数日前に、個人的に抱えていた課題が終わりそうになり、そんな事を母にラインしていたら、
いきなり、外国の長い詩が送られてきました。
母親の気持ちを綴った詩でした。
簡単にかなり省略して訳すと、
家を離れた娘へ 的なタイトル
娘よ
外で恥をかいても、母に教わらなかったと言えばいい
誰に何を言われても
後ろ指を指されても
母親には恥でもなんでもない。
人の噂話など、せいぜい2.3日。
何かあったら帰ってくればいい。
人は何でも完璧にうまくやると、
それが当たり前だと思われるから、
はじめからうまくやろうとせず、
失敗していい。
大失敗した時は母が代わりに怒られてあげるから。
あまりお金がないからと言って、
安い化粧品を使うのはやめなさい。
若いうちは、頑張ってもお金は貯まらないもの。
でも頑張って生きていくと、シワが増えるもの。
洋服や宝石は歳をとっても、いくらでも新しいものを買えるけど、
一度できた顔のシワは、歳をとればとるほど消えず、消そうとすると、高額を出すはめになるから、
化粧品だけは若いうちからお金をかけなさい。
宝石に執着せず、自分を磨きなさい。
だいぶ省略して、訳しましたが、こんな内容でした。
その後に、
【やらないで後悔するより、やって後悔しなさい】
そして
実家は、たまに戻ってくるところであり、もう自分の居場所で自分の人生を生きない、的なことが送られてきました。
情けないことに、スクールにいく途中の道のりで、涙が出てしまいました。
前まではたびたび、母の強さに嫌悪感を感じたことがありました。
一度、とっさに
『私はお母さんとは違う。そんな強くなれないし、他人にそんなひどい事を言えない。そんな考え方はしたくない。』
って反論したことがありました。
そのときに、母が
母の愛に正義も悪もない。
大切なもののために、どうしたら良くなるか考えて動くのが愛だ、
ただの優しい言葉だけに惑わされるな!と
怒られたのを思い出しました。
人は何をもって、正義か悪か決めるのか、
優しいのか冷たいのかを決めるのか、
強いのか弱いのかを決めるのか、
たまにわからなくなります。
本音を言うと、誰に対しても親切でいたいけど、きっとそれは不可能で、誰かへの優しさが誰かを傷つけりことになったりする。
本当に守りたいものに対して、愛をもって、それを形にできる人でありたいと、最近は思います。
なかなか簡単には出来ないし、強くなりたいけど、鈍感にはなりたくないし、弱いのは嫌だけど、敏感さも失いたくない。。
堂々めぐり。笑
まあ、これが、私なんだね。
どんな人も弱かったり強かったり。
でもきっと守りたいものがある人は、やっばり強いと思います。
その気持ちの根本には、愛があるから。
どんな感情にも根本の根があると思ってます。
嫌いなところはあるけど、根本には好きという気持ちがあったり、
恨んでるけど、根本に感謝してる気持ちがあったり、
感謝はしてるけど、根本に愛情はなかったり、
根、がとても大切な気がします。
根は、いざとなったときに、表れる。
大きな愛には、綺麗事も、正義も悪もなくて、
そんなことに拘ることが、なんだか陳腐な気がしてしまいます。
まだ、私は子供をもったことがないけど、子供にかぎらず、誰かを守りたいって気持ちはとてもとても素晴らしくて、それが生きる素晴らしさな気がします。
^ - ^
そんなことを思っていたら、
ひまわりを一輪いただきました。
ポキッと折れそうになっていたのを切ってくれた。。笑
とりあえず、紙コップに入れました。
頑張って、なるべく長く咲いていてね。
あと、
忘れたくないのは、
強くなれたり、強くみえるのは、そこにたまたま、愛があるだけで、
本当は弱い部分もしんどい部分もあるはず。
自分自身がそうだから。
みんなそうでしょ。
世界中のお母さん達は、みんなそんな愛としんどさと、強さと弱さと戦っていて、愛しい誰かの笑顔に日々に折れそうなときも、結局頑張れてる気がします。
だから傷ついたり、疲れていたり、本当はそんなに強くないってことを思い出してあげてください。
私が言うのも変かな。(>人<;)
coccoのしなやかな腕の祈りっていう歌があるのですが、さっきからその歌が頭を巡ります。
優しい歌。
聴いてみてください。
ふと、誰かの痛みも愛も、思い出せると思います
。
しかし、このブログって何のブログ?!笑
あはは。
さて、午後も頑張りましょう。
yuno