3.11 | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

あれから2年。
2年経った今の覚え書きです。

自分は大阪に住んでいます。
2011年3月11日は金曜日。地震発生時は仕事中。
2時46分、少しフラっとしましたが、このときは地震とは思いませんでした。
周りのみんなも揺れに気付いていない様子でした。
自分は眩暈かと思いました。はやく帰って休まないと・・・。

しばらくして津波警報が発令。
さっきの揺れは関東の方の地震だったことが徐々に分かってきました。
東京出身の人が慌てて実家に電話。
東京オフィスからの情報によると、結構な地震だったとのこと。
何やらただ事でない感じなので、この日はみんな早く仕事を切り上げて帰宅。
東京オフィスの人たちは、この日帰宅できなかったそうです。
そして、この日の夜から土日にかけて、
津波情報と原発情報に釘づけになりました。

2年が経ちました。
この2年間で、今まで知らなかった様々なことを知りました。
日本は恒常的に地震が発生する国であること。
地震は頻発する時期と停滞期があり、
たまたま高度成長期は地震の停滞期で、たまたま大きな地震がなかったこと。
とくに9世紀が地震頻発期、今回と同様の地震・津波であったと言われている
貞観地震もこの時期です。
平安時代の怨霊への畏怖や末法思想の背景には、
頻発する地震の影響があるとも言われているそうです。
日本列島は4つのプレートが押し合いへしあい・・・。
そしてこのプレートの動きこそが地面を隆起させ、列島を形作っているということ。
地震と日本国は切っても切れない間柄であるということ。

そして、日本列島は古来より幾度となく津波の被害に遭っていることも知りました。
自分の住む大阪も例外ではありません。
大阪もかつて何度も津波により浸水しています。
浪速(なにわ)は波が速いと書きます。
我が家は海岸線から300メートルくらい、海はすぐそこ。
何かあれば波にさらわれる・・・。
「死ぬときは死ぬし、しゃあないな」←友人との会話。
日本人の死生観は、きっと地震や津波とも無関係ではないと思います。

同時に、原発の問題について、今まで知らなかったことを知ることになります。
原子力発電のしくみ(水を沸騰させてタービンを回す)もそれまで
よく知りませんでしたが、原子炉の模式図を含め、知るところとなりました。
安全と思われてきた原発が、あっさり電源喪失により事故を起こしたこと。
電源喪失の懸念は想定されており、過去に何度も指摘され、
国会審議もされていたこと。
想定されていたにも関わらず、有効な対策が打てなかったこと。
同様の被害に遭った女川原発が事故を起こさなかったこと。
色々なことが明らかになりました。
想定に対して有効な対策が打てない。
これは技術的問題というよりむしろ、社会的・政治的・経済的問題であることが
明らかになりました。

放射能・放射性物質についてもたくさんのことを知ることになりました。
α線β線γ線の物質透過力の違い。
内部被爆、体内に放射性物質が入り込んだ時の脅威度の違い。
がんが発生するメカニズム。
そして、放射性物質の除染の難しさ。
日本人は大衆レベルでおそらく世界一放射能について詳しい国民になりました。
そして、原発を維持するために、被爆のリスクの高い業務があり、
それらに従事しなければならない人たちの存在も明らかになりました。

原発と電力会社の経営の問題。
核燃料廃棄物の最終処分場が決まっていないこと。
核燃料廃棄物が電力会社の貸借対照表上、
資産として計上されているという話も聞いたことがあります。
故に、核燃料廃棄物再利用のための高速増殖炉の運転が不可避であること。
しかし、高速増殖炉の実現は難しく、一向に稼働していないこと。
核燃料廃棄物が再利用されないことになると、
一気に電力会社の貸借対照表が崩れること。
今まで原発は安いと思われていましたが、事故を想定した場合、
原発の費用効率が事実上非常に悪くなり、物凄くコストの高い
発電方式になってしまいました。
電力会社が現状の経営方針を存続させるには、
老朽原発を運転し続けることになりますが、当然古い原発の方が危険度は高く、
再稼働反対のデモが各地で起こることになりました。

電力会社と原発の問題は、一筋縄ではいきません。
70年代の田中角栄の時代以降、地方、とくに目立った産業のない過疎地域に
原発が設置され、
地域の雇用を作り、補助金が落とされ、
原発でまわる地域経済のしくみが整えられました。
急に原発がなくなると、地域経済への影響が出てくるという側面も
あることだと思います。
そして、こういった仕組みは電力会社だけではなく、日本の様々なシステムの
共通の問題であることも、だんだんと分かってきました。
行政官僚、マスメディア、経団連、農協、医師会・・・。
どの組織も問題を抱えていますが、組織の恩恵を被っている人も多いため、
変革がなかなか実施できず、問題を抱えながらも
システムを継続させていくことになる・・・。
自分を含め、人々が徐々にこういうことに気付いてきたのも、
震災がひとつのきっかけだと思います。

先日、福島の子供数名に甲状腺がんが見つかったと報道されていました。
放射性物質との関連性は不明とされていますが、
事態が由々しき方向に進展しないことを祈るばかりです。


最後に1つ、貼りたいリンクがあります。
http://www.shimabuku.net/work3.html
島袋道浩さんの作品です。
2年前の3月、大阪の国立国際美術館で
「風穴-もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」という
コンセプチュアルアートの企画展示がありました。
その展覧会にて、震災発生の後、急遽展示されていた作品です。
この写真は、1995年の阪神大震災のあとに撮影された写真ですが、
奇しくも日付が3月11日です。
人間性回復のチャンス。
現代人に人間性が失われているかどうかは、意見の分かれるところだと
思いますが、少なくともかつてあったコミュニティが脆弱になっているということは
あるのだと思います。
社会性を回復するということは、今後のひとつの
重要なポイントであるような気がします。