メルカートで、出会い ー最終編ー | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。




トニーさんが還らぬ人となった...

そんなメールを受け取った。


2013年の12月のことである。


何か、もっと出来たんじゃないか...


人はいつも、

後から考える。


何かしようと思っても、

過ぎてからでは遅いのだ。


ノリさんとは、

ちょくちょく、メールをやり取りするようになる。

日記のように、

その時あった出来事を綴った。


ノリさんには、一つの願いがあった。


それは、トニーさんの灰をフィレンツェにも少し分けることだ。


トニーさんが愛したイタリアは、

トニーさんの愛するノリさんの手によって、

その願いは、叶えられる。


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安心したのだろうか、

この頃から、

今度は、

ノリさんに、病は襲う。


今年の5月。

「フィレンツェに行くから、よろしくね。」

のメッセージは、

「入院することになってね。でも、退院してから、フィレンツェに行くから、待っててね。」

に変わった。


6月の末、

「これから、抗がん剤治療に専念するから、10月には、病院から出れると思うよ。」


そのメッセージを最後に、

ノリさんとの交信は途絶えることとなる。



先月、

このノリさんが紹介してくれた、

お客さんより、

メッセージを頂く。


「ノリさんの近況をお伝えしたくて...」


メッセージを開けてみると、

この8月に、

ノリさんが、トニーさんの元に旅立ったことが記されていた。



いみじくも、

メルカートで最初にお会いして、

メルカートの仕事を終える頃、

二人は、旅立たれたのである。


14年近くの、

毎日のメルカートの仕事は、

彼らから始まって、

こうして、多くの人々に支えられて、

やってこられたわけである。


出会った人々との間に、

それぞれストーリーがあり、

それぞれの思い出がある。


今、こうして、

新たな道に進む自分に、

ここがあって、

今があることは、

否定できない、事実であると、

しみじみ思う私である。




お世話になりました皆様へ

メルカートにいる間、本当にお世話になりました。
このブログが、こうして今も続けていられるのも、皆さんのお力添えあってのことです。

今後につきましては、模索中ではありますが、食材を中心とした活動をしていくことには変わりなく、ブログも続けていきますので、どうぞよろしくお願い致します。








⬇︎ そして、旅立つ...

  


最後までお付き合い、どうもありがとうございます。