幸せへのプロセス 2 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

幸せの形、質は時代によって変化してきました(全体的傾向として)。

たとえば江戸時代のことを考えてみましょう。
封建社会。
完全に男性優位で、人々は生まれ持った身分というものに縛られていた時代です。

こういう社会では、人の選択肢も現代に比べると、極めて限定されています。
農村に生まれた人は、読み書きをすることもほとんどなく、毎日、田畑の仕事をして、成長したら村内か近隣の住人の中から配偶者を選び、子を産み、育て、そしてその子たちも同じように生きていく……

このような環境に置かれ、それが変え得ないとしたら、人はその枠の中でしか「幸せ」を見つけることができません。

この封建時代というのは、完全な父権社会であり、男尊女卑、身分階級制度の管理など、様々な面から見て、「土星社会」と言えます。
土星は人を管理する星であり、父権的な天体だからです。
社会の枠組みは、土星によってつくられているのです。

ところで、人の運勢は、この「枠」による制限を必ず受けるようになっています。
現代人でもすごくわかりやすいたとえをすると、人を殺し、10年刑務所に入ったとします。
10年は非常に長い期間です。
当然ですが、服役しているその人にも、その10年間に様々な運勢が通過して行きます。

普通に社会生活をしていたら、結婚するような運勢が来ても、刑務所の中ではこれはまず起きえません(ゼロではありませんが)。
仕事で絶好調になるような運勢が来ても、それはあくまでも刑務所の中での労務の中でしか発揮できません。

つまり人は自分の居場所による制限を受け、その枠内での幸せしか享受できないのです。

土星管理社会の昔、この枠は国民のすべての上にかかっていて、個人の幸せも限定されたものであったということが言えます。

ところが時代が経過し、この土星管理の枠が少しずつ外されてきた。
とくに土星を超える天王星やトランスサタニアンが発見されて以降。

こうなると、枠はかなり後退し、人々は土星に預けていた個人の運勢を、自分のところへ引き下ろすことができるようになってきた。
これが結局、現代の自由というものです。

もちろん今でも枠はあります。
たとえば私たちは日本という国に良き、日本人のDNAを持っています。
黄色人種のDNAという枠は生まれ持ったもので決して外せませんし、日本の社会制度や常識という枠制限を受けています。

一夫一婦制もそれで、日本人は一人の配偶者と入籍して暮らすという感覚を当たり前のこととして受け入れていますが、フランスなどでは事実婚であればOK、入籍もしないのが当たり前のようになっていますし、イスラム圏の国では一夫多妻制度もあります。

国の運勢というのは、個人の運勢ではいかんともしがたいものがあります。
国が戦争を始めてしまえば、個人はその影響を受けます。
世界恐慌が起きれば、不況をかぶります。
震災のような出来事も同様です。
(念のために申し上げておきますが、全体の命運が個人の命運に優越するからといって、私は個人の命が国家によってどうにでも扱われて良い、などとは決して思いません)

とはいえ。
土星管理社会より、現代ははるかに多くの選択肢が私たちにはあり、職業も選べるし、配偶者も村の中からしか選べないなんていうことは、まったくない。東京に出て見つけてもいいし、地球の反対側から伴侶を選ぶ人もいます。

これは素晴らしいこと。
しかし、物事にはプラス面とマイナス面がかならずあります。

土星管理社会から多くの権利や選択肢を得た分、昔は「お上」に預けていた責任も、個人の身の上に渡されています。

先ほどの刑務所の話ですが、刑務所に入る人生、入らずに普通に生きる人生、これもまた自分で選択できますよね。
当たり前の話ですが。

何を選択し、何を持つか。
何を引き寄せるか。

愛を抱くのも否定を抱くのも、人の自由です。
職も人間も、自分が受けているある程度の制限の中で、自由に引き寄せることができます。

これが結局、人の幸せを大きく変えてきた。
時代によって、幸せの意味やあり方も変化してきた、ということなのです。


続く。



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