日本近代短篇小説選 昭和篇3 | れぽれろのブログ

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年末年始に文芸作品をちょこっと読みたいなと思い、
本屋さんで売られていた岩波文庫の「日本近代短篇小説選」のシリーズが
目に付いたので、その中の"昭和篇3"を買ってみました。
で、年末からお正月にかけて読んだのですが、意外に面白かったので、
感想などを書き留めておきます。

「日本近代短篇小説選」は文字どおり日本近代の短編小説のシリーズで、
明治篇・大正篇・昭和篇と分かれており、
今回読んだ"昭和篇3"が一応の最終巻に当たるようです。
1952年から1969年まで(昭和27年~44年まで)の間に発表された
計13篇の短篇が掲載されています。
サンフランシスコ講和条約の発効が1952年、戦後7年め。
時は冷戦体制下、55年体制が成立し、もはや戦後ではなくなり、
60年安保を経て、高度経済成長を達成し、右肩上がりの時代がひと段落、
低成長期の70年代を迎える直前までの時代の作品です。

全編通して感じたことを2つ。

1つは多くの作品に戦争が影を落としていること。
軍隊を直接振り返って描いた作品が3作品。
軍隊だけでなく、空襲などの戦争体験が登場する作品がいくつか。
そして、直接戦争体験が描かれない作品においても、
やはりつい数年前まで戦闘状態にあったということが
メンタルに影響しているように見える作品が多い気がします。

もう1つは濃密さ。
戦争の描写はもちろん、この時代の家族やコミュニティの雰囲気、
人々の心のありようが、現代人に比べて濃密であるような感じがします。
現代人の心性は、この時期の人の心性より、もっとドライな気がする。
この時代は濃密だが息苦しい。
現代人はもっと自由ですが、考え方によっては空疎でもある。
もちろん小説だけでこういったことを一般化するのは良くないですし、
勘違いなのかもしれませんが、現代とのそんな対比を考えました。

自分は美術が好きなのですが、50年代あたりの日本美術(洋画)は
なんとなく暗い作品が多い。
暗いですが、何だかすごく濃密です。
池田龍雄、浜田知明、阿部展也、芥川沙織、尾藤豊・・・
この辺りの人の作品と雰囲気を共有しているようにも思いました。


ということで、以下いくつかの作品について感したことや覚書など。
いつものごとく、主題や要点からはどんどん離れていきますので、
悪しからずご了承を。

・驟雨/吉行淳之介
好きになってはいけない人を好きになっていく。
男の子の心境が描かれます。
なんというか、ものすごくリアルです。
この作品の場合、好きになる相手は娼婦なのですが、
別に娼婦であるかどうかに関わらず、こういう経験を持つある種の男性は
この作品の主人公の気持ちを非常にリアルに感じるのではないでしょうか・・・?

・黒い袖/幸田文
ある女性の一生を描いた作品ですが、印象に残るのはお葬式の場面です。
何というか、大層なお葬式です。
現在は家族葬が多く、自分の父や祖父母なども家族葬に近い形だったのですが、
そういえば自分が幼いころ、(幼くて記憶が曖昧ですが)80年代は、
お葬式といえば親戚一同や企業の人などがわんさかやってくるような、
こんな雰囲気だったような気がします。
来る人来る人にどんどんお茶を出したり、女の人はたいへんだったような。
この辺りも、現代にはない濃密さです。

・結婚/庄野潤三
上に挙げた"驟雨"は男の子のリアリティでしたが、
この作品は女の子のリアリティが描かれます。
(といっても作者は男性なのですが。)
主人公の女性は、結婚→離婚→不倫→別の男と再婚、というプロセスを辿る。
そして、最初の男と離婚した後、セックスの楽しさに目覚めます。
しかもセックスに目覚めた不倫相手とその後の再婚相手は知り合い。
筋だけ書くとドロドロに見えますが、心象描写はあっさりしており、
淡々とした小さな幸福が描写されたりもします。
いい感じです。

・二世の縁 拾遺/円地文子
この話は物語が入れ子構造になっており、間に描写される
上田秋成の「春雨物語」からの抜粋部分が好きです。
即身仏になった男が数十年を経て"復活"し、
蘇った結果ものすごい俗物になる(笑)。
自分は崇高なものより俗なものが好きなので、こういうお話は好きです。
最後の幻想的なシーンも良いです。

・帝国軍隊に於ける学習・序/富士正晴
1961年の時点から戦前の軍隊を振り返った作品。
日本の軍隊のショボさが描かれます。
そして、このショボさこそが日本の戦争のリアルである気がします。
この作品にも登場するような"組織全体の利益を度外視した報復的人事"は、
現代の企業でも時々見られることです。
何というか、ショボいです。
我々が克服すべきはこのショボさなのですが、これがなかなか難しい。
そして、経済にせよ原発問題にせよ、このようなショボさの克服こそが
キーであるような気がするのです。

・夏の葬列/山川方夫
遠い過去の戦争と殺人の記憶が蘇ってくる、恐ろしい物語。
全13篇の中で、この作品が一番サスペンス的・エンタメ的によくできた
面白い話だと思います。
後味は最悪に悪いですが・・・。
そしてこの作品、ずっと昔に一度読んだことがある気がするのですが、
どこで読んだのか思い出せないところも個人的に後味が悪い・・・。

・無妙記/深沢七郎
今生きているわたしも元気なあなたも、やがてみんな骨になる。
そんな想いに取りつかれた描写。
人は必ず死ぬ。
今生きている男も数時間後には交通事故で死ぬ、あるいはナイフで刺殺される。
骨になる。
深沢七郎は「楢山節考」の作者でもあり、自分は今村昌平監督の映画で
見たのですが、この「無妙記」の骨の描写は、どうしても
今村版「楢山節考」のラスト(衝撃映像・・・)を思い出してしまいます。
人は必ず死んで骨になるのですが、それでも人は愛し合う。
この「無妙記」はやり切れない話です。
今村版「楢山節考」もやり切れない話ですが、
それでも性愛や生を肯定する(ように見える)今村版が好きですね。

・蘭陵王/三島由紀夫
この短篇集、最後を飾るのは三島由紀夫です。
いろんな作品を見てきた後、やっぱり三島由紀夫はすごいな、と思います。
文章は美しいですし、描写がすごく良い感じです。
美文ですが、内容は何だか虚構的。
作者個人の体験をベースにしているようなのですが、
何というか、端的に言ってうそくさい。(←小説にうそくさいも何もないのですが・・・)
とくに、富士正晴の作品を読んだ後では、"盾の会"のやってることが
ものすごくリアリティの無いことのように見えてきます。
"盾の会"の美しい愛国、日本の雅楽の笛の美しい音色、
美しいですが、何やら虚構的です。
うそくささも含めて、何というか、すごく小説として良い感じです。
この作品は1969年。
翌年、美学的に生きた三島由紀夫は壮絶な(しかし滑稽でもある)
死に方をします。
自らの偏った美学に沿って生きることは、周りから見ればショボいし滑稽。
美学的に生きることは幸せなんだろうか?
上記に「ショボさの克服」などと書きました。
社会としてショボさを克服することは重要ですが、
個人としてショボさを抱えたまま自分の美学に沿って生きるのは
悪いことではないのでははないか・・・。
そんなことを考えました。


ということで、なかなか面白かったので、このシリーズの他の作品も
読んでみようかなと思っています。