父の日に思う... | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。




18日が「おにぎりの日」で、

おにぎりのことを考えているうちに、

ふと、過去のことを思い出す。


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小さい頃、

毎週のように海に行っていた、うちの家族は、

海の近くで育った、父親の影響を受けていた。


若くして、独立した父親は、

常に働きまわっていたが、

毎年、夏の海だけは欠かさず、

当然、家族全員参加であった。


「勉強しろ!」と一度も言われた事がなかったが、

その教育方針は独特で、

その個人的見解に勝てたためしは

ほとんどない。

従わなければ、

「うちの子でなくてもいい!」

と家から追い出されそうになった。


厳しいイメージが強いが、

それでも、なぜか私は、

お父さんっ子で、

お父さんが、「行くぞ!」と言えば、

いつでも、どこでもついて行った。


「お母さんには、内緒だぞ!」

と言われ、

隠れて一緒に遊びに行ったこともある。

きっと、絶対、知っていただろうが、

そんなワクワク感といったらなかった。


美味しいものが大好きで、

どこぞの料理屋が美味しいとあらば、

私は、二つ返事でついていく。


建築の勉強をすることになったのも、

父親が、建築事務所をやっていたからである。


今の自分があるのは、

紛れもなく、

この父親ありきであることは否定できない。


血は争えないな...


こんなことを考えていて、

ふと、

この日が、「父の日」だったという訳である。


記念日とか、そういうのは、

気持ち悪がって、

あまり気にしない質だから、

あえて、何もしないけど、

今度、日本に帰るときには、

イタリアの美味しいもんでも、持っていこうかな...

なんて思う。


大学に入った時から、家を出ている私は、

こうして長いこと、

家族と離れているけれど、

「思い」というのは、

物質的な距離と比例しないことを

実感する日々である。



ちなみに...

イタリアにも「父の日」というのはあって、

それは、毎年、3月19日なんですよ。




⬇︎ 遠くにいても...

  



最後までお付き合い、どうもありがとうございます。