ビル・ヴィオラ初期映像作品集 心の旅路 | れぽれろのブログ

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13日の日曜日、半年に一度の恒例行事、中之島映像劇場の第6回目の
上映会を鑑賞しに、中之島の国立国際美術館に行ってきました。
今秋の特集は超有名なビデオアート作家、ビル・ヴィオラです。
タイトルは「ビル・ヴィオラ初期映像作品集 心の旅路」。
「心の旅路」という、何だか古い音楽だとか映画だとかを思わせるような
サブタイトルが妙に気になりますが(笑)、それはさておき、この上映会では、
ビル・ヴィオラの70年代末~80年代の3つの作品が上映されていました。

感想ですが、かなり面白かったです。
純粋に「映像を見る」という行為の面白さをとことん味わうことのできる作品群。
お昼1時に始まり夕方4時半まで、休憩をはさんで約3時間半、
ものすごく楽しんで鑑賞することができました。

ということで、以下3つの作品のメモ&覚え書き、及び全体通しての感想など、
まとめておきます。


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・ジェリド湖 (1979年、28分)

アフリカの砂漠の中にある湖周辺を撮影した映像作品です。
映像はブレやボケ、ピントが合っていないシーンが多いです。
このため、遠景で建物や人物などがゆらゆら揺れる、
不思議な映像になっています。
風が強い日に撮影したのか、風の轟音がします。
そんな中、遠景でワカメのようにゆらゆら揺れているものが、
右へ左へフラフラします。
このゆらゆらワカメがどうも人間のようです。
ワカメ人間の怪しい動きを楽しく鑑賞。
その他、妙な動きをする物体があるなと思ったら、やがてピントが合い、
それが車だったりバイクだったり、実態が分かってきます。面白い。
映像は真実を映すものではなく、真実を加工して映すもの。
そしてこの加工された状態が、やたらと不思議で面白いという作品でした。


・はつゆめ (1981年、56分)

「田中大圓へ」という副題が付けられています。
日本を撮影した作品とのこと。
日本の自然やら田舎・街の風景やらをあちこち回って撮影した映像のようです。
映像はスローになったりピントがぼけたりする場合もありますが
「ジェリド湖」に比べると比較的風景そのものを撮影しようとした感じです。
しかし、実験的なこともやっています。
とにかく映像を見ることが楽しい作品でした。

日の出、波、霧の漂う山。
田舎の風景、しかし環境ビデオ的な日本の農村の映像ではなく、
軽トラが走っています。
竹林の風景、これも人の声がします。
続いて巨大な岩の映像・・・かと思うと実は高さ1メートルもない
石であることが分かってくる映像。
歩いている人物の位置関係から、だんだんと石のスケールが分かってきます。
面白いです。
どこかのお寺?、岩山、石の上に積まれた服を着た石(お地蔵さんに見える)。
魚市場、夥しい数の魚(市場で取引される魚というより死体の山といった印象)。
港の夜、船の光が軌跡を描く、船上のピクピク動くイカ、
ゆるやかなたばこの煙の動き。
灯籠流し、水面に映る灯籠の光が抽象的な形になります。
やたらと幻想的で綺麗。
夜の街、パチンコ、ゲームセンター、ネオンサイン。
夜の光が描く軌跡、突然の雨、車のフロントガラスの水滴、
その水滴にまた光が映り込み、不思議と炎が揺れるような映像になります。
その後に本当の炎、たばことマッチ。
ラストは再び竹林ですが、今度は夜。
提灯(懐中電灯?)を持った人が竹林を行く。
その光が冒頭の日の出を思わせる形で〆。


・おのれは如何なるものかを識らず (1986年、89分)

最後は89分の長い作品です。
これまた見ることの楽しさが味わえる作品ですが、「はつゆめ」が風景中心で
あったのに対し、こちらは風景よりももう少し具体的な事物を取り上げ
撮影する形になっています。
視覚表現としても面白いですが、さらに身体性・皮膚感覚的なものが
重視された作品になっています。
ちなみにタイトルは「リグ・ヴェーダ」から取られているとのことです。

作品は大きく5部に分れています。

第1部は野牛(バイソン?)の生態。
蝿が何かにたくさんたかっている・・・カメラが引いて行くと野牛の死体。
サバンナの野牛を延々映すのんびり映像。
野牛の背中には鳥がとまっています。そして野牛の目のアップ。

第2部は各種動物の目の映像。
丸いものが画面に映る。何かと思うと魚の目。
いろんな鳥が登場します。そしてそれぞれの鳥の目のアップ。
やたらと目を開閉させる鳥もいます。目の皺の形が面白い。
最後はフクロウです。
目にズームして行くと、三脚を立てたカメラマン(ビル・ヴィオラ自身)が
フクロウの目に映り込んでいます。

第3部は映像を編集するビル・ヴィオラ、及び彼の部屋の映像です。
部屋にはいろんなものがあります。
貝と真珠、盆栽のようなもの、カタツムリ、卵・・・。
コップの水の中に木が・・・と思うとコップの裏の盆栽だったり、
室内の映像・・・が実は金魚蜂に反射した室内・・・そして金魚蜂の中には
また盆栽的世界が・・・。
卵からはヒナが生まれます。
少しずつ卵にひびが入り、殻を突き破ってヒナの頭が。
(映像を見てると、ヒナが殻を割るというのは、
意外と人間が産道を通るくらい大変なのだという気がしてきます。)
途中、ビル・ヴィオラの食事シーンが挟まります。
焼き魚の身をほぐし、骨から肉を剥がし、口に入れる・・・。
冒頭の野牛の朽ち行く死体を思わせます。
最後はコップを置いて部屋から出ていくビル・ヴィオラ・・・そして、コップに・・・鼻?
・・・部屋の中に象がいる!

強烈な低音の打ち込みに乗って、目まぐるしく画面が切り替わる
身体刺激シーンを挟んで、第4部です。
どこかの部族のお祭りの様子です。
いかにも「部族の祭り」といった感じの音楽が流れています。
火や針を用いて、やたらと体を痛めつけるお祭りです。
手の上で火を燃やす。火を口に入れる。
体に針を刺す。耳たぶに、まぶたに、唇に、背中の肉に、その他至る所に・・・。
ギャラリーの見守る中、焼けた石の上を歩く・・・。
子供を抱いて歩いている人もいます。
痛みや熱さの中、人々は何だか酩酊的になっているように見えます

最後、第5部は腐りゆく魚。
海から捕られた魚がヘリコプター(?)に乗って空を行く。
BGMはバグパイプの音楽。
山越え谷越え、森にたどり着きます。
草の上に下ろされた魚、やがて体が腐り、蝿が集まり、
鳥に捕食され、骨になって行きます。
九相詩絵巻、お魚バージョンといった映像。
冒頭の野牛の死体、そして中盤のお魚料理のシーンを思い出します。
やがて骨と頭としっぽだけになります。人間が魚を食べた後のよう。
最後には頭もしっぽもなくなり、土に帰っておしまい。

身体感覚・五感に訴えかけてくる映像作品でした。
見るということ(目玉の映像)
聴くということ(バックで鳴ってるいろんなリズム)
味わうということ(肉をついばむ、魚を食べる)
皮膚感覚(炎・焼け石の熱さ、針の痛み)
そして、生(卵からかえるヒナ)と死(朽ちていく野牛・魚)

タイトルに引き付けると・・・。
おのれはおのれが分からない。
おのれの眼球は、おのれでは見ることはできない。
おのれの死後、死体がどうなるか、おのれには分からない。
お祭りは、おのれがおのれでなくなる、自己が解放される体験です。
そして、ビル・ヴィオラ自身も、映像を通して初めて、
おのれを観測することができます。

ということで、3作とも非常に楽しい作品でした。


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3作全体を通して、感じたことをちょっとだけ。

ときどき登場するのが、「謎→答え」という見せ方です。
何の映像なんだろう・・・と思って見ているうちに、だんだん何かが分かってくる。
「ジェリド湖」の車やバイク。
「はつゆめ」の巨大な岩?と思うと小さな石だったり。
「おのれは~」の野牛の死体、動物の目、コップと木、などなど。

逆のパターン。
明確なものがだんだんとよく分らない映像、抽象的な形態に
なっていくケースもあります。
「ジェリド湖」は全体にこういう映像ですね。
「はつゆめ」の船の光、灯籠の光、水滴に反射する光。などなど。

思い出したのが、ロジェ・カイヨワとアンドレ・ブルトンの会話です。
ある日、彼らの目の前の豆が、突然ぴくぴくと動き出す。
豆を割いて何が起こっているのか確かめよう、と言うカイヨワ。
豆の不思議な動きにしばらく陶酔すべきだ、と言うブルトン。
目の前で起こっている現象に対し、現象の解明か、現象への陶酔か、
どちらの態度が良いかという話(だったと思います)。

ビル・ヴィオラの映像は、この豆のようです。
ありふれたもの、見慣れたはずのものが、そうでないものとして見えてくる。
そういう要素があるように思います。
ブルトン的な陶酔を楽しめる人なら、きっとビル・ヴィオラは面白い。

ということで、どの作品も見ることの楽しさを満喫できる作品。
機会があればまた見てみたいですね。


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さて、次回(第7回)の中之島映像劇場は、来年の3月、
戦前日本の漫画映画の特集とのことです。
戦間期の古い映像が取り上げられるようでやたらと楽しみですが、
漫画なのでひょっとしたら少しいつもと客層の違う人たちも来るのかもしれません。
この上映会、毎回チケット(入場整理券)は別に並ばなくても手に入りますが、
次回はひょっとしたら、朝から並んだりする必要があるのかな・・・?