前記事の続きです。
ソドムとゴモラには、いったい何人の「心正しき者」がいたのでしょうか?
聖書によると、主である神は御使いを送り、心正しきロトとその家族をこの町から連れ出しています。
硫黄の日を振らせる前、ロトとその家族は破滅を迎える町から脱出しています(ロトの妻は、主が破滅をもたらす硫黄の火を降らせたとき、振り返ってしまったので塩の柱になってしまったというのは有名な逸話)。
ロトとその家族だけが心正しき者だったということでしょうか。
聖書の記述の神の存在は、私は正直、あまり好きではありません。よく言われるように「復讐の神」としての側面を持ちすぎていて、馴染めないのです。
占星術的には復讐の神は、冥王星です。破滅という意味があるのも冥王星です。
聖書全体、よくに新約聖書でイエスが説く「神の愛」とは、ずいぶんと隔たりがあるような気もしますが、私はクリスチャンではないので、このへんのことは棚上げしておきます。
このソドムとゴモラの破滅の逸話は、重要な暗喩を含んでいると思えます。
ある悲惨な出来事、災害や、所属する企業の経営破綻、サリン事件のような大規模犯罪の犠牲者になるなどといった出来事が、どこでどうつながってこの世の中に現出するのか?
昨日の記事で申しましたように、その会社の従業員10人の内、8人にまで2012年頃の職業上の大きな変革、試練が示されているとき、おそらくその会社を見舞う全体的な問題が個人の運気に反映されていると考えるのが妥当です。
私が調べた10人は、その会社全体で見れば一部に過ぎません。しかし、他の社員全部を調べたら、やはり同様の8割の比率で同じ傾向が示されるだろうことは予想がつきます。
8割もの人間が同種の運気を持っていたら、そこには共鳴作用が当然起きると考えられます。
変える方法はあると思います。
たとえばその企業のトップに、2012年頃が絶好調になる有能な人間を登用することです。
企業経営者の運気は、社員全体の総和に匹敵するほどの影響力があるはずです。それを持って中和する。
ただ運気的な中和ではなく、そのトップの優れた経営理念や方針、手法といったものを徹底させなければなりません。でなければ、意味がない(ということは、運気だけでなく本当の意味で優れた経営者でないといけないと言うことですが)。
しかし、そのような占星術上の考え方で人間を登用する企業は、まあ、ありませんわな。
おそらくその会社はその時期、大きな波にさらわれるでしょう。
それは避けられないと思われます。
そして、今後の3年間くらいの間に、運気的にその波に合致しない人間は、その船を下船すると考えられます(そう、ロトとその家族のように)。
またその会社に居残り続けても、いつでもそこから撤退できる態勢が取れている人間もいるかも知れません(たとえば会社が倒産しても、実家に戻って家業を継げばいい、とか)。
2012年を迎える頃、その会社の従業員が、いったいどういう面々になっているか……。
ロトとその家族がソドムとゴモラの最後の心正しき者だった場合、神は一応、そういう者は救い出して、悪い人間だけを滅ぼしたことになりますが、実はそうは思えません。
なぜならソドムとゴモラにも、赤子はいたはずなのです。
彼らは他の悪い人間と一緒に滅ぼされています(なんとも無慈悲な話ではありませんか)。
*注・この「心正しき者」というのは暗喩です。たとえです。
占星術的な運気の観点で、今はお話ししています。会社が倒産する企業にいる人間の心が正しくないというわけではありません。
とするなら、墜落する飛行機に搭乗する100人の乗員乗客の中には、運気的に合致しない(墜落死などしない良い運気)の人間も存在することになります。
これは全体の運気のベクトルに巻き込まれた、ということになります。
その比率がどれくらいなのか、正直分かりません。
しかし、規模が小さな企業になればなるほど、合致しない人間は少なくなると考えられます。
どういうことかというと、人間の作り出す共同体で最少のものは夫婦、家族だと思いますが、この小さなグループの中では、運気上のパズルはだいたい見事にぴたりと合わさっているからです。
離婚する夫婦は、たいていの場合、どちらも離婚相をもともと持っていますし、離婚する夫婦に三人の子供がいれば、その子たちはほぼ例外なく家庭運が傷ついています。
じつに良くできているのです。
小さくなるほど、イレギュラーも存在しにくくなる。
しかし、その逆なら?
たとえばたった今、巨大隕石が落下して、人類が滅びたとしましょう。
この瞬間の運気が、六十数億、すべて一致していることなどあり得ません。
しかし、人類全体のベクトルがある方向を強く示していると、その現実は招来される。
どうも、そのように思えます。
この記事には、さらに続編が。
また明日。
アオコさん。
ご無事のご帰還、何よりです。友人知人、こういう形でもなんでも、知り合った方に何かあったりすると悲しいですし、逆に無事の報告があったりすると、ほっとします。