルだなと感じます。

先鋭的な宗教は行動(世直し)を起こそうとします。
このような宗教における信者の行動の背景には、神やグルなどの絶対者に
承認されたいという動機があるようにも思われます。
911のテロを起こした人たちにも同様の背景があったと考えることができそうです。
条件付き救済(こうすれば救われる)を謳う宗教はたくさんありますが、
条件付きストロークと同様、度を超すと問題が発生します。
無条件の救済、
例えばカトリックのように「イエスによりすべての人の罪は許される」、
あるいは大乗仏教のように「阿弥陀様があらゆる人を救済する」のような、
無条件-陽性のストロークに似た構造の宗教の方が、衝突なく人を幸福に
するのではないかという気もします。

一般に企業などの組織(アソシエーション)は、ほぼ条件付きストロークのみで
満たされる場です。
成果をあげれば承認される、そうでなければ承認されない。
仕事を通しての自己実現というのは、条件付きストロークを求めることです。
このような過酷な条件付きストロークの世界に堪えられるのは、組織以外に
無条件-陽性のストロークが得られる場があってのことなのではないでしょうか。
一般にユダヤ系や中華系は血縁社会であると言われます。
ユダヤ系・中華系企業の強みは、血縁をベースにした無条件の承認を
得られる場があることなのかもしれません。

この点日本は血縁社会ではない(遠くの親戚より近くの他人)こともあり、
無条件の承認を得られる人は限られています。
無条件-陽性ストロークが絶えず得られるような家族形成は、
現代日本では多くの場合現実的に非常に困難です。
高度成長時代のある時期において、日本企業は終身雇用・年功序列の
状態でした。
この時期人がモーレツに働けたのは、無条件の承認に近い状態
(決してのクビにはならず、賃金は必ず上がる)
があってのことだったのかもしれません。
現在の日本のビジネスマンが、個人的利益を越えた組織へのコミットがなく、
それゆえに効率的な成果を出せないのは、構造的必然なのかもしれません。

かなり飛躍したかもしれませんが、ストロークによる承認という考え方は、
社会の様々な分析に応用できそうです。


◎自分なりの理解と実践

現代人は割とストロークがない状態であっても、
生きていくことができる環境にあると思います。
個人で楽しめるツールがたくさんあり、音楽や映画や読書などの趣味は、
他者とのコミュニケーションなしにそれ自体を単体で楽しむ場合、
基本的にストロークとは関係ありません。
(製作者から一方向のストロークを得ているとも取れますが、
このあたりはちょっと分析が難しいです。)
ゲームや飲酒などもストロークを忘れさせる行為です。

濃密なストローク交換は、多くの現代人にはそぐわないのかもしれません。
上に濃密な夫婦喧嘩の例を挙げましが、こういう深い関わり合いを現代人は
避ける傾向にあると思います。
自分もどちらかというとそいうのを面倒くさがる傾向があります。
故に現代人はお手軽なストローク交換を求めます。
ブログや掲示板などのSNSは、簡単なストローク交換の場で、
基本ルールを守りながら、気軽に陽性ストロークのコメントを交換できます。
仕事でやっているだとか目標があってやっている場合は別にして、
プライベートでSNSを利用する人の心の背景には、
やはりストローク不足(discount)ゆえの寂しさがどこかにあるようにも思います。
このような気軽な陽性ストロークの交換があれば、
現代人は意外と生きていけるのかもしれません。

しかし、濃密で深い関わりを避けていると、やはり無条件-陽性ストロークを
得続けることは難しい。
すなわち、強度のある人生を送ることは難しい。
愛が深いと諍いが起こりますが、諍いを避けて愛を得ることはできないのです。
無条件の陽性ストロークを得続けるにはどうすればよいか。
おそらく、自らが他者を無条件に承認すると言うことをおいて他に
ないのではないかと自分は考えます。
そして、そういった関係を作り維持していき、強度のある人生を送ることは
現代人にとってはすごく難しい。
現代人の苦しみ、漠然とした不安の背景には、
このような構造があるのではないかと推測します。


◎まとめ

自分なりのまとめです。

・ストロークの欲求は人の人生の重要な部分を占める。
・陰性ストロークを求める人の背後には陽性ストロークの不足がある。
・条件付きストロークの積み重ねはいずれ問題を露呈させる。
・ストロークを通した心理分析は社会分析にも応用できる。
・無条件の陽性ストロークを得られる関係性を構築するには、
 自ら他者を無条件に承認する以外にはない。 

5つめのポイントはかなり主観的な捉え方ですが、
だいたいこんなところだと思います。


次回は対話分析について書いてみようと思います。