幸せへのプロセス 4 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

幸せへのプロセス 1
幸せへのプロセス 2
幸せへのプロセス 3
の続編です。


幸せを得にくい状況というのは、どうして生じるのか。
もちろん、幸せについては現代では多様な価値観があるので、一概には言えません。
けれど、非常にざっくり分けたときには、次の二つの大別できるように思います。

一つは、精神的な側面が強く、人間関係や人との心のきずなや交流がもたらす幸福です。
これは、互いのことを理解している家族とか愛し合っている夫婦関係とか、信頼があって何でも話せる友達との関係とか、そんな人との間に根ざした幸せです。
友達と一緒に騒いでいるときが一番楽しいとかいうのも、これに含まれます。
接客業でお客様から感謝されることが喜びに感じる、というのも、こちらに近いと言えるでしょう。

もう一つは、物質的なものが充足されることで得られる幸福です。
空腹が満たされるというのは、誰にとってもそうです。
人間には本能的な欲求がいくつもあり、食欲や性欲などもそうですが、この欲求が満たしたいというのが動物としてやはりあります。
また経済的な裕福さや社会的な地位を得ることも、これは現代人にとっては当たり前の幸せでしょう。

このどっちかだけに偏っている人は、珍しいでしょう。
たいていの人間は、これらのバランスの中で幸せを感じています。

この二つの中間的なものもあります。
ある芸術的なジャンルにおいて、自分の目指すものを確立するとか、究めたい道みたいなものがあれば、それは精神も、そしてモノとしての形も両方が混ざったものになるでしょう。ただ社会的な成功を求めないなら、精神の自己満足=幸せでとどまるかもしれませんが。

私のやっている占星術の研究は、これは自分が好きで趣味でやっていたものの延長が、今のような状態を作り出してしまったわけですが、これには宇宙の星々の動きと人の命のかかわりを見極めたいという知的欲求が満たされる幸せもありますし、現に仕事として成果や収益をあげられるという喜び=幸せもあります。また人の役に立てるという喜びもあります。

また私だけではないと思いますが、「一人でいる時間が大事。そこでいろいろ考えたり、好きなことをする時間を得ることが幸せ」というもありだと思います。
これはその一人の時間に何をしたいかということに関わっています。読書か、あるいは音楽を聴きたいのか、それともゲームでもしたいのか。
そういたものがいろいろある人なら、一人の時間の確保というのは幸せにつながりますが、これもまた精神的な側面が強いかもしれません。

絶対に大金持ちと結婚したいとか、サラリーマンなどではなく名鑑に乗るほどの大成功を収めたいとか、そのような大望を抱く人はともかく、一般的な感覚で私たちもわかりやすいのは、「仕事もそこそこちゃんと成果が出て認められ、良い配偶者を得て、家族を持ち、ある程度の生活を維持したい」とかいうものでしょうか。
人によって、これにまったく違った要素が加わる可能性もありますし、多少肉付けされる個所が出てきたり、変わったりする部分はあろうかと思いますが、きわめて平均値的な幸せです。
(結婚願望などみじんもない人もいますので、そういった個性はまた別として)

こういった決して高望みではない、人としてごく普通の望みが、なかなかかなわないということが、現実にあります。それこそ、このかなわないという不幸せは、非常に多くの人が「当たり前に」経験しています。
なぜかというと、幸せを得た人でも、それを得る前夜が必ずある。
ごくまれには最初から最後まで幸せでしたという人もいるかもしれませんが、そんな極端な例はほとんどありません。

幸せを得るためには土星の資質を自分のものとする。
これは幸せがバランスシートに乗っている以上、外せない法則としてお伝えしました。
でも、こうした土星の忍耐や勤勉、努力などをしている。だけど、なかなか自分が望む幸せが得られないんだ、というかたもいます。

幸せというのは個人の受け止め方や視点で変わります。
このシリーズの最初に申し上げたように、私は自分の人生を幸せなものと感じていますが、私以外の人間が私と同じだけの辛酸を舐めて、それでもやはり幸せというかというと、それははなはだ疑問です。
私の場合は、たぶん精神的な側面にかなり幸福のありかを求めていて、もし物質的な側面の幸福を強く望む人の場合は、これは完全に「不幸だ」と断言する可能性が高いのです。

こういった違いがあることも忘れないでください。

そのうえで、私は幸せになりにくい人には、やはりいくつかのタイプがあると感じています。以下、それについて思うことを述べさせて頂こうと思うのですが、この記事の目的はそういった人物評をあげつらうことではなく、それぞれの人にとって幸せに至るプロセスがあるのではないかという考察ですので、そこはご理解くださいませ。


よく言われることで、このブログにも過去、書いたことはあるのですが。

お金や愛情は似た特性を持つ。
それは欲しがると逃げ、執着しないと寄ってくる。

これは考えてもらったら、多くの人が首肯されると思うのですが、「金が欲しい、金が欲しい!」と言い続けている人のところには、お金は集まりません。
「そんなこと言う前に、金を得るための行動をしろ」というのが、まさしく正しいのですが、それ以外にも重大な問題があります。

「金が欲しい」という叫びは、そのまま、「俺は今、金がない!」と表明しているのと同じです。つまり金がない自分をアピールし続けることです(人に向かって叫ぶとか、心の中でつぶやくとかいうのも、この場合は同じ行為です)。
つまり金がない自分を認め、増産しているのです。

この世界は人の意識によって創造されます。
私がたちが日常に見ている様々なモノ。
たとえば私の使っているPCや、読む小説、映画館で見る物語や、それを映写する機械、乗る車、バイク、列車、飛行機。学校で使う教材や文房具。
机、椅子、ペン。
住宅。マンション。
会社、政治システム。行政システム。そして法律。

これらはすべて人の意識の中で先にイマジネーションされ、そしてアイディアや工夫によって現実に創造されたものです。
意識の中でイメージされたものが、この世に出現している。

「金が欲しい」という叫びは、そのまんま「金がない」という自分を肯定し、この意識を現実に焼き付けようとしてしまいます。

これはまた、きわめてリアルですけど、「俺、彼女が欲しい」というのも同じです。
これもまた「彼女いねえ~!」という現実を、欲しがることでコピーするようなものです。

この望む気持ちが非常に強いかたは、その気持ちの強さのぶんだけ、逆にその望むものを遠ざけてしまうことがあるように思われます。

当たり前の、ごく普通の結婚がして暮らしたいだけ。
という望みはまったく高望みでも何でもなく、誰でも手に入れて良いもののように思えます。ところがその「普通の望み」もあまりにも強く望みすぎると、逆にそうでない今の自分が強く印象付けられてしまい、今の自分を明日も明後日も生産してしまいます。

つまり執着と言えってしまえるほど強い望み。
こだわり。
このような状態になってしまうと、逆に幸せになりにくくなってしまう。

つまり、このタイプのかたは、この執着を手放してしまったほうが、自分も楽になるし、また本当に望んでいたものも招き入れやすくなるのです。


私が考える二番目の提言は、「執着を捨てる」ことです。

そのための知恵は、かつてこのブログにも書いておきました。

テーマに「運命の逆転法」という項目がありますので、それで書かれて記事がいくつもあります。
まだお読みでないかたは、一度、読んでみてやってください。

得たかったら、それを捨てる。
結果、得られる。

ただ、これができる人は、わりと珍しいほうかもしれません。
本当に望んでいることを、すっぱりあきらめてしまうことが、この秘訣なのですが、実際には「あきらめてしまったら、本当にもう得られなくなるような気がする」と感じて、怖くてそこへ飛べない人が大勢いらっしゃるのです。


そこで、もう少しやりやすい方法もいくつかあります。


続く。


追記
momoさんからご質問があったので、それを含めて少し追記しておきます。
少し説明不足だったのかもしれません。
ここで述べている「幸せを求めながらまだ得られない人」というのは、それを得るために、それこそすでにありとあらゆる努力をしてきたのに、それでもなお得られないというケースを指します。
ごく初期の段階で、望みを抱き、それを達成するために努力すること、創意工夫することなどは、すでに前提になっていて、それらをし尽くしたような人とお考えください。

幾度も幾度もチャレンジした。
それでも扉が開かない。
何年たっても成就しない。

このような状態でさらに厳しい努力や忍耐を続けることは、精神的にも耐えがたいケースがあります。
このようなケースでは、一度執着を捨ててしまうことも、一つのきっかけになるかもしれないということです。
この点については、過去の「運命の逆転法」もお読みくださいね。

ただ文中にあるように、これができる人もいればできない人もいます。

この続編は、また明日(の予定です)。



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