10年前 | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

アメブロは今年で10周年らしく、現在「10年前何をしていたか」という
ブログネタのキャンペーンをやっているようです。

自分もこれに便乗して、10年前(2004年)に何をしていたか、
この年が自分にとってどんな年だったかについて、
当時の日記などを確認しながら、あれこれと思いつくままに書いてみます。


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自分は2000年の春に大学を卒業し、某製造業に就職しました。
(20世紀最後の卒業生、20世紀最後の新入社員です。)
なので、2004年と言えば自分は入社5年目。
職場の雰囲気にも慣れて仕事も覚え、それなりに重要な任務を任され、
この年は朝から晩まで死ぬほど仕事をしていました。

このころは北米の景気がよく、輸出産業は大儲け、
自分の勤めている企業も、この年に過去最高の売り上げを記録しました。
このときの"北米特需"はバブルであったことが2008年にはっきりするのですが、
この当時はそんなことお構いなしでイケイケどんどん、
「今稼がないでいつ稼ぐ」という雰囲気。
とくに若年社員は薄給で死ぬほどこき使われており、
企業が利益を得ても、若年社員はその恩恵を享受できないという
困った体質が継続していた時代でした。

自分の記憶が確かであれば、ニートという言葉が登場したのがこの2004年。
若年労働者の定職率の悪さを、若者の怠業批判という形で糊塗し、
それがまかり通っていたという、今から考えると酷い時代だったように思います。
一方でこの2004年ごろから、企業コンプライアンス云々が徐々に
叫ばれるようになり、残業時間やパワハラへの対策が検討されるなど、
色々な試みが開始されていた時期でもあります。
今から考えると、20世紀的な労働の在り方から少し進歩したような、
変曲点のような年だったともいえるのかもしれません。


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2004年は災害の多い年でした。
夏ごろから秋にかけて、相次いで地震が起こったこように記憶しています。
新潟県中越地震もこの年で、この地震は土曜日に起きました。
不思議と土日に揺れることが多く「週末になると地震が起こる」という
変な法則があった年です。

このころ、日曜日の夜にNHKで放送されていた「芸術劇場」を毎週見ていました。
大植英次さんが指揮するブラームスの交響曲1番の放送中に、
地震が起きたことも覚えています。
4楽章の放送中に地震が起こりましたが、演奏は4楽章の最後まで放送され、
4楽章終了と同時に津波警報の画面に切り替わり
(ハ長調の和音がいきなり津波のピロピロ警報音に切り替わる 笑)
ちゃんと曲が終わるタイミングを見計らって警報画面に切り替えるNHKに対し、
「なかなかやるな・・・」などと感じたものでした。

この年の秋は、台風が集中的に訪れた年でもあります。
「台風が来るから帰れ」と、職場で急遽午後から帰宅指示が出たこともありました。
(こんなことは、後にも先にもこの年だけです。)
週末に巨大台風が訪れた際、「今ならきっと空いてる!」と思い、
暴風警報の発令する中(笑)美術館に行ったことも記憶しています。
台風の中見に行った展示が、大阪市立美術館で開催されていた
「万国博覧会の美術」という企画展。
この日は本当に美術館はガラガラで、誰もいない中、
尾形光琳の超有名な硯箱や、アングルのナポレオン像や、
カバネルの「ヴィーナスの誕生」や、高村光雲の「老猿」などを鑑賞しました。
誰もいない部屋の中、高村光雲のお猿さんと睨み合ってきました(笑)。


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国立国際美術館が千里から中之島に移転したのがこの年の11月。
移転記念の「マルセル・デュシャンと20世紀美術」の展示を見に行った帰り、
立ち寄った肥後橋付近の喫茶店のお釣りで、初めて野口英世の千円札を
手にしたことを記憶しています。
お札のデザインが変更になったのもこの年でしたね。

生活面では、近所に24時間の大型店舗「マックスバリュ」が開店したのもこの年。
このお店のおかげで、他のスーパーや商店街にほとんど行かなくなりました。
個人営業の本屋さんやCD屋さんも少なくなり、自分はこの年あたりから
AmazonやHMVなどで購入することが多くなりました。

東京事変が結成されたのがこの年。
カツァリスが「N響アワー」に登場したのもこの年。
NHKで浜松国際ピアノコンクールのドキュメンタリーを見たのもこの年。

そしてこの2004年、ハマっていた番組があります。
この年の2月ごろ、風邪から高熱を出して2日ほど休みを頂いた際、
夕方ぼんやりとテレビを見ていて、NHK教育でやっていた番組を見て、
自分は大衝撃を受けました。
「ゆうがたクインテット」「にほんごであそぼ」「ピタゴラスイッチ」・・・。
な、何なんだこのアヴァンギャルドな番組たちは・・・。

「ゆうがたクインテット」は、クラシックや童謡やポップスを滅茶苦茶に
自由に編曲し、可愛らしい人形たちが妙なリアルさで演奏する
(とくにVnやVcのビブラートが変にリアル)という
不思議な番組。
「にほんごであそぼ」は、有名な文学やら詩やら民謡やら諺などから
抜粋した文句を、狂言や講談の要素を織り交ぜながら、妙に前衛的な
衣装やセットの中で紹介していくという、
これまたすごく不思議な番組。
なにこの子供番組、面白すぎるやん・・・。
(ちなみにこの当時自分は26歳です 笑)

この2番組がとくに気に入って、毎日番組を録画し、帰宅後寝る前に
この番組を見て寝るという生活が、この年の約1年間(←!)続いたのでした。
ちなみに、現在はテレビがないので見れませんが、
この時に録画したVHSはまだ残っています。
これらの番組、今も放送されているのでしょうか・・・?


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2004年の夏は、美術・文学・音楽の3人の"巨匠"が亡くなった年です。

1人めは、アンリ・カルティエ=ブレッソン。
楽しい画面構成が特徴的な有名な写真家です。
カルティエ=ブレッソンについては過去記事で散々書きましたので、
こちらを参照 → [その1] [その2] [その3]

2人めは、中島らも。
自分は高校生のときにらもさんのエッセイをたくさん読んで、
実はすごく影響を受けている作家さんなのです。
大学生以来ほとんど読んでいないので、そのエッセイの内容は忘れてしまって
いることも多いですが、間違いなく今の自分の考え方の一部として、
影響が残っています。
(反面、らもさんの小説は、そんなに多くは実は読んでいません。)

3人めは、カルロス・クライバー。
クラシック音楽ファンならお馴染みの、超有名指揮者ですね。
洗練された演奏と指揮姿がかっこよく、今でも人気のある指揮者です。
クライバーが亡くなり、「巨匠の時代は終わった」などと言われたりも。

これらの方々が7月から8月にかけて次々とお亡くなりになりました。
何だか、一つの時代が終わったんだな・・・とか、
そんな気持ちになったのを覚えています。


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もうひとつ。

2004年12月29日の深夜2時ごろ、自分は救急車で病院に搬送されました。
夜中に突然強烈な左下腹部の腹痛で目が覚め、お腹の調子が良くないのかなと
思い、すぐにトイレに行ったのですが、どうもトイレとかそういう問題では
なさそうな痛みです。
痛みは強烈に酷くなっていき、ついに一時的に意識を失うまでに・・・。
意識が戻った後、これはヤバいなと感じ、躊躇せず救急車を呼びます。

死ぬのではないか・・・と思いましたが、結果は尿管結石でした。
シュウ酸などの物質が腎臓で固形化し、これが尿管に詰まって
腎臓が腫れるという病気です。
心筋梗塞に匹敵する強烈な痛みが特徴だとのこと。
病院で採尿すると、尿に血液が混ざっていました。
おそらく意識を失ったのが出血した瞬間だったのだと思います。
(自分は採血しただけで貧血になる体質なのです。)

病院で一夜を過ごしましたがその間も痛み続けます。
痛み止めの座薬を入れてもらいましたが、全く効きません・・・。
一晩中のたうち回ったあと、明け方にようやく楽になりました。
結石は激しい痛みが特徴ですが、石が広い場所(膀胱など)に移動すると
痛みはなくなるのだそうです。

早朝、お腹を押さえながら、とぼとぼと家まで歩いて帰ったのを覚えています。
(当たり前ですが、救急車は帰りは送ってくれません 笑)。
痛みがマシになってから、泌尿器科に行ってレントゲンを撮ると、
石が写っていました。

結石は水分が少なかったり、尿が濃くなると発生しますが、
シュウ酸を取りすぎることによっても起りやすくなるのだそうです。
自分はこの年、職場のティーサーバーで毎日紅茶を何杯も飲んでいました。
紅茶にはシュウ酸がたくさん含まれているので、
これが原因だったのかもしれません。
このとき以降、自分は紅茶は怖くてほとんど飲まなくなりました。
一度結石になると再発する人も多いそうですが、自分はこれ以降
発作は起こっていません。
やっぱり紅茶の飲みすぎが原因だったのかな・・・。

ということで、2004年というとこの年末最後の大事件の恐怖を、
今でも思い出すのです・・・。