<人が幸せになるためには何をすればよいか・2>
の続編です。
何か思い描くところのものを得るために、「努力」をしなければならない場合。
それは不幸でしょうか?
違いますよね(*゜▽゜ノノ゛☆
むしろ何かを得るためにする努力は、喜びになる場合があります。
またそれを本当に得たとき、それまでしてきた努力、苦労といったものは、一気に昇華されて、良い思い出に変わることさえあります。
たとえばバンクーバー・オリンピックで華麗な演技を見せてくれた選手たち。
彼らはその演技を実現させるために、とてつもない努力や苦労をしているはずですが、その成果がメダルとなって与えられたとき、それまでの「負」はすべて喜びへと転化されるはずです。
むしろ、その「負」の度合いが大きければ大きいほど、喜びも大きい。
この「負」の部分は、ホロスコープ上は間違いなく、ハードアスペクトです。
つまりハードアスペクトを持つということは、ずばり

より大きな喜びを得る証でもあるのです。
ソフトアスペクトで実現する場合は、きわめてルーズにそれがやって来ますから、たしかに「ラッキー」ですが、実際には喜びは少ないのです。
じつはこれが、あまり露骨には語られなかった、占星術上の真実です。
なぜ語られにくかったのかというと、まず占星術師は「当てること」を宿命づけられています。
ハードアスペクトがあるのに、むやみと「大丈夫ですよ」なんて言いにくいのです。
普通の人は、それで思い通りにならなかったとき、「あんたはそう言ったのに、ダメだったじゃないか」と考えます。
だからこそ、ハードアスペクトは吉凶の観点から「凶座相」と言われてきたのです。
運の悪い星の関係がある。
うまく行かないことが多い。
凶なのだから、マイナスの結論が出やすい。
こう言っておけば、まあ、安全です。
しかし、本来アスペクトには吉も凶もないのです。
では、なにが問題なのでしょう?
それこそが、皆さんが幸せを得るための答えなのです。
なんだと思われますか?
これまでの記事でそこを見抜いた方もいらっしゃるかも知れませんね。
続く……というのは嘘です、うそ。(#⌒∇⌒#)ゞ(ひえ~

それは……
「対価を払う」ということなのです。
皆さんも何かほしいものがあるとき、お金を払ってそれを買いますよね?
払わずに持っていくのはルールを逸脱しています。
ホロスコープ上にハードアスペクトがあるとき、それはそれが示す物事を得たり、成就させるのに相応の対価を払わねばならないことを示しています。
たとえば5ハウスに土星があるとします(私のように)。
すると恋愛問題に関して苦しい想いをすることが、たぶんあります。
子供に関しても苦労することがあるかも知れません。
ハードアスペクトが多くあると、これは避けられなくなってきます。
私はこのことを子供の誕生以前から理解していたので、生まれてからの子育てには積極的に参加しました。
自分の時間と労力(=土星)を、とくに小さな頃にはかなりつぎ込みました。
そして子供たちを愛してきました。
おかげさまで我が家は親子関係も良好です。
これは私がそれだけの対価を払ったからです。
もっと別な形でこのような5ハウスの対価を払った女性もいます。
その人は離婚後、二人の子供の親権を別れた男性に取られていましたが、ねばり強い姿勢と説得で、とうとう親権を自分のものにすることができました。
これが「対価」です。
しかし、私にせよその女性にせよ、その対価を払う渦中では、確かに大変なこともあったに違いないのですが、それが果たして不幸でしょうか?
今ここにある生活や心の安らぎを思えば、そんな苦労は決して不幸ではない。
むしろ、それだけの対価を払って獲得した「今」だからこそ、とてもありがたく思え、感謝もできる。
そうではないでしょうか?
しかし、この対価。
払い方があるのです。
じつは。
たとえば私は子育てに労力と時間をつぎ込んできたと申しましたが、もしこのときの私が、
「ちぇっ、仕方ないなあ。してやるか」
みたいな感情で、いやいやそれをやっていたとします。
当然ですが、それは確実に子供に伝わります。
子供の扱い方はどことなく雑だったり乱暴だったり、イライラした言動になって。
すると子供は親に十分に愛されない、どこかで受け入れられなかったという現実を体験して行き、そのことがまた別な形で5ハウスの土星となって表面化する可能性があるのです。
つまり、
対価はただ払えばよいというものではない。
これが、これまであまり語られてくることがなかった、占星術を応用した幸福術なのです。
続きますね。
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