詩歌と戦争/中野敏男 | れぽれろのブログ

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中野敏男著「詩歌と戦争-白秋と民衆、総力戦への道-」(NHKブックス)
を読みました。

自分は近代史が好きで、とくに大正・昭和初期に関する本をよく読みます。
同時に自分は音楽が好きで割と何でも面白がって聞く方で、
童謡や唱歌なども好きです。
この本は大正・昭和期の童謡を中心とした大衆文化史と
戦争への関わりを描いた本とのことで、面白そうなので読んでみました。
以下、内容と感想。


維新以降、民衆の国民化、地方言語の画一化等々の観点から
文部省唱歌が設定され、学校教育の場で音楽教育が実施されることになります。
この文部省唱歌は外国曲を題材にしたものが多く、
そこに郷愁や愛国といった要素が追加されたもの。
詞も音楽も国家主導で制作されたものです。

大正期以降、この唱歌に異を唱えたのが、北原白秋を中心とした
在野の詩人・作曲家グループ。
「赤い鳥」「コドモノクニ」などの雑誌に詩を掲載し、
国家による押しつけの愛国・郷愁ではなく、民衆の自発的な郷愁の念を
大切にするような、そんな童謡を制作します。

そして起こる関東大震災。
震災は東京の人口を一時的に減少させ、東京に住む一部の人たちは地方に
移住することになり、その結果この時期に分権・自治が少なからず進行します。
同時に起こるのが地方の新民謡ブーム。
レコード・ラジオの大衆化を背景にした「東京音頭」などの大衆歌謡のブーム。
そしてそれらに描かれる歌詞、民衆により"自発的に"歌われる郷愁・愛国の念。

時代は満州事変から日中戦争を経て太平洋戦争に突き進みます。
朝日新聞などのメディアは自発的に愛国を鼓舞し、
北原白秋を中心とした詩人たちも、郷愁の念や愛国の念から軍国主義賛美へと
容易にジャンプします。
この本では、このような詩人の軍国主義化を、大正期の詩人の変説ではなく、
大正期からの必然的な連続性として描かれます。
そして、震災以降の分権化と自治の要素が、
隣組や産業報国体制の形成に貢献したことについても触れられます。
愛国・軍国化は、大衆の自発性と国家からの制度化の相互連携の結果であり、
決して国家からの一方的な強制ではないとして記述されます。
そしてそれらの強力な一助となったのが、
詩歌にて歌われる"郷愁"であたっとされます。

かつては昭和の戦争は国家が大衆を強制的に動員したと言われてきました。
自分も学校教育などで基本的にそのように教わってきたように思います。
しかし、最近の研究を反映した書籍では、戦争はけして上から(国家から)の
押しつけではなく、下から(大衆から)の積極的な協力・後押しがあった、
むしろ大衆とメディアが戦争を鼓舞した面が大きかったと
分析されるケースが多いです。
合わせて、かつては大正デモクラシーと戦後民主主義の時代に挟まれた
「戦前昭和」が特殊な時代であったとして描かれることが多かったと思いますが、
最近では、大正・戦前昭和・戦後の連続性を重視する著作も多いように思います。
この本も、このような史観の中に位置づけられる本であると思います。

関東大震災を経験した大正末期と同様に、
東日本大震災を経験した現在、"絆"のような言葉が盛んに喧伝されますが、
"絆"は容易に"愛国"にジャンプします。
愛国は別に悪いことではありませんが、"我々"と"我々以外"の分断を
促進しやすい言葉で排外主義に向かいやすい。
排外主義はまわりまわって愛国の主体である我々を不幸にしやすい。
"絆"のような情感は生きていく上でとても大切なことだと思いますが、
合わせて必ず冷静さと知恵が必要なんだと思います。
本の内容からやや外れるやもしれませんが、そのようなことを感じました。


もうひとつ。

この本では色々な唱歌・童謡・民謡が紹介されます。
現在では、唱歌も童謡も同じように学校教育の場などで歌われ、消費されます。
しかしそもそも唱歌と童謡は詩作の経緯が異なりますし、
同じ民謡でも明治期と昭和期では少し趣が異なります。
この差異も結構面白いです。
覚え書きを兼ねて少し列挙します。

「故郷」 (うさぎ追いし♪)
大正初期の文部省唱歌です。
国家からの上意下達による郷愁の念。

「我は海の子」 (我は海の子白浪の♪)
これも明治末期の文部省唱歌。
7番の歌詞「我は拾はん海の富」「いで軍艦に乗組みて」は
対外進出を表しており、現在は歌われないとのこと。

「砂山」 (海は荒海♪)
1922年、北原白秋作詞
こちらは童謡で、大衆の自発的な郷愁の念、ということになります。

「この道」 (この道はいつか来た道♪)
1926年、北原白秋作詞
これも童謡。
この詩は樺太(植民地)からの帰り道、北海道で制作されたのだそうです。
歌詞に時計台が出てきます。

「里の秋」 (静かな静かな里の秋♪)
1945年、戦後の童謡です。
3番の歌詞、椰子の島からお舟に揺られて帰ってくる父さん。
これは引き揚げの歌とのこと。
椰子の島なので南方戦線から帰ってくるということなんですね。


民謡の差異も面白いです。

高知の「よさこい節」は明治20年代の歌。
この時期特有の明るい歌詞になっています。

静岡の「ちゃっきり節」は北原白秋作詞で昭和初期の歌。
地方の特色を列挙した歌詞が、昭和初期の自治化を背景にした
この時代の特徴なんだそうです。
「歌はちゃっきり節」「男は次郎長」「花はたちばな」「茶の香り」

「東京音頭」は1933年の曲。
民謡というより大衆歌謡。
レコードが100万枚以上売れ、大ヒットとなったのだそうです


自分は歌が好きなので、ぼんやりとこれらの曲を鼻歌で歌ったりしますが、
作詞・作曲の歴史的経緯にはどちらかというと無頓着でした。
こういうこともちゃんと調べてみたら面白いかな、などと思いました。