二二六 | れぽれろのブログ

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今日は2月26日。
二二六事件が起こった日です。
二二六事件は1936年ですので、今日でちょうど77年です。
自分は近代史・昭和史などが割と好きなので、2月26日というと
この事件を思い出してしまいます。
ということで、思い出すことなどを思いつくままにつらつらと・・・。

二二六事件は日本近代史の中でも希有なクーデター未遂事件。
陸軍青年将校が引き起こした右翼テロです。
日本の現政権は1868年のクーデター(戊辰戦争)により確立されたもの。
近代以降、このような大規模な武装蜂起の事件は、近代初期の西南戦争や
佐賀の乱などの一部の事件を除くと、
この二二六事件のみです。
連合赤軍の事件やオウム真理教の事件などを思い出される方も
あるかもしれませんが、テロリスト側の意志や計画性からしても、
ちょっとケタが違う感じがします。

二二六事件は軍人約1500人が動員された大規模なクーデター。
農村の窮乏を訴え、救国の構えで「君側の奸」を討つ。
当日の東京は雪。雪の中、血まみれの惨劇。
斎藤実内大臣(元首相)、高橋是清大蔵大臣(元首相)、
渡辺錠太郎教育総監らが殺害されます。
岡田啓介首相は、誤って別人が殺害されたため、生き残ります。
鈴木貫太郎侍従長は負傷しますが、生き長らえます。
この人、9年後に首相となり、終戦の聖断を昭和天皇から引き出す役目を
担った人です。

この事件後、木戸幸一をはじめとする宮中有力者が
かなり毅然とした態度で臨んだため、内乱は鎮圧される結果となりました。
クーデター部隊鎮圧のため、東京には戒厳令が敷かれました。
これに相当する事件は、以降発生していませんし、
今後もよほど社会が変わらない限り、起こることはない気がします。

二二六事件は、天皇陛下を頂いてのクーデターです。
(もちろん昭和天皇自身の意志とは関係ないですが。)
このことが日本的で面白い気がします。
7世紀の天皇支配体制の確立以降、日本の歴史を通して、
「反天皇」を掲げての反乱はほとんど見られません。
明確に「反天皇」を掲げたのは、平将門くらいでしょうか?
鎌倉以降の武士政権は、すべて天皇の権威を借りて政権を確立する形であり、
天皇を否定していません。
南北朝にせよ、皇位の正統性を巡る争いです。
中世末期の戦国大名や一向宗徒たち、近世初期に反乱を起こした
キリシタンたちが、天皇をどう考えていたかはよく分りませんが、
この時代(15世紀~17世紀ごろ)は、日本の歴史上天皇の権威が
最も小さい時期で、あんまり意識する必然性がなかったのかもしれません。

いずれにせよ、万世一系を否定する勢力は、
不思議と日本では力を持ちにくいようです。
共産主義・コミンテルンの思想は、おそらくは天皇制とは折り合わない思想だと
思いますが、それ故に昭和初期、共産主義は治安維持法により大打撃を受け、
壊滅します。
その代わり、治安維持法は天皇制を否定しない二二六事件のような
右翼テロは防げなかった、ということは前にもどこかで書いた気がします。
石原莞爾や宮沢賢治が所属していた国柱会にせよ、
日蓮宗なのに天皇を重視しています。
この辺りが日本の思想の面白いところですね。
(→あんまり面白がってると怒られそうですが。)

付随して、少し思想と政治の話。
二二六事件の青年将校たちの革命思想のよりどころのひとつになったのが、
北一輝の思想です。
日本近代の思想には2つの大きな流れがあると思います。
ひとつは欧化主義、脱亜入欧、欧米の合理主義を徹底し、
欧米に追いつけ追い越せを旨としながら、欧米とは喧嘩せず協調的に
やっていこうという思想。いわゆる対欧米協調派。
もうひとつは、日本は欧米ではなくアジアの一員であり、
欧米の覇道に対向し、アジアとの関係性を重視する、
場合によっては欧米との対立も辞さない、オルタナティブ派。

もちろんこの2つだけに集約させるのは大きく無理があると思いますが、
ざっくりこの2つの流れに分けて考えると、結構面白い気がします。
思想家であれば、前者の代表が福沢諭吉、戦後であれば丸山真男。
後者は岡倉天心、戦後であれば竹内好なんかを思い出します。
北一輝も後者ですね。

政治家であれば、前者は伊藤博文や明治期の国権派、元老たち、
大正昭和以降も西園寺公望を中心とする政治主流派、
宇垣一成などの陸軍主流派はこちら。
戦後の自民党主流派も前者ですね。
後者は西郷隆盛にはじまり、明治の民権派や在野の右翼系結社など。
大正以降の陸軍の反主流派、永田鉄山や石原莞爾などがこちらの立ち位置で、
満州事変以降、急激にこのオルタナティブ派が陸軍の主流派になります。
二二六事件もこのような流れの中に位置づけられる事件だと思います。
(もちろん、オルタナティブ派も、皇道派、統制派、石原派など、
一枚岩ではありませんが)
敗戦後も、一部の人たちの間にオルタナティブ派の思想が残っている気がします。

で、日本の場合、前者の欧化主義はいつも不徹底で終わり、
後者のオルタナティブな改革はいつも大失敗に終わる
(しかもアジアとの関係重視どころか、だいたいアジアに迷惑をかける)
という歴史があります。
この辺りがどうにもこうにも何ともならないのが、日本近代のもどかしいところ。

現在の政治家さんたちは、昔と比べると当然思想的には変化していますが、
欧米協調派系列の末裔が安倍晋三、オルタナティブ派系列の末裔が鳩山由紀夫
といっても良いかもしれません。
そして不思議なことに、現代では愛国だの日本の美だのという人は、
なぜか前者が多いです。
いわゆる右翼とよばれる人たちは元々後者のオルタナティブ派なのですが、
現在はどういうわけか前者の欧米協調派というか、
米国大好き・アジア大嫌い派が逆に国粋的になってしまっている気がします。
この屈折がどこから生じたのか、思想の逆転がなぜ起こったのか、
個人的になんとなく興味があります。

そして戦後、オルタナティブな政治活動を行おうとすると、
なぜか特捜検察に挙げられるという(笑)、妙な歴史があります。
田中角栄、鈴木宗男、小沢一郎・・・。
何だかよく分らないような罪状で、世紀の悪人のように仕立て上げられるという
謎の歴史。

・・・だいぶ話がずれてきた(笑)ようですし、
あんまりいい加減なことを書いてると怒られそうなので、この辺で。

ちなみに、自分のパソコンはWindowsの標準変換機能を使ってますが、
「ににろく」で変換すると「二二六」と自動で出てきます。
同じく昭和史の重大事件である五一五事件は「ごいちご」でも変換できません。
「いちいちなな」は変換できませんし、「きゅういちいち」も無理です。
二二六はやはり固有名詞としての扱いが大きいみたいですね。
「さんいちいち」も変換できませんが、そのうちできるようになるのでしょうか・・・?