好きなことば | れぽれろのブログ

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座右の銘、というと大げさですが、いろいろな局面で、
折に触れて思い出す言葉があります。
今日はそんな言葉を並べてみます。


・禍福は糾える縄の如し

幸福と不幸は表裏一体。
今日の不幸は明日の幸福につながるかも知れず、
明日の幸福はまた別の日の不幸のきっかけでもある。
人生ってそういうものなんだと思います。
辛いことや嫌なことがあったときに思い出す言葉です。
今日の辛さは別の日の幸せのための準備期間なのかもしれない。
そういう風に考えることにより、前に進むことができます。
そして、誰かの幸福は誰かの不幸に繋がるかもしれない、
しかしその不幸はまた別の誰かの幸福に繋がっていくかもしれない・・・。
自分が幸せなとき、この幸せは誰かの不幸の上に成り立っているのではないか、
などとふと考えてしまうこともあります。
そして、不幸事が社会の特定の人に偏らないように是正するのは、
必要なことだと思うのです。


・10年経ったら笑い話

30年ほど生きてきて思うこと。
色々な出来事・体験も、10年も経てば、
大概のことは笑って振り返れるようになります。
恥ずかしかったことも10年も経てばどうでもよくなるし、
苦しかったことも10年経てばいつの間にか自分の心の財産になっている。
そういうものだと思います。
そして今現在でも、何かを始めたり行動したりするとき、
この言葉を思い出すようにしています。
しかしこの言葉、どこで知った言葉なのか、なぜか思い出せないのです。
そう遠くない昔に覚えた言葉だと思うのですが・・・。
で、今回インターネットでこの言葉を調べてみると、
どうも向田邦子脚本の映画のセリフらしい・・・。
自分は向田さんの作品は見たことないのですが、なぜか言葉だけ覚えています。
どこで知ったんだろう?


・偽りても賢を学ばんを賢といふべし

出典は徒然草、第85段です。
前後の文章を抜粋すると・・・

 狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
 悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
 驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。
 偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

要するに、賢いふりをしていると賢くなってくるのではないか、ということです。
逆に、馬鹿なふりをする人は馬鹿と同じだ、と言っています。
そのとおりだと思います。
世の中にはわざとあくどい振舞いをする人もいますが、
そういう風にはなりたくない・・・。
嘘でも良いので、誠実なふりをして生きていきたいものです。
本当に誠実かどうかは、どちらでもいい。
誠実なふりをしていると、自然と誠実な人間になっていく・・・。
そういうものだと思います。


・創造とは記憶である

映画監督の黒澤明の言葉だそうです。
人づてに知った言葉で、黒澤監督がどういう文脈で発した言葉なのかは
分かりませんが、文章だけ見ても、この言葉は実に納得的です。
人間は無から何かを発想するのではありません。
発想の根源には必ず記憶があります。
クリエイティブな人というのは、その背景に膨大な記憶のアーカイブがある。
経験と記憶の蓄えが多い人ほど、創造的になれる。
自分は決して創造的な人間ではないし、脳のキャパシティも大した容量は
無いような気がしますが、それでもできるだけ記憶を蓄えておきたい。
記憶と経験の蓄えが少しでも多くあれば、何か事が起こったときに、
少しはマシな行動ができるのではないか。
さらに、豊富な記憶と経験から心に余裕ができれば、少なからず
人の気持ちを考えて、人にやさしく接したりすることができるのではないか。
そんな風に思ったりするのです。



以上、好きな言葉を4つ並べてみました。
自分の好きなものをこうやって並べてみると、何やら恥ずかしい気もしますが、
この記事も"10年経ったら笑い話"。
10年経って読み返したら笑って読めるような、
そんな思い出になるのかもしれません。