読書記録 2014年(11) | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

ちょっとまた少しの間病院にて療養しておりましたので、1週間ぶりの更新です。
最近読んだ本についての覚書、「読書メーター」への投稿内容とコメントです。
例によってコメントの記述は本文の内容から乖離していきますので、ご了承を。


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■社会的共通資本/宇沢弘文 (岩波新書)

<内容・感想> ※読書メーターより
経済が機能する前提としての社会的共通資本(自然環境、インフラ、
教育・医療などの制度資本)の考え方を示し、
現代社会の問題点を
テーマ別にまとめた本。
私有制と効率性を重要視する新古典主義経済は世界恐慌を契機に
問題点が明るみになり、その後登場するケインズ主義も
ベトナム戦争・石油危機以降機能不全に陥ります。
これらを乗り越える手段として社会的共通資本の適切な管理・運営が
重要であるとされ、農業・都市・教育・医療・金融・地球環境の個別の
問題が取り上げられています。
経済を回す上での大前提を確認するのに有益な本だと思います。

<コメント>
2000年に出版された本です。
社会的共通資本とは・・・
土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの「自然環境」
道路、上下水道、交通機関、電力、通信施設などの「社会的インストラクチャー」
教育、医療、金融、資本、行政などの「制度資本」
これらをまとめて社会的共通資本と呼ぶのだそうです。
社会的共通資本は経済が有効に機能するための大前提であり、
適切に維持管理できないと経済が回らない、あるいは経済が一見
回っているようにみえても、社会が正常に機能しない事態になると、
そういうことのようです。

本書の第2章以降では、社会的共通資本の考え方をベースに
日本の個別の問題が取り上げられています。
以下、印象的な記述や考えたことなどを2点ほどまとめておきます。

1つめは都市論、自動車に関する構造的な問題が取り上げらています。

戦後日本は国家レベルで自動車を政策的に普及させてきました。
自動車のためのインフラやリスクについては、本来であれば自動車の所有者が
負担するべきですが、少なくとも日本では、自動車のためのインフラ:道路整備は
自動車の所有の有無にかかわらず、
万人が負担する構造になっており、
さらに、自動車のリスク:交通事故についても、
自動車に乗らない多数の歩行者も
交通事故に巻き込まれており、
最悪の場合命を失うという大きなリスクを
歩行者が負担しているということになります。
自動車の非所有者も含めてコストとリスクの負担が必要であるという構造故に、
自動車を持った方が得という社会構造が出来上がる。
これに伴い必然的に自動車の所有者が増加し、
逆に鉄道などの他の交通手段が衰退、その結果地方在住者にとっては
ますます自動車が必須の移動手段となるという循環。
これを政策的に進めていったのが戦後日本であり、このことが
日本の都市を考える上で重要な問題となっているとのことです。

そもそも車に乗らない人にとっては高速道路のようなインフラなど不要ですし、
歩行者が信号を守らないといけないのは自動車事故のリスク回避のためです。
自動車優位の考え方。

自分は仕事で中国に行ったことがあるのですが、中国では
車がびゅんびゅん走っている道路を、歩行者が平然と歩いて渡っています。
最初は怖いなと思いましたが、そのうちだんだん慣れてきます。
自動車は細心の注意を払いながら歩行者を器用によけて走るため、
そんなに事故が起こることもないのだとか。

日本で歩行者が車道を歩くと、クラクションを鳴らされたり怒られたりします。
自分も車を運転中に、歩行者が車道に飛び出したり信号を無視したりすると
「何車道歩いとんねん!」「何信号無視しとんねん!」と思ってしまいますが、
よく考えると歩行者がなぜ自動車に遠慮しないといけないのか、
むしろ自動車が歩行者を避けてしかるべきであるという中国の考え方の方が
まともなのではないか、「歩行者は車道を歩くな」「歩行者は信号無視するな」の
ような自動車中心の考え方は、ひょっとしたら我々の社会の病理なのでは
ないかと、
何だかそんな気もしてきます。

2つめは医療について。

日本では、医師や看護師の医療行為に対する保険点数が非常に低く
検査や投薬の保険点数が非常に高く設定されているとのことです。
すなわち、病院経営を維持するためには、必然的に検査や投薬が
増えていくという構造になっているということのようです。
このことは、おそらくですが、医師や看護師よりも、医療機器メーカーや
製薬会社の立場が強いということなのだと思います。

自分もときどき病院のお世話にはなりますが、大きな病院に行くと
診察前にいちいち血液検査や尿検査などが付いてきます。
ほんまにいるんかいなと思うような投薬や、点滴などの過剰な処置、
何かあるとわざわざMRIを撮ったりレントゲンを撮ったりする。
なぜかなと思っていましたが、これは要するに検査や投薬をしないと
病院が経営できないと、そいうことなのではないか。
血液検査くらいならまだしも、もっと苦痛を伴うような検査をたくさん実行する
ことについては、患者の負担や医療事故などのリスクにつながるため、
いかがなものかという気もしてきます。

日本は他国に比べて人工透析が異様に多いという話も聞いたことがあります。
これもひょっとしたら、栄養指導や食事療法などで腎機能を維持するサポートを
医者が行っても保険点数にならないからなのかもしれません。
透析の機械を製造している医療機器メーカーに有利になるような
保険点数をあえて維持しているのではないかという疑問が湧いてきます。
サービスよりも工業有為な我々の社会のあり方の問題の一つが
医療分野にも現れているのではないかという気がしてきます。

ちなみにこの本、島根・鳥取への旅行中に読んだ本です。
雨宿りしながら、のどくろ料理を待ちながら、高速バスの中で渋滞の緩和を
待ちながら読み続けた本ですので、印象に残ることになりそうです。


■ドイツ史10講/坂井栄八郎 (岩波新書)

<内容・感想> ※読書メーターより
10講にまとめられたドイツの通史。
以前読んだ「イギリス史10講」よりさらにコンパクトで、政治史を中心とした
最低限の情報が分かりやすくまとめられており、
時代の移り変わりが
スムーズに把握できる記述になっています。
文章も非常に読みやすいです。
古来よりの領邦制・18世紀以降の官僚制とテクノクラート(専門家)の存在、
このあたりがドイツのポイントだと感じます。
ナチスを生んだのは近代の大衆化社会であり、そしてテクノクラートこそが実は
大衆の代表なのだという指摘は、
現代日本を考える上でも興味深い問題だと
思います。

<コメント>
岩波新書の「フランス史10講」「イギリス史10講」を読みましたので、
残りの一冊を今回読んでみました。
3冊の中ではこの「ドイツ史10講」が1番面白かったという印象です。
本当にこの本が面白いのか、それとも単に自分が3国の中でドイツに
一番興味があるのか、どちらなのかは分かりません。

この本はほとんど政治史が中心で、経済なども少し触れられていますが、
生活史や文化史に関わる記述は少ないです。
自分は音楽好きなので、19世紀以降のドイツ音楽と国民国家の関連などの
記述を読んでみたかったですが、ベートーヴェンのベの字も出てきませんでした。
紙幅の制約から仕方のないことなのかもしれませんが。

印象的な記述。
領邦制、分権がドイツの特徴であるということ。
18世紀後半の(戦争がない時期の)改革が、その後のドイツの「改革」に対する
伝統をつくったこと。
ナポレオンの登場が間接的に近代ドイツを作ったこと。
メッテルニヒは各国間の政治的均衡を重視しようとした人物で、
単なる復古主義者ではないということ。
ビスマルク時代、軍事、学問、そしてテクノクラート(専門家)の国になったこと。
ナチス時代において、ドイツが史上初めて集権化したという事実。
大衆化社会がナチスを生む土台になりましたが、テクノクラートこそが実は
大衆の代表であるという事実。

とくに最後の大衆化社会の記述は日本も他人ごととは思えません。
テクノクラートは専門であることを誇り全体を見ず、他人の言葉に耳を傾けない
傾向にあるということ。
このことは、原発問題は当然のことながら、上記「社会的共通資本」の項で
記載した自動車メーカーや医療機器メーカーなどの製造業にも絡む
問題だと思います。


■遊びと人間/ロジェ・カイヨワ (講談社学術文庫)

<内容・感想> ※読書メーターより
「遊び」について社会的に分析した本。
遊びをアゴン(競争)、アレア(運)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)の
4要素に分類し、それぞれの要素の詳細と社会への組み込まれ方について
纏められています。
そして、原初的社会ではミミクリとイリンクスの要素が強く、
発展的社会ではアゴンとアレアの要素が強くなると分析されています。
個人的には、ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」よりも社会的・分析的な視点で
面白かったです。
退廃的な眩暈への頽落を防ぐあり方として、最終的に道化(笑い)の要素が
あげられているのも何だか気に入りました。

<コメント>
先日読んだ「ホモ・ルーデンス」も遊びについて分析した本でしたが
「遊びと人間」の本の方がより面白かったです。
この本では遊びを4つの要素、アゴン(競争)、アレア(運)、ミミクリ(模擬)、
イリンクス(眩暈)に分類し詳述しています。

この本のエッセンスをもっともよく表しているのが、以下の表だと思います。
(P.106の表2を作り直したものです。)

遊びと人間


この本によると、原初的社会ではミミクリとイリンクスの要素が強く、
発展的社会(現代社会)ではアゴンとアレアの要素が強くなるとのことです。
現代社会は逆にミミクリとイリンクスは忌避される傾向にあるとのこと。
能力と運により、社会構造と階級が決まるのが現代社会。
アゴンに負けるべく存在する階級の者がアレアに恩寵を期待する
という構造が現代社会に特徴的なのだとか。

ところで自分のやっている「遊び」。
音楽、美術、読書、コミュニケーション、旅行、などなど。
こういうのはおそらく緩いイリンクス(眩暈)なのだと思います。
自分はアゴン(競争)はあまり好きではありません。
スポーツはしませんし、社会的競争にもあまり興味はありません。
ギャンブルはしない、特定の対象物に異様にコミットしたりもしないので
アレア(運)やミミクリ(模擬)への関心も薄い。

日常の中で日々軽いイリンクス(眩暈)を感じながら生きるということが
現代人にとって最も幸福なのではないか、そんなことを考えたりもしました。