<人が幸せになるためには何をすればよいか・2>
<人が幸せになるためには何をすればよいか・3>
の続編です。
対価はただ払えばよいものではない。
これはじつはとても重要な問題なのです。
昨日の記事での私のケースに当てはめてみると、私がとことん間違った払い方をしたらどうなっていたでしょうか?
5ハウスの土星(子供)を重荷(=土星)と感じて、それと関わることをキャンセルしようとすることが、これに当たります。
本来、その土星は私には負担をかけてでも、より大きな喜びや実りを人生にもたらしてくれるはずでした。
それを「負の感情」で遠ざけたら?
今度は対価は倍加すると思われます。
成長した子供たちの手に負えない反抗、あるいは健康上の問題、子供たちの中での友人関係など、さまざまな形を取って私の前に現出したはずなのです。
蓄積された歳月の分だけ、よけいに大きなものとなって。
逆に良い対価の払い方とは?
それは起きる問題から逃げず、まず真正面から受け止める覚悟を持つことです。
そして、その問題がいかに自分以外の要因で引き起こされたかに思えても、自分が全責任を負って解決しようと事に当たることです。
ここで重要なのは、どのような問題であれ、まず他人のせいにしないことです。
明白に他人が原因でもです。
客観的判断としてそれはあっても良いのですが、そこにとらわれると、どうしても人間は恨みつらみの念が湧いてきます。
会社にリストラされた。
恋人を奪われた。
誰かに陥れられた、騙された。
これらの事実を、まずあるがままに受け止めましょう。
その上で、「負」の感情を動機に、
「絶対見返してやろう」
「成り上がって復讐しよう」
などの思いを抱かないことです。
なぜなのか?
それは現在の生まれ変わりの研究の報告によって言えます。
催眠下でトランスパーソナルな状態の意識になった人は、前世や中間生(いわゆるあの世)の記憶を思い出したりできますが、それだけでなく自分の人生を俯瞰したり、またそのような高い観点で起きる出来事の因果を見定めることもできるようなのです。
たとえば催眠状態の意識で、自分の人生について問いかけられ、
「自分のやったことが巡り巡って自分に返ってくるのが見える」
というような証言を行っている例もあります。
これは仏教的には因果応報の法則です。
悪意を人にぶつければ、その悪意はその人本人からでなくとも、いずれ自分に返ってくる。
善意もまた同じ。
人間の想念というのか、意識のエネルギーも、エネルギーの恒存則に従って、消えずに循環し続けるのです。
それは水が液体や気体、氷のような固形になるのと似ています。
形は違うが、もとは同じH2O。
人から人へ受け渡され、発した想いは循環し続けます。
「じゃあ、悪意を発したら、その悪意はずっとこの世に留まり続けるの?」
という疑問も生じてきますよね?
そうです。
悪意を受け取ったとき、悪意で返したら。
でも悪意を受け取ったとき、自分がそれに反応せず、むしろ愛と感謝でそれを受け止めたら?
そのときに悪意は浄化されます。
そして本来の「力」だけが残されます。
その「力」はそのまま、その人のものとなるはずです。
「負」の出来事が起きたとき、「負」の感情で対応せず、愛と感謝で受け止めて、次なる行動を決める。
じつは、これこそが自分の人生を良い方向へ導く秘訣なのです。
以前、私は占星術が当たらない人間に、たったの二人ですが、遭遇したことがあります。
一人はもう定年が近いような女性でしたが、ものすごいハードアスペクトでした。
「大変な人生だったんじゃないですか?」
と、お尋ねすると、その方はけろっとして、
「いいえ。まあ、普通っていうか、幸せな人生でしたよ」
何もなかったとは考えにくいのですが、もしかするとこういう人は起きる出来事への受け止め方が、ぜんぜん違うんじゃないかと、そのときは思いました。
しかし、もしかすると本当に、表示されているハードアスペクトに該当するようなことは、彼女には起きなかったのかも、と今は考えています。
というのは、そういう人は、心がとても軽いのです。
お話ししていても、たんたんとしているというのか、ものに拘泥しないというのか。
不思議な感じでした。
普通の人生を生きている普通の人。
でも、こういう人こそが釈迦やイエスに近いと言えるのかも知れません。
彼女ならもし「負」の出来事に遭遇しても、それを「負」で返したりはしない。
そういう人は、ハードアスペクトをもともと体内(魂内?)でよい方へ変換してしまっているのかも知れないのです。
だからこそ、占星術が当たらないのかも。
生きているうちには、人はさまざまな出来事に遭遇します。
しかし、今ある状況、それも含めて、まずあるがままを受け止めて下さい。
そして難しいと思われるかも知れませんが、今生きてここにあることを感謝してください。
それが幸せへの近道です。
現状を変化させる大きな力はないかのように思える、内的な変化ですが、これがたぶん真実です。
「それよりも今の生活が大変なんだよ!」
「それをやったら借金が消えるのか?」
「私を捨てたあの人が帰ってくるの?」
というような、きわめて現実的な叫びは、じつは私にも非常によく理解できます。
たぶん一足飛びに、たちまち変わるのは難しい。
昨日の記事へコメント下さったHeartさんが少しずつ変わっていったように、自分が変わることで子供やまわりも変わってくるかも……。そう、その通りなのです。
でも、まず思い出してください。
解決不能の試練は、その人の人生に訪れません。
これは人生の設計を、生まれてくる前に自分が立てるからです。
自分でもてあますような試練は、そもそも設定されません。
そのことを信じてみてください。
だから、今、まだチャンスを与えられているのだと。
まだチャンスが与えられている。
それはつまり、できる、ということです。
実現のためのプロセスは、場合によっては紆余曲折を経るかも知れません。
人によっては、何かをあきらめることも計画には含まれるかも知れません。
しかし、その場合は、絶対に相当の見合った何かを得ることができます。
しかし、それもなかなか難しいことが多い。
なぜか?
ここで最初に戻りますね。
「自分」というものに、人は囚われるからです。
人が幸せになる最大の秘訣、もっとも大きな魔法。
次回、最終記事(の予定)で。
ポチッとしていただけると、嬉しいデス。
↓
人気ブログランキングへ
