読書記録 -2013年9月- | れぽれろのブログ

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最近読んで面白かった本についての覚え書きです。


・危機の二十年/E・H・カー (岩波文庫)

昨年、歴史学者E・H・カーの「歴史とは何か」という本を読みました(このブログでも
約1年前に記事化しました)が、E・H・カーには「危機の二十年」という
有名な著作もあり、
読もうと思いつつ読めていなかった本を読みました。
読もうと思ってから読み始めるまで、ほぼ1年かかっています(笑)。

「危機の二十年」は1939年に出版された本です。
この年は第2次世界大戦の始まりの年。
第1次世界大戦が終結し、ヴェルサイユ条約が締結されたのが1919年。
そこから二十年、国際政治は目まぐるしく移り変わりました。
国際連盟が成立し、欧米諸国を中心に、世界は平和への再スタートを切ります。
しかし、実際に起こったことは、世界恐慌、そして全体主義の登場、
イタリアのファシスト党、ナチスドイツが台頭し、日本も満州事変から日中戦争へと
突き進んで行きます。
この本は、この二十年間を念頭に置き、国際政治、戦争、経済等々を
どう考えるかについてまとめられた本です。

この本の主要な論点は、ユートピアニズム(理想主義)とリアリズム(現実主義)。
ウィルソンらの国際連盟のあり方は、ユートピアニズム(理想主義)に
偏り過ぎであり、無垢で実効性がない。
しかし、実効性を前提にしたリアリズム(現実主義)に偏りすぎると、
妥協を前提にした活力のない議論になり、不毛である。
国際政治は、理想主義と現実主義の両方に基礎づけられなければならない。
ざっくり言うとこんな感じ。

感じたこと、考えたこと。
国際政治が安定する条件、
まず、経済が拡大していく余地があること、
そして、拡大する経済の下で、大国が強権的かつ緩やかに世界を統治すること。
この2点の条件が重要だと思いました。
19世紀の大英帝国、パックス・ブリタニカの時代がそうですし、
20世紀の冷戦体制(核兵器を背景に米ソ2つの超大国が拮抗する)の元での
西側のパックス・アメリカーナがそうです。
第三帝国にせよ大東亜共栄圏にせよ、歴史的に突き放してみてみると、
理念や正義といった問題ではなく、実効可能性に問題がある。
パックス・ゲルマニアやパックス・ジャポニカを形成するだけの
知恵も力もがなかったことが問題であったのだと思います。

現在、パックス・アメリカーナも怪しくなってきているように思います。
そして現在の世界経済を支えているのは、間違いなく石油です。
米国の状況と原油の状況によっては、危機の時代は必ず訪れる・・・。
エジプトやシリアを見ながら、そんなことを考えてしまいます。



・如何なる星の下に/高見順 (講談社文芸文庫)

以前に高見順の短篇小説「虚実」が面白かったと書きました。
高見順ですが、探しても小説はあまり売ってません。
そんな中、唯一売られていた「如何なる星の下に」を読んでみました。

この小説は1940年の作品、太平洋戦争直前です。
浅草の街を舞台に、主人公である作家と、浅草の芸人や踊り子たちとの
交友が描かれます。
主人公のある踊り子に対する儚い想いと挫折、
そして別の踊り子との複雑な関係性を軸に、物語は進んで行きます。
そして最後は"本当のところはどうなのか分らない"ような、
ある種のオープン・エンドになります。

高見順はやはり面白いです。
物語の組み立て方が良いですが、しかしそしてそれより何より、
描写が物語の主要軸から脱線していく傾向にあり、
このどうでもいいような細部の瑣末な描写(ときに滑稽でもある)が、
なんとなく好きで気に入りました。
物語は一人称で語られますが、この主人公の心理描写がなんとなくコミカルで、
どうでもいいような部分で饒舌になったりします。
以前に読んだ「虚実」と同じような印象を受けます。
加藤周一によると、古代からの伝統的な日本文学の特徴・面白さは、
全体の構築性より細部の瑣末な描写にあるのだそうです。
主要プロットから脱線してどうでもいい部分が饒舌になる傾向は、
この作品にも受け継がれているように思います。
(しかし、この小説はプロットも面白いと思いますが。)

高見順、他の作品も読んでみたいですが、あんまり売ってないなあ・・・。



・生活保護/今野春貴 (ちくま新書)

近年、芸能人の親族の不正受給などの問題で、何かと話題の生活保護。
この本は、意外と知られていないと思われる生活保護の実態、
そして、社会保障をどう考えるのかについてまとめられた本です。

このブログの過去記事でも書いたことですが、日本の社会保障費は
OECD諸国と比較して、低い傾向にあります。
この本によると、生活保護については、対人口比の給付率は
欧州諸国が軒並み5~10%であるのに対し、日本は1.6%。
捕捉率(本当に必要としている人が受給できているかの比率)は、
欧州は国によりばらつきますが、ほぼ50%~90%であるのに対し、
日本は18%、低いです。
生活保護の増大などと言ってますが、日本は元々が低すぎるのです。

まずこの本では生活保護の実態についての実例が挙げられており、
この辺りはできれば多くの方に読んで頂きたい内容です。
生活保護の支給は、財産をすべて切り崩し、1文無しになってしまった時点から
支給が始まります。(逆に言うと財産が少しでもあるうちは支給されない。)
そして、ケースワーカーとともに、勤労・社会復帰(つまりは受給終了)に向けて、
取り組んでいくことになります。
この中で、様々な行政的不備(諸々の理由でお金を渡さない)や、
ケースワーカーによる威圧的・差別的待遇が発生していることが分かります。
さらには貧困ビジネスのシステムに、行政自体が依存するようなケースも
あるのだそうです。
その結果、餓死などで命を落とす人が発生・・・。
そして、不正受給調査(イメージは「1円でも多く支給しない」を目標に人員を
やたらと配置する)に多大なコストがかかっているという行政の姿も
浮かび上がってきます。

財産を切り崩してしまって一文無しになってから、「いきなり生活保護」ではなく、
財産がなくなって貧困に陥る前に、生活保護という形に関わらず、
適切な給付を行い、貧困に陥ることを回避する方が、
行政的コストが少ないということについても、この本では述べられています。

感じたこと。
おそらく、現在の中央の行政機関の方針として、
「1円でも支給は少なく」という方針があるのだと思います。
これから高齢者福祉などで、社会保障費は増大して行くので、
できるだけ絞れ・・・。
こんな政策方針が浮かび上がってきます。
この絞りに対し、「真面目に」取り組む地方自治体においてこそ、
支給漏れやケースワーカーの威圧的待遇が発生する。
こういう傾向もひょっとしたらあるのかもしれません。
餓死などの際に直接問題点を指摘されるのは、地方自治体です。
しかし、今の日本のシステムの場合、中央の方針が変わらない限り、
地方も変わらない。
地方自治体の運用面だけを批判するのも、何やら違うような気がします。

日本の社会保障制度は、おそらく「安定的に成長する企業と、
企業に包摂される核家族」を前提に組み立てられているのだと思います。
安定成長する企業も、企業に包摂される核家族も少なくなり、
このような社会モデルが維持困難になった現在、
社会保障システムを根本から見直すことは、この国の急務。
このように感じました。