幸せへのプロセス 1 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

これまでに多くの鑑定をしてきて、たくさんの人と出会ってきました。
当然のことなのですが、世の中にはいろんなタイプの人がいます。

そして、これもまた当然のことなのですが、タイプによって感じる幸せも違えば、幸せに至るプロセスも違います。
時代によっても違います。
ここのところ昔の日本人というものを、あらためて感じる機会が多くあり、このそれぞれの幸せということについて、いろいろと考えるようになりました。

私は大家族の中で育ちました。
子供のころは、曽祖父母、祖父母、両親、兄、そして私という家族構成で、なんと八人家族だったわけです(+猫とか犬とかもいた)。
私が生まれたのは昭和37年で、父は昭和10年の生まれ、両親も含め、それ以前の世代の人たちはすべて戦前の人で、曽祖父母などは明治の人です。

こういう家に育ったためか、昔の日本人の考え方や価値観みたいなものは、わりとすっと胸に入ってくるところはあります。
食べて行けることが幸せ。
病気などもなく、健康で日常を送って行けることが幸せ。

全体傾向の話なので、個人のことはさておき、この当たり前のことが幸せであるという、素朴な感覚は、じつはDNAなのか、私の中にもあります。
ただ、やはり世代が違います。私も文明的ないろいろな情報に毒されていますし、これを実感するようになったのは、やはり「死ぬような目に遭って」からでした。
それ以前の私と、以後の私では、「幸せ」の感じ方はまったく違います。

最近ブログを読み始めた方も大勢いらっしゃるようなので、もう少しだけ私のことに触れさせてください。でないと、私が日常に書いている、奥さんと旅行したとか、美味しいものを食べに行ったとか、家族で何をしたとか、そんな「良い部分」だけを目に留めている方には、
「しょせん、お前は幸せだから、そういうことが言えるんだ」
という、感覚を与えてしまいかねません。

このブログは、基本的に良い側面、光の部分について書かれることが多い。
でも、じつは長い間ブログを普通に書いてきた裏側では、私は死を覚悟して実行しかかるところまで行っています。そんなことはブログ上には、その時は片鱗も出さずに、です。
またブログ史以前のことにさかのぼれば、極限的な精神状態に追い込まれ、笑うことさえできなくなった時期もあります。
苦しみもがき、現状を変えようとあがき続け、さまざまなことをやりました。
何年も睡眠時間を削り、努力を積み重ね、作り上げたものが、結局、否定されてしまったこともあります。
それこそ否定されたことは何度もあります。

ちょっと前のブログに、「自分の幸せしか考えない人をそばに置いたことがある」と書きましたが、これも誤解を生じさせないようにここではっきりさせておきますが、これは亡くなった父の晩年です。
死者を鞭打つようなつもりではないし、怨んでもいませんし、父が亡くなったときのことは、以前書いたそのまんまです。私はなんだかんだ言って、父のことは好きでした。
しかし、逃れがたい家族の問題で悩み、長く苦しんできました。

それらについて具体的なことを書くことはしたくない。
ブログで、私は不幸自慢などしたくもないのです。
皆さんに理解しておいてほしいと願うのは、今の私の幸せも、ただ天から与えられるように享受したものではなく、戦い、守り抜いてきたものだということだし、今でもなお、他の人が聞けば、「それは不幸だ」というものは抱え続けているということです。

私は今、自分は幸せだと思っていますが、ここに至るのには、「死ぬような目に遭う」というプロセスがあったればこそで、いろいろな要因があっても、今を幸せと感じられているというだけのことです。
幸せは、その人なりの価値観や感覚の中で感じるものなので、じつは一律に「こうなれば幸せ」というのはない。今の私とまったく同じ状況に立って、「不幸だ」と感じる人も、世の中には必ずいるということです。

「死ぬような目に遭う」という体験も越えて来られた。
そんなときでも、私は自分の「ある部分」については幸せだと感じ続けることができました。

それが、結局、大家族の年寄りたちがあれこれ言わなくても、生き方の中に持っていた、あの昔の感覚につながっているのだろうと、このところ思うようになったのです。
健康で日常を送れるだけで幸せ、みたいな感覚です。

健康というのは、本当に大事で、損なわれてしまうと、人の幸福感というものは、かなり目減りしてしまいます。かかる病気によっては、幸福感がゼロに、なくなってしまう人もいます。

この健康の問題でも、私は自分自身ではなく、解決しがたい問題として、長く家族の中にこれを見てきました。父もそうですが、小っちゃいころからの娘にもありました。

こういった過去の事々も、私の中ではもうとっくに自分の中では消化され、解消されているのですが、この記事を書くために改めて思い返してみると、

「けっこう激しい人生よな。ていうか、普通だったら不幸のどん底に落ちていてもおかしくない……いやいや、どん底そのものだったじゃん」

と思うのです。
よくここまで立て直してきた、と、少しばかり自分は褒めたい(笑)(寛容にお許しください)。
でも、どん底の時でも私は、自分の生活の中で幸せを見つけたり、感じたりすることに、才能があったように思います。
それを才能と言っていいかどうかわかりませんが、たぶんそれは家の年寄りたちが私のDNAの中に残して行ってくれたもの。


司凍季さんの「椰子の血」という現実そのものであった小説、そこに描かれている事態。
そのようなものが今の日本でも起きないという保証はどこにもありませんし、現に起きています。戦争こそ今はないけれど、震災はあった。それこそ幾度も。
原発事故も。
極限状態の中で、生きる、生き残る、というような事態を突きつけられたら?
今の私たちの問題にしている多くの不幸は、物の数ではなくなってしまいます。
(そんな辛い時はもうすぐに死ぬほうを選ぶ、という方もいらっしゃると思います。本当にそうなったとき、どうするかはわからないと思いますが、そうお考えの方については、これらの記事についてはスルーしてくださればよいと思います)


これは極端な事例です。
しかし、生きるか死ぬかという事態になったら、今の自分の不幸についてあれこれ考える暇もない。
だから、今の不幸など問題ではないとか、今の不幸なんか忘れなさいとか、そういうことを申し上げたいわけではありません。
ここは誤解しないでください。

でも、生きるか死ぬかという極限状態に置かれ、それを通過した人間は、当然ですけど、強くなれますし、幸せについての感じ方も変わります。
戦時中の極限状態に比べたら、私のそれなどたいした経験ではないと思います。
でも、そのおかげで、私は今の幸せを見つけやすくなっていますし、感じやすくなっています。

幸せの問題を考えるときには、こうした時代、個性、あるいは体験によっても、感じ方が違うということを覚えておいてください。
明日以降、この記事を前提として、もう少し書きたいことがあります。
最終的には、タイプ別の幸せへのプロセスというところに触れたいと思っています。


追記
そういう意味においても、私は司凍季さんの「椰子の血」は、多くの人に読んでもらいたいと思っています。あのリアルな物語を読み、そして今の日本人や自分自身のことと、ちょっとだけ引き比べてみてほしい。
そうしたら、少しものの見方も変わるかもしれませんし、今まで自分が軽視してきた日常のありがたさも感じられるのではないかと思うのです。



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