私は多い派
今では、持っているのが普通な携帯電話。
手に持たずとも、マイク付きのイヤホンをしながら歩いている人も、割に多い。
イタリア人は、ジェスチャーが多いから、
手に携帯を持たず、大きな身振り手振りで話す人間を見ると、
気が狂った人なのか?と思うことも、稀にある。
耳に繋がった、イヤホンのコードを見て、
あ~、電話してんのか...
そう思うくらいである。
メルカートには、
たまに、
本当に大きなひとりごとを話す人間が居たりする。
その様相から、
それが、普通の人でないことくらいは分かるから、
あえて、遠巻きに様子を見たりすることもある。
今日も、そんな人がメルカートに居た。
随分と声を荒げ、
見えないものに話している...
私には、そんな風に見えた。
一瞬、ビックリしたのは、
私だけではない。
たまたま、業者の人と話をしている時だった。
誰に話すでもなく、私は、ポツリと言う。
「彼の世界では、見えている何かがあんのね...」
それを聞いた、業者の人が、
「君は、saggio(サッジョ=賢者)だね。」
そう言った。
そんな訳ではないけれど、
いろんな人の中には、
それぞれの世界があって、
自分には見えないけど、
他の人が見えるものや、
また、その逆もあんのかもしれない...
そんな風に思うのだ。
それはまるで、
赤ちゃんが、空に向かって、笑いかける時のように。
私たちが、
この人は、狂ってる...
そう思ったって、
本人にとっては、普通の世界なのかもしれない。
私も、案外、独り言が多いから、
ついこの間も、
「あの人もピッティなのかしら...」
と言った先に、
超カラフルな色合いの服を着こなしたジプシーがいて、
それは、
全く、大きな独り言だったのだけど、
スタッフに大笑いされたりした。
人のことは言えないけど、
イタリアにも、案外多い、
大きな独り言。
歩く道すがらで、
そんな人に会わない日は、ないのである。