読書記録 2014年(5) | れぽれろのブログ

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最近読んだ本について、「読書メーター」への投稿内容とコメントです。


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■逝きし世の面影/渡辺京二 (平凡社ライブラリー)

<内容・感想> ※読書メーターより
江戸末期、外国人たちが描写した日本の姿。
当時の日本の人々は皆明るく幸福そうで屈託なく笑い、
生活は質素だが豊かで、愛らしい雑貨や玩具に溢れ、
自然も都市風景も非常に美しい。
幕府・諸大名の統治は緩やかで、町や村では自治の気風がある。
宗教心は薄く、とくに武士階級は徹底して世俗的。
性に対しておおらかで、性がタブー視されていない。
この本は「西洋から見た日本」という側面と
「近代から見た前近代」という側面とに
注意して読む必要があると思います。
我々はこの時代に戻ることはできず、
近代を徹底するしかないのだという思いが残る本。

<コメント>
社会学者の見田宗介さんの本で読んだ、20世紀の後半にインドだか南米だかを
訪れたときの感覚、「これが前近代の社会なのだ」という感覚、
そういう感覚に近い読後感を得ました。
あるいは、先日読んだホイジンガの「中世の秋」にも、読後感は少し似ています。
(文化の質は全く違いますが。)
江戸末期(前近代社会)はもう戻ることのできない過去です。
近代の恩恵(=知恵の木の実)を享受してしまった我々は、
この近代社会を継続していく他にありません。
時計の針は戻せない。

さて、この本でまとめられている江戸末期の日本、
現代の日本と比較して、変わってしまった部分と残っている部分と、
両方あると思います。
以下にこの本に描かれている江戸末期の特徴をいくつか並べ、
現在がどうであるかを少し考えてみます。

○変わってしまった部分
・質素、貧しさの中の豊かさ、平等性
  ・・・こういう社会ではなくなってしまったと思います。

・家屋は鍵をかけず開放的、人々の心も開放的
  ・・・今ではありえないですね。心も閉鎖的かもしれません。

・上層身分の男性は虚弱、下層身分の男性は健康的でギリシャ彫刻のような肉体
  ・・・現在では豊かになった分、多くの人が虚弱化している気がします。
    (自分も痩せ型ですし)

・幕府の統治は緩やかで、平民は自治的に問題解決に当たる。
 公権力は問題の拡大を防止するに留まり、基本的には自力救済。
  ・・・これは近代化に伴い、完全になくなってしまったと思います。
    何かあると公権力(行政組織、例えば警察など)に頼る社会に
    なってしまいました。

・田園的で美しい都市風景、何日歩いても見飽きない町並み 
  ・・・完璧に残ってない気がします。
    現代は都市景観を統一しようという意識がほとんどない気がします。
    (まあ、自分はこういう乱雑なのも好きなのですが・・・)

○現在も残っている部分
・お花見の文化
  ・・・これは残っていますね。

・犬・馬・その他動物は人間との位相が同じ。
 動物を厳しくしつけたりせず、動物は甘やかされている。
  ・・・動物に対しては、今もこんな感じである気がします。

・災害からの立ち直りの速さ。
 火事が起きても数時間後には家が再建され、すぐに商売が始まる。
  ・・・震災などでも大きなパニックにはならず、
    人々が落ち着いて行動するところなど、
    現在でも受け継がれている気がします。

・信仰心がない。
 下層平民・女性にはアニミスティックな信仰心があるが、
 武士階級・男性は徹底して世俗的。
  ・・・これは現在も全くそうだと思います。
    徹底して考え方が世俗的で、宗教的なものを軽蔑しがち。
    (これは東アジア地域全般の歴史的特徴なのかもしれません。)

・性に対しておおらかで、性を笑いとして捉える。
 娼婦と一般婦人の差異が緩やか。
 春本に溢れ、猥談を好む。
  ・・・ええっと、これも現代人に受け継がれている・・・気がします(笑)。


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■童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇/宮沢賢治 (岩波文庫)

<内容・感想> ※読書メーターより
宮沢賢治初読。
どの作品も背後に著者の宗教観が存在しています。
仏教的な話が多いですが、キリスト教的な考え方も出てきます。
表題作のテーマは、利他的な行為こそが他者にとっても
自分にとっても幸福であるということなのだと思います。
自らの幸せは他者の犠牲の上に成り立っている、
しかし他者への献身もまた自らの幸せに繋がるのかもしれない・・・。
生物の業が描かれる「蜘蛛となめくじと狸」、
生物の苦しみと業を認め復讐の連鎖を否定する「二十六夜」、
ベジタリアンの議論が宗教論争に至る「ビジテリアン大祭」など、
気に入りました。

<コメント>
宮沢賢治、小学生の教科書に載っていた「やまなし」を除き、
今回初めて読みました。

「銀河鉄道の夜」は、幼いころにアニメで見たことがありますが、
全然覚えていません。
というか、「見てても全く意味が分からなかった」ということだけ覚えています。
意味が分からなくて「あまりにもつまらない物語」とインプットされています(笑)。
子供のころはおそらく、物語構造や、登場人物の分かりやすい感情の動きにのみ
興味があったのだと思います。
詩的なことやシンボリックなことは分からない子供でした。
(まあ、子供ってこういうものだと思いますが。)

表題作のテーマは「他者のために生きることが真の幸福である」。
人は利他的になれる生き物です。
利他的な行為は他者に幸福を与え、他者に生きる力を与え、
自らも幸福になる・・・。
これは一面の真実ですが、「他者のために生きよ」というメッセージが
過去において繰り返し国家や企業や共同体の利益のために
利用されてきた事実にも注意が必要だと思います。

そう、「蜘蛛となめくじと狸」のように、生き物は他者を食って生きる存在。
そして、同時に他者に食われて死んでいく存在です。
動物はこのようにしか生きれません。
我々の生はどこかの誰かの犠牲の上に成り立っています。
キリスト教的に言うと原罪、仏教的に言うなら縁起。
世界はこのようでしかありえません。
幸福は他者の犠牲の上にしか成り立たない。
しかし、不思議なことに、他者への献身もまた自己の幸福に
なりうる可能性がある・・・。
このあたりが宮沢賢治の世界観なのではないか・・・。
そのように感じました。


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■迷宮としての世界・上/グスタフ・ルネ・ホッケ (岩波文庫)

<内容・感想> ※読書メーターより
芸術全体を大きく古典(理性的・自然的)と
マニエリスム(寓意的・デフォルメ的・古典に対する反動)に分類し、
分析している本です。
一般に16~17世紀前半の潮流がマニエリスムと言われますが、
この本によると19世紀初頭のロマン主義や19世紀末~20世紀の諸潮流も、
広義にはマニエリスムであるとのこと。
マニエリスムの諸特徴(曲線・デフォルメ・奇想・抽象化etc)をまとめながら、
16,17世紀美術と20世紀美術を比較し、
20世紀のキュビスト・シュルレアリスト・抽象画家たちを
美術史の中に位置付けることを試みています。

<コメント>
まだ上巻しか読んでいませんが、あらゆる作品を古典とマニエリスムに
分けて考えるという視点が面白い本です。
確かに、新古典主義から見れば、ロマン主義はマニエリスム的、
写実主義・自然主義から見れば、表現主義やその後のキュビスム・
ダダイズム・シュルレアリスムはマニエリスム的ですね。

これは1966年の本ですが、それ以降の現代の美術はどうでしょうか?
なんとなく、20世紀以降のあらゆる美術はマニエリスムであるような気がします。
理性的で自然的な作品を製作しようとすると、
社会主義リアリズムや全体主義美術やスーパーリアリズムのような形になり、
それ自体がなんというかある意味マニエリスム的であるような気もしてきます。

日本美術に当てはめて考えてみても面白そうです。
狩野永徳が古典的だとすれば、狩野山雪はマニエリスム的。
丸山応挙が古典的だとすれば、曾我蕭白はマニエリスム的。
黒田清輝が古典的だとすれば、岸田劉生はマニエリスム的。
文人画・南画の類が古典的だとすれば、浮世絵はマニエリスム的。
・・・などと無理やりいろいろ考えてみるのも面白いです(笑)。