社会を考える -リベラリズム- | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

社会シリーズの続き、今日は「リベラリズム」について書いてみたいと思います。
リベラリズムの思想内容とは、リベラリズムの歴史とは、
そして日本における保守と革新とは、等々について、
自分の考えなどを書き留めておきます。


リベラリズムとは何でしょうか?
直訳すれば自由主義となります。リベラル=自由 です。
ただ、一口に自由主義と言っても、古典的自由主義や
新自由主義(ネオリベラリズム)や自由至上主義(リバタリアニズム)とは
考え方がずいぶん異なります。
単にリベラリズムと行った場合、一般に、圧政からの自由、搾取からの自由、
恐怖からの自由、欠乏からの自由、など、
こういった意味合いが
リベラリズムには含意されているように思います。
そして、上記3つの自由主義が保守思想寄りであるのに対し、
一般にリベラリズムは革新思想であると言われます。

リベラリズムがどのような思想なのかについては、学問的には何らかの定義が
あるようですが、その内容は難しく、時代によっても定義が変わってくるもの
なのだと思いますが、
自分はおおむね以下のように理解しています。
大前提として個人の自由を尊重・重視する。
ただし、個人は一人では生きて行けないため、
コミュニティによる相互扶助を重視する。
コミュニティだけでは問題が解決しない場合は、
より大きな主体(例えば国家)による再配分を積極的に肯定する。
経済的競争原理は否定しないが、それにより個人の尊厳が損なわれる場合は、
経済活動は制限すべきと考える。
宗教やイデオロギーによる束縛を否定する。
古典的自由主義や新自由主義(ネオリベラリズム)や自由至上主義
(リバタリアニズム)とは異なり、政府の働きを重視し、社会的公正を目指す。
社会的・経済的公正を確立するためには、政府が積極的に社会や市場に
関与すべしという立場なので、上に挙げた3つの自由主義よりは、
平等を志向する。
ざっくりこのような考え方であると理解しています。
その他、死刑を否定したり、同性愛を肯定したり、銃の所持を否定したり、
環境問題を重視したりする傾向があるようですが、このあたりは国や社会に
よっても考え方が異なるようです。
ちなみに、過去記事でも何度か書いていることですが、自分はこのような
リベラリズムの考え方に共感的で、リベラルな政策を肯定する傾向にあります。


リベラリズムはどのような歴史をたどって来たのでしょうか?
自分は歴史的経緯を整理したり考えたりすることが好きなので、
いつものごとく(?)少し纏めてみたいと思います。

古くは18世紀末のフランス革命に遡ります。
王権を打倒するために、自由と平等を掲げた革命です。
これがリベラル思想のはじまり。
しかし、フランス革命は思いもよらぬ経過をたどリます。
革命派はブルボン王朝の王様をギロチンにかけ、政権を掌握しますが、
紆余曲折の末、互いが互いを処刑し合う恐怖政治となってしまいます。
挙句の果てに一軍人であったナポレオンがいつの間にか台頭し、政権を掌握、
大衆の圧倒的人気を背景に皇帝の座に付き、自由と平等を目的とした共和政が
いつの間にか帝政となってしまいます。
さらにナポレオンは欧州全土に戦争を仕掛け、大混乱を巻き起こします。

ナポレオンが失脚し、混乱が収まったあと、保守主義が登場します。
思想的な革新は革命的混乱をもたらすので、既存の社会秩序を重視した方が
良いという考え方、体制の急激な変革は良くないという考え方がベースです。
同時に共産主義もフランス革命のあとに登場します。
こちらは経済や歴史に言及し、フランス革命的な平等理念をより大規模に
拡張しようとした思想です。
また、産業革命以降の都市問題の深刻化、都市の貧民救済や労働者の
環境改善を中心とした社会福祉の考え方が、19世紀~20世紀初頭にかけて
徐々に広がって行き、
これが今日でいう社会民主主義に繋がっていきます。
このころに誕生した保守主義、共産主義、社民主義が、
20世紀の思想史に大きな影響を与えるようになります。

第1次世界大戦後、共産主義国家ソ連が誕生し、
コミンテルンという組織で共産主義思想を世界的にを拡大していきます。
そんな中、1929年に大恐慌が発生、この後のかつてない不況は
各国の経済に大打撃を与えます。
大恐慌以前はいわゆる古典的自由主義が主流の考え方、要するに
経済活動の自由は妨げるべきではないという考え方が重視されていました。
しかしソ連の台頭と大恐慌の発生により、従来の古典的自由主義は
修正を迫られることになります。
そんな中、アメリカで登場したのが民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領。
彼はニューディール政策を打ち出し、国家が経済に積極的に介入していく
下地を作ります。
社会の困窮を放っておかず、国家が経済を通して積極的に社会や個人を
サポートするべきだという考え方、今日のリベラリズムの考え方の源流が
ここにあるのだと思います。
この時期以降のアメリカ民主党の考え方が、歴史を引き継いで現在の
オバマ大統領にも受け継がれているのだと思います。
この考え方の背景には、大恐慌をもたらした古典的自由主義に対抗することと
同時に、コミンテルンの脅威に対応する考え方、
要するに共産主義でやろうとしていることは、
自由主義でもできるのだと
いうことを示そうとしたということがあります。

そして第2次世界大戦が終了し、東西冷戦が激化します。
同時に帝国主義の完全な終焉とともに多くの国家が独立し、
いわゆる第三世界を形成します。
世界は西側自由主義諸国-東側共産主義諸国-第三世界という
構造となります。
核兵器の脅威のもと、西側諸国はルーズベルト的なものをより推し進め、
東側への対応として福祉国家を実現していきます。
高度経済成長を達成し、中間層が増大していきます。
中間層とは一般的に、いわゆる今日的な核家族からなり、郊外に住み、
父親は会社勤め、母親は専業主婦、
子どもは学校に通いやがて
会社に勤めるための準備(労働力の再生産)を進める、そんな社会層です。
中間層は自らの経済的安定と自由を欲し、そのための手段として
社会的公正と平等を要求、それが結果として民主主義を重視する考え方に
結びつきます。
このような考え方の中、アメリカでは60年代には公民権運動が盛り上がり、
女性や黒人の地位が上昇していきます。まさにリベラリズムの時代。
アメリカでは30年代から60年代にかけて、
アイゼンハワー(彼は第2次世界大戦の英雄であった)の8年間を除き、
民主党候補(ルーズベルト、トルーマン、ケネディ、ジョンソン)が常に
大統領であり続けます。
しかしこの経済成長とその利益の国家的再分配は、実は直接的・間接的に
第三世界からの経済的搾取によって成り立っているという構造を持っていました。

70年代になると変化が訪れます。
第三世界の勃興が始まります。
今日でいうグローバル化のスタート、それが手始めに
オイルショックとう形で現れます。
途上国が単なる搾取の対象ではなく、独自に主権国家としての立場を主張し、
経済成長の達成を望むようになります。
西側諸国の高度経済成長時代が低成長時代となり、福祉国家政策が徐々に
破綻していき、各国とも財政赤字の対応に苦しむことになります。
同時にソ連を中心とする東側諸国の凋落も明らかになってきます。
西側諸国にとって共産主義化の脅威が徐々に薄らいでいき、
ソ連に対抗するために平等性を志向することが、
必ずしも必須の政策であるとはされなくなってきます。
これらのことが重なり、以後数十年かけて西側諸国の中間層は
徐々に解体していくことになります。

80年代は保守の時代です。
ルーズベルト以来のリベラル-革新主義的体制に本格的に疑問が
投げかけられ、またこの体制の維持が社会の持続的存続を困難とする考え方が
主流になってきます。
レーガンやサッチャーが登場し、財政赤字の対策を推進、
福祉の切り捨てが本格化します。
経済格差は増大し、中間層はいよいよ解体して行きます。
レーガンやサッチャーの保守政権の考え方は、単に財政再建のみが
目的なのではなく、リベラルな体制が旧来的な社会の良き部分を
ダメにするのではないかという
考え方も背景にあります。
アメリカであればキリスト教や州自治や経済的自由の考え方、
イギリスであれば階級的連帯や経験論的思想が保守の対象に
なるのだと思われます。
しかし、行き過ぎた保守政策は大衆の反感を買い、それがアメリカでは
92年のロス暴動という形になって表れます。
共和党レーガンの後継で、湾岸危機とソ連崩壊を軟着陸させ、
外交面では大きな活躍をしたブッシュ(父)は内政面では大衆の反感を買い、
92年の大統領選挙で敗北、93年からは民主党クリントンの時代となり、
イギリスも96年に労働党のブレアにスイングバックします。
以降英米では、数年単位で保守政権とリベラル政権の間をウロウロしながら
現在に至っていますが、その背景には20世紀中盤のリベラル政策への憧憬と
それ以前の民族的基盤への憧憬の間で
揺れ動いているということが
あるように思います。
しかし、医療保険制度改革のようなリベラル的政策を行うリベラリスト・オバマが
むしろ貧困層から非難されるというアイロニカルな事態が、中間層が解体した
今日のリベラリズムの困難性、民主主義の困難性を表しているように思います。


さて、日本はどうなのでしょうか?
日本では長らくリベラル政党がありませんでした。
55年の保守合同に際し登場した自由民主党が長らく単独で政権を取る
時代が続き、この保守政権のもとで高度成長時代の集権的再配分が
なされました。
反対勢力であった社会党はリベラルというよりもどちらかというと社民主義寄りの
政党で、ソ連の影響力を背景にした反対勢力の域を出ない政党でした。
日本は福祉国家というような政策は取らず、分厚い企業コミュニティの中での
再配分(終身雇用と年功序列)が非常に有効に機能し、
企業による再配分の元に存在する核家族という構造が出来上がります。
70年代以降の低成長時代においても、企業は正社員の過剰労働
(「モーレツ社員」や「24時間戦えますか」というフレーズに象徴される)
そして子育てが終わった主婦層を中心とした低賃金のパートタイム労働の
積極活用により、長い間企業コミュニティを維持し続けることができました。
一方で、自民党は地方や農村に対しては、公共事業という形や
農協という組織を通して積極的に集権的再配分を行ってきました。
これは福祉政策や平等主義などという思想的なものではなく、
集票のための利権的再配分という意味合いが強かったように思います。
このような状態が80年代末まで続きました。
要するに、日本においてはリベラルは必要ありませんでした。

日本の変化は90年代初頭のバブル崩壊とソ連崩壊に始まります。
ソ連という精神的バックボーンがなくなった革新勢力は、ようやく日本における
革新勢力とは、リベラリズムとは何かの模索を始めることになります。
93年に自民党が分裂、政界再編と政治改革の叫び声のもと、細川連立内閣が
登場し、この時期からリベラルとは何かの模索がスタートしたように思います。
しかし細川内閣は選挙制度改革を実施したあと短期間で瓦解、
紆余曲折のあと再び自民党政権が復活し、保守政権が続くことになりますが、
リベラル勢力が脱党した自民党は単独過半数は困難となり、他党との連立体制が
必須となる、この状態が現在の自公体制まで続いています。
一方野党側は紆余曲折の中リベラル政党としての価値を模索し続け、
それが十数年を経て、2009年の民主党のマニフェストとして結実します。
日本における90年代~ゼロ年代は、ある意味でリベラルの模索と勃興の時代と
言っても良いような気がします。
その背景には、長引く平成不況に伴う企業コミュニティとそれにぶら下がる
核家族の解体、他国と同様の中間層の解体があり、かつての一億総中流と
言われた時代への憧憬が、
リベラリズムの模索に対する原動力であったように
思います。
2009年の衆院選の民主党大勝の根っこにはこのような背景があっと思いますが、
民主党は元々多党の寄せ集めであり、理念的結合体ではなかったことが露呈、
さらに政権運営能力にも問題があり、民主党はマニフェストを実現することなく
野党に下りました。
一方で2012年の衆院戦で勝利した自民党は、予想を超えたとんでもない
スイングバックを行い、かつてないような反動的な保守政策を瞬く間に遂行し、
現在に至ります。

自民党は保守政党であると言われますが、とくに現政権が理念的に何を
保守しようとしているのか、自分にはもう一つよくわかりません。
そもそも日本で保守は可能なのでしょうか?
明治維新以降、近世(江戸時代)の分権的・自治的社会を否定し、富国強兵と
経済成長のために集権化し、国家がコミュニティを簒奪してきたというのが
日本近代の歴史であると思います。
近代日本がそもそも「日本性」の否定をベースとしているので、
日本での保守思想というのは、非常に困難なのではないかと思います。
ある時代への憧憬(例えば戦前への憧憬や高度成長時代への憧憬など)が
あるだけで、アメリカやイギリスのように明確に保守する対象がない。
自分が唯一思い付くのは、明治期に藩閥政府が復活させた
「万世一系の天皇制」というリソース、ぱっと思いつくのはこれくらいです
現政権も思想的に何を保守しようとしているのかはあまりよくわからない。
むしろ90年代以降徐々に勃興してきたリベラリズムに対する、
「反・リベラル」という考え方のみが保守思想を形作っているという、
二重に屈折した思想が背景にあるような気がするというのは
考えすぎでしょうか・・・。


ダラダラと書きましたが、結論らしきことを書くと、
各国とも今日では世界的にリベラリズムの貫徹が困難であり、
それはようやくリベラル思想が勃興してきた日本でも例外ではありません。
かといって日本には明確な保守思想もない。
このことが今日の日本の混迷の背景の一要素であると、自分などは考えます。

関係しそうな過去記事(近代日本の歴史)を貼っておきます。
http://ameblo.jp/0-leporello/entry-11574777119.html