最近読んだ本についての覚書、
「読書メーター」への投稿内容と、それに対するコメントです。
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■日本的霊性/鈴木大拙 (岩波文庫)
<内容・感想> ※読書メーターより
終戦間近の1944年に出版された日本の宗教論。
日本人の宗教感を霊性という言葉で表し、
鎌倉時代以降とくに浄土宗に顕著に霊性の現れが見られるとされています。
浄土の教えは法然・親鸞を経て社会的下層民の間に広まりを見せ、
理論的構築性よりも大地に根差した生活の中で直感的に得られる霊性、
南無阿弥陀仏と唱え生きるそのあり方に浄土が現世に現れているとされ、
その例として妙好人、特に明治期の浅原才市なる凡夫の生き方が
取り上げられています。
取り上げられています。
浄土宗は大乗仏教ですが、妙好人の生き方は原始仏教の修行者の姿と
重なるようにも感じます。
重なるようにも感じます。
<コメント>
一般的に浄土教は死後極楽浄土に往生することを目的とする宗教だと
思われますが、この本に描かれている妙好人の生き方を見る限り、
日本的霊性という観点から考えた場合、浄土の存在は問わず、
あくまで現世の今このときを、念仏することにより穏やかに幸福に生きることが
親鸞の浄土真宗の目的であるようにに見えます。
思われますが、この本に描かれている妙好人の生き方を見る限り、
日本的霊性という観点から考えた場合、浄土の存在は問わず、
あくまで現世の今このときを、念仏することにより穏やかに幸福に生きることが
親鸞の浄土真宗の目的であるようにに見えます。
この考え方は原始仏教の悟りの境地にも似ている気がしますが、
釈迦のように思索の彼方に悟りがあるというわけではなく、
大地に根差した凡夫の生き方からの直観的な閃きのようなものであるということが
日本的なのだと言えるように思います。
古代インド人や西洋人が、論理構造を追うことによりある種の境地に至るのに
対し、日本人は日常に根差した直観からある種の境地を得るという差異。
対し、日本人は日常に根差した直観からある種の境地を得るという差異。
アニミズム的な原初的社会に仏教のような普遍宗教がもたらされると
このような化学変化が起こるのかと思うと、興味深いです。
その他、浄土教はときどきキリスト教と比較されますが、
キリスト教の神が「力」に象徴され、浄土教の阿弥陀仏が「悲」に象徴される
ということも印象的です。
■宴のあと/三島由紀夫 (新潮文庫)
<内容・感想> ※読書メーターより
情熱的で行動的な料亭の女将福沢かづは、
理念的で古風な元外務大臣野口雄賢に惹かれ二人は結婚。
その後野口は東京都知事選に革新系候補として立候補し、
彼を支えるかづの選挙戦が始まる・・・。
そして選挙の結果は、二人の間柄は・・・。
実利を重視し手段を選ばず困難があるほど燃え上がる生き方と、
理想を重視し正攻法で物事を進め安定を求める生き方。
生き方と政治手法、それぞれについての相反する考え方がかづと野口という
対称的な二人として描写されているところが面白く、
そしてそれぞれの性質が良き協力関係に至らないところも印象的です。
<コメント>
世の中には、日々つつがなく暮らすことができ毎日が平穏であれば
幸福であるというタイプと、忙しい日々を送り刺激のある毎日を過ごせれば
幸福であるというタイプと、2タイプの人間がいます。
幸福であるというタイプと、忙しい日々を送り刺激のある毎日を過ごせれば
幸福であるというタイプと、2タイプの人間がいます。
この小説では、前者が野口雄賢、後者が福沢かづです。
一方、政治の世界においても、サブスタンスを重視し自分の理想を実現することに
喜びを見出すタイプと、ロジスティクスを重視し政争に勝つことに
喜びを見出すタイプと、2タイプの政治家がいるように思います。
喜びを見出すタイプと、ロジスティクスを重視し政争に勝つことに
喜びを見出すタイプと、2タイプの政治家がいるように思います。
これも前者が野口雄賢、後者が福沢かづとして描かれています。
この人間の2タイプ-政治家の2タイプを組み合わせて物語にしたのがこの小説
と読めるような気がします。
ちなみに、野口雄賢のモデルは30年代に外務大臣を務めた有田八郎、
作中に登場する佐伯首相のモデルは岸信介、
沢村元首相は吉田茂がモデルなのだそうです。
■戦争の世界史(上・下)/ウィリアム・H・マクニール (中公文庫)
<内容・感想> ※読書メーターより
・上巻
古代から19世紀前半までの戦争についての歴史。
戦争は経済との関わりが強く、経済的な動機が技術の進歩と戦い方の
変化を生み、青銅器、戦車、鉄器、騎馬兵士、クロスボウ、銃器、大砲、
軍事訓練、軍隊の組織的制御と、戦争を巡る技術が進歩していく様子が
描かれています。
変化を生み、青銅器、戦車、鉄器、騎馬兵士、クロスボウ、銃器、大砲、
軍事訓練、軍隊の組織的制御と、戦争を巡る技術が進歩していく様子が
描かれています。
戦闘技術が急速に発展したのは近世ヨーロッパであり、その理由として
民間に利潤追求の自由があり、経済資本が民間に蓄積されやすかったことが
挙げられています。
民間に利潤追求の自由があり、経済資本が民間に蓄積されやすかったことが
挙げられています。
資本を権力者が独占する非ヨーロッパ地域では技術は停滞し、
後れを取ることになります。
下巻も楽しみです。
・下巻
軍事と経済の歴史、下巻は19世紀後半からこの本が出版された1980年ごろまで。
19世紀後半に政府・企業・軍が密接に協業し合う軍産複合体が完成、
軍事技術は飛躍的に進歩するとともに複雑性を増してきます。
中東欧の人口の急増を主な原因として20世紀の両世界大戦が勃発、
総力戦体制は結果として政府により管理される指令経済の体制を生み、
両大戦後もこのような経済体制が現在まで続いていると説かれています。
核兵器の登場後国家間の大規模な戦争はなくなり、
超国家的な指令経済体制が今後も継続するであろうと結ばれています。
<コメント>
マクニールの著書は自分は過去に「世界史」「疫病と世界史」を読みました。
マクニールの面白さは、歴史を細部ではなく大局から見ること、
複数の史実を自由に組み合わせて、大きな歴史の見取り図を描くことです。
今回のこの本も、軍事と経済をテーマに古代から現代までの
大きな世界史の流れが描かれています。
大きな世界史の流れが描かれています。
この本では、社会のあり方として、「自由」が重視される社会と、
「指令」(コマンド)が重視される社会とに分けられて考えられており、
軍事技術については、自由が重視される社会において
経済発展とともに進歩していくとの考え方が示されています。
古くは中国の宋元時代に大きな経済的発展が見られましたが
中国の社会では中央の皇帝からの指令が最終的に重視される体制で
あったため、資本が民間に流れていくことが抑制され、結果経済や軍事技術も
さほどは発展しなかった。
あったため、資本が民間に流れていくことが抑制され、結果経済や軍事技術も
さほどは発展しなかった。
しかし民間の利潤追求の自由が重視された近世ヨーロッパでは
経済資本が民間にどんどん蓄積され、その結果各人の利潤追求のための
軍事技術の自主的発展が起こり、政府・企業・軍が絡み合う紆余曲折は
ありつつも、あっと言う間に大砲から核兵器に至る軍事技術の発展が
みられることになったと説かれています。
ありつつも、あっと言う間に大砲から核兵器に至る軍事技術の発展が
みられることになったと説かれています。
軍事技術は規模が大きくなるに伴って管理体制の規模も大きくなり、
超国家的な軍事・経済の指令体制でないと技術が管理できないのが
現在の時代です。
現在の時代です。
この体制では国家間の大規模な戦争はなくなり、
戦争は局地戦とテロリズムに限られるとのこと。
この本は1982年の出版ですが、その後の世界情勢を見ると
その通りになっています。
その通りになっています。
その他、戦争の発生と人口動態の変化が関連付けられていることも印象的です。
フランス革命~ナポレオン戦争は、18世紀フランスの人口の急増が背景にある。
第1次・第2次の両世界大戦は、19世紀後半から20世紀初頭の
中東欧と日本の人口の急増が背景にある。
人口と社会の関連も興味深く、他の書籍も読んでみたくなってきます。