さて、第三弾です。<沈みゆく船には……?><今、この瞬間に地球が破滅したら、そこには……?>の続編として、これを書いています。
人類全体の運気のベクトルが、ある方向を示していたなら、その現実は招来される。
これがここまでの結論でした。
たとえば人類の8割が、ある時期に冥王星が最凶の状態になるような運気を持っていたなら、その時に何らかの破滅的状況が招来される可能性は高いと言えるでしょう。
残り2割の人間がいかに良い運気を持っていても、大局的な流れに呑まれてしまう。
この結論は、おそらく間違いないと思います。ただそのパーセンテージは、どの程度か、一概には言えないと思います。それに人にはそれぞれ運気の強弱があります。強い運気の人間は、単独で複数の人間に匹敵する影響力を持ちます。
そういったことを考えると、2割、とか法則づけることはできないでしょう。むしろたった0.01パーセントの人間でも、非常に目覚めた魂がいれば、世界の命運を変えるかも知れません。
ただ、なかなかイエスや釈迦のような人はいません。
私のような凡人には、彼らの境地など推し量るのがせいぜいで、そこに到達することなどできません。
では、私のような普通の人間には、人類の未来に貢献することは、何もないのか?
大局的なベクトルが定まっていたなら、それを変える手だてなどないのでしょうか?
もしないとすれば、途方もない無力感に包まれます。何をやっても無駄という虚無感にも。
そうなのでしょうか?
前回、離婚する夫婦とその夫婦の間にできた三人の子供の話をしました。
離婚する夫婦はだいたいどちらもが離婚相をもともと持っている。そしてその夫婦の間にできた子供は、当然のことながら「家庭運」が傷ついています。生まれ育った家庭に、何らかの変動、不運な状況があることが示されています。
この五人の登場人物の中では、運気は完璧に結合しています。
その夫婦の間に生まれた子供の中の一人だけが、家庭運がまったく傷一つなく、最良の状態であるということなど、占星術の基本法則ではあり得ないことなのです。
しかし、三人の子供の家庭運の傷つき具合は、完全に同一ではなく、微妙に異なっているのが普通です。
たとえば上の子には、非常に強くそれが現れ、「トラウマやコンプレックス」が示されているが、二番目の子には「大きな変化」というサインで示され、三番目の子には単純に「父親の不在」が示されている、といった違いです。
これはその子たちが両親の「離婚」を体験するのが、いつだったかということにも大きく関わっています。多感な時期にこういう体験をすれば、「家族」や「親」といった存在全体への不信にもつながるでしょう。物心つく前なら、片親がいないことが普通の感覚で受け止められています。
私の知人に、ごく幼い頃に両親が離婚し、母親の手で育てられた女性がいますが、彼女は母親のことは大好きで、父親への恨みといったネガティブな感情もありません。
また両親が熟年離婚などする場合、その子供たちも成人していることが多く、大人の判断ができます。このような場合、その子の家庭運にはほとんど傷が見受けられないことも考えられます。
体験年齢によって、「両親の離婚」という現実への認識や評価は、まったく異なります。また本人の性格によっても、受け止め方はまったく違ってきます。
じつは、ここに重要なポイントがあります。
家庭運というのは、生涯ついて回ります。だから、両親の離婚した子供は、もともと家庭運に変動因子を持っていることになります。
だからといって、その子が両親と同じように、結婚後、家庭を持ったら、かならずまた離婚するというわけでは、決してありません。
本人がそのことを正面から見据えて認識し、努力していけば、かならず変えられます。そして、生涯離婚もせず、暮らしたとしたら?
そうすると、その子のそのまた子供の世代には、どうなるのでしょうか?
そう、孫の世代になると、家庭運の傷は癒えているのです。
その孫たちは、良好で調和的な家庭運を持ち、幸福な家庭を持ちやすくなります。
「負」の連鎖が、ここに断ち切られるのです。
私はここで離婚はいけないとか申し上げるつもりはありません。
ご本人たちにはそれぞれのやむを得ない事情があると思います。相手から離れないと幸せになれないということも現実にはあります。
ただ安易な考えで離婚をお考えの方は、ここでちょっと立ち止まってみて下さい。
子供や後の世代のために自分が犠牲になるのは嫌だ、自由になりたい、という考えも当然起きてくると思います。
しかし、ちょっと考えてみて下さい。
努力をしていたか? 自分本位ではなかったか?
でも、ダメな場合もあるでしょう。
それにすでに離婚している方も。
実は占星術的には、運気を癒す、もう一つの道があると、私は考えます。
それが「受け止め方」の問題です。
もし離婚という現実を体験しても、本人がその程度のことはなんでもないことだというふうに本気で認識していたら、どうでしょうか?
もし世の中が、結婚も離婚も、この社会の中で男女が一時期、結び合うありきたりなシステム、形態だと認識していたらどうでしょうか? そんな世の中だったら、離婚という出来事から受ける運気的なダメージは、かぎりなくゼロに近くなります(つまりホロスコープ上にも、単なる変化としか示されない)。
現実的にはそんな世の中ではありませんが、本人の受け止め方を変えることはできます。
離婚した自分を敗者だとか、あんな男に引っかかった自分は悲劇だとか、そのように考えたら、妬みや恨みにもつながります。
別れるときのいざこざ、その後、自分の苛立ちや別れた相手への恨み言などを繰り返していたら、子供たちには「離婚」は重い現実となって刻印されていきます。
しかし、たとえばそれを良い学びだと受け止め、この程度のことはなんでもない、自分はもっともっと輝いて生きていけるんだと思い、信じることができたなら、その人の凶運は、じつはそこで癒され、解消されてしまうはずです(つまり次世代には、受け継がれない)。
会社を倒産させ、破産してしまった人がいるとして、その人がいつまでも融資してくれなかった銀行や、ふがいない従業員や、自分の顧客を食ってしまった他のライバル企業のことを恨んで過ごしたら、これはいつまで経ってもいいことがないのは明らかです。
この失敗から多くを学び、自分の何がいけなかったのか考え、本当の自分の幸せとは何か、何をしたら人に喜ばれるのかということを考える人は、それとはまったく違った人生が開けるでしょう。
そう、凶運を癒し、解消したのです。
もし私たち人類の80%が、たとえば2012年に「凶運」を持っていたとしましょう。
それは人類全体の運気を総合したら、破滅的な状況を呼び込むほどのものだとしましょう。
しかし、私たちは今この瞬間に、過ごす生活の中で、一つ一つの出来事から受け止めるものを変えることができたら、未来はかならず変わります。
なぜなら未来は、無数の「今」の先にあり、物語はつながっているからです。
今という時を、一つ一つ癒し、一つ一つ解消し生きていけば、2012年に至ったとき、起きる出来事は確実に変わります。
毎日毎日、負けて負けても博打を打っている人間がいたら、それはその時には破産してもおかしくありません。
毎日毎日、妻と喧嘩ばかりしていたら、それはその時に離婚してもおかしくありません。
毎日毎日、暴飲暴食していたら、それはその時に成人病になっておかしくありません。
ことは単純なのです。
これらの一人一人の運気の総体、六十数億分のベクトルが、世界の運命そのものなのです(他の動植物は、ちょっと脇に置いておきます)。
もし私たちがいわゆる不運な出来事に遭遇しても、光を失わず、「このくらいなんてことない」「だいじょうぶ」と思って生きていけたなら、未来は必ず変わります。
みんなが全員、そう思って生きていたら、2012年にどのような凶運が待ち受けていても、「そのくらいなんでもない」のですから、起きる出来事も変化します。
あなたと人類の未来を変える術。
それは、あなたが今この瞬間に幸せになることなのです。
また続く。