9月21日 三仏生から野積海岸へ | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 


9月29日 パドメツアー参加者募集中!



コチラコチラの記事の続きです。

9月21日 土曜日

深夜の午前3時頃に着いたにもかかわらず
お母さんは「疲れたでしょう?」とビールを出してくれて
お喋りに花が咲く(笑)
結局、寝るのが5時くらいになってしまったけど
本当に、布団に入ったとたんに爆睡!!
ありえへん・・・
人んちって、なかなか寝付けないんだけどね・・・

翌朝、故・祖父さんがずっと大事にしてきたという
近所の稲荷へ連れてってもらう。
 
立派な松の木に、立派な注連縄。
昔の豪族の城址でもあるらしい。
 
手水舎の屋根を ↓ お父さんが新しく作ったそうだ。
お父さんは大工さん☆
 
素敵

ここの稲荷の、スラっとして美人のキツネさんが
さんを教育中(笑)
さんは、どんどんパワーUPしているようで
稲荷から戻って、
さんの妹さんをヒーリング中・・・
浄化の所作の時、
「頭からなんか出てるよ」と、妹さんに話していた(笑)

では、三仏生へ向かいましょう。
まず、白山神社へ行こうと向かっていたら
見つけた珍しいところ・・・
 
お地蔵さんが傘かぶって向かい合ってるの。
  
ここはいったい・・・神社なの?お寺なの?なんにも書いてない
でも、これはきっと、
正観世音と書いてあるんだろうな
 
隣にあるお家の奥さんが庭に出てきたので
「ここはお寺ですか?神社ですか?」と聞くと
「ここらでは、観音さんって呼んでるけど、詳しくはわからない」
とのこと。
そうかぁ~~~
友人が、
「いつもなら、案内してくれる人が現れるんだけどねぇ~」
と言ってたら
後ろから
「あんたら、こういうの好きなのか?」と
さっきの奥さんの旦那さんが出てきてくれた。
案内人登場
お話を伺うと、これは観音堂で
地名の三仏生の三仏の一つである観音像を置いてある
とのこと。
へぇぇぇぇぇぇ!!!!!
薬師と阿弥陀は、置いてたお寺が廃寺になってしまい
別の場所へ移されたそうだが
ここだけはひっそりと残してあるんだそうだ。
お導きに感謝(^人^)
越後のミケランジェロと言われる木彫師
石川雲蝶弟子がここのお堂の木彫りを掘ったそうで
さらに、観音像の厨子(ずし=収める箱)は
左甚五郎の作だそうです。

すごいですね
そして、その石川雲蝶のお弟子さんの大作があるお寺を
紹介してもらいました。
後で行ってみようということで
まずは、目的の
白山神社へ。
 
予想より、広くて綺麗
この石は、気になりました。
 
太古の昔は、ご神体は石ですもんね

そして、白山信仰=妙見信仰なんじゃないかと考えてた
私の予想が大当たり
 
一番左、『妙見〇(読めない)』と書いてありますね。
だからあちこちに白山って地名、あるじゃないですか。
神仏分離令以前は、妙見信仰が盛んだったんですよ。きっと
ねぇ?将門さま

三仏生には、百塚という
1キロくらいずっと並んで塚がある道がある。
 
三仏生百塚
数えると首が飛ぶとか、おどろおどろしい伝説があるのだけど
行ってみたら、そのような気配はまったくなかったです。
 
そんなふうに考えられてることが、逆に悲しいみたいです。
この土地を守護してくれてると考える方が良いと思います。

では、先ほど紹介してもらった
木彫りの石川雲蝶さんのお弟子さんの大作を観に行こう
と、走りだした途中に、気になる神社へ寄る。(また寄り道)
十二神社
 
ものすごい大きなご神木は、根元がくっついてます。
 
 
中を覗いたら、
 
大山祇(おおやまつみ)さまを祀っていました。

ちょっと変わった狛犬?
 
お尻がくっついてる。

ここも神社ですが、お寺の要素もたっぷり
如来三体と、三十三観音と、閻魔大王&十王がいました。
 
素晴らしいですね

そして、気になったこの碑
 
義民 という言葉に惹かれます。
裏に回ると
 
読めるかな?(だいぶハショッて要点だけ書きます)
1680年。大洪水にて五穀稔らず、多くの餓死者が出るのを
見てられなかった清左衛門は、自分が管理に就いていた
郷蔵(非常用の食料庫)を勝手に開け、
村民に放出して皆を飢餓から救った。
だが、これが領主に知れ、清左衛門は斬り殺されてしまった。
その死を悲しみ、村民は石祠を建て、毎月8日にこれを祀る。


そんなことをしたら、自分は殺されるのはわかってたはず・・・
まさに、義民
美しい心に出逢わせていただき、感謝ですm(_ _)m


では、目的のお寺
潮音寺
 
本堂は、別のところにあります。
 
屋根を支えているのでしょうね。
いやいや、本当に素晴らしい木彫りの数々です
 

この ↓ 龍、見て~
  

私のお気に入りはコチラ ↓
 
龍が、餌をもらうのかしら?ニコニコです

こちら ↓ は、ブレーメンの音楽隊みたいに三段重ね
 

こちらには玄武さん
 

屋根のてっぺん
 

このお堂の中には
 
立派なお厨子がありました
不動明王 と 毘沙門天(多聞天) が脇侍ってことは
十一面観音菩薩の可能性が高いですね
十一面観音のウィキの説明   私が書いた説明 

本堂の方には、古い門がありました。
 
一応、寺名の門を・・・(表札、ちいさっ)
 
中に入って、すぐ左に
子育て観音の像がありました。
育児に専念してる友人を想い、パチリ
 
本堂へ上がらせていただき、
お導きへの感謝をいたしましたm(_ _)m
 


次は、
朝日山の浦柄神社
江戸の末期・・・
鎖国のまま幕府の存続を願う有志たち
      VS
開国して新しい日本を願う有志たち
天皇の国家を願う有志たち

が内戦をしました
日本でも、内戦があったんですよ。
この朝日山には、その幕府側で戦った人たちの
お墓が数十基あります。
 

山中を歩いてお参りした方の記事
(私が撮ってきた写真は怒りを感じると思うので、載せません)

我らの死を
無駄にしてほしくない

との想いがズッシリとのしかかってきました。
ものすごかったです
幕府存続側も、新政府支持側も
より良い日本を目指していたことに違いはありません。
双方、真剣に国を想ってのこと。
でも、
今の日本は、
どちらの志も無下にしています。

それをとても憂いています。
怒っています。
そういった方々の想いが、集結しています。
敵・味方、関係なく・・・

6月に、宮崎県で島津氏と伊東氏の和合・結合をしてきました。
その時、この記事 ↑ にも書きましたが
猛武者たちが合体して、ムカデの神になりました。
どうやら、こちらもムカデになるようです・・・
 
毘沙門天の眷属として、
来る弥勒の降臨に向け
日本のために
真の神の国のために
尽力してくれることでしょう


さて、次へ~~~と車を走らせたら
またまた気になる・・・
妙見神社!!
しかも、ここは、地名が妙見
信濃川には、妙見堰
これは、寄らねばなるまい。
堰の上から信濃川を浄化
 
昔は、この妙見宮へみなさんこぞってお参りしたようで
船着き場の番所址
 
頂上へ着くと、とても美しい蝶がお出迎え
 
ずっと気になってる淡島神社の摂社もありました。
 
淡路島じゃなくて、淡島へ行きたい・・・
いえ、淡路島も行きたいんですけどね。

 
お宮は、『どうぞお入りください』と、開いてました。

 
中には、提灯や毬や千羽鶴など
たくさん下がってました。

↓ この絵・・・
 
やはり、鳥居が白いですね。
そこには、妙見菩薩がいます。
ということは、やはり、白山信仰=妙見信仰なのでしょう。

 
そして、海難水難の仏とな。
眼を良くするというのは有名だけど。

妙見菩薩=北極星
北極星は必ず天の中心にあるから、船乗りさんたちには
方角を見るための基点となる星
だから海難水難除け?

その考察は、また、別テーマにて( ̄∀ ̄)

北辰殿って、カッコイイな
 
写真は、昔の茅葺の社だね~~~

帰りたくなくなる居心地の良さ(笑)
けれど、そうもいかないので、次へ・・・

車のボンネットに、カミキリムシが乗っかった!!
 
誰かが、この虫に乗ってる気がする・・・
誰だろう?武士っぽいけど・・・

と思ってたら、スピードに耐えかねて飛んでった(笑)

そのすぐ後に目に入ったのが
酒天童子ののぼり旗!!! 
 
行ってみよう。
  
なんとまぁ!
桓武天皇(平氏の祖)の第五子の
桃園親王
(平将門・貞盛(清盛の祖父)と親戚。
             こちらは高望王の孫たち)
に!御供していた人の息子・外道丸 
(げどうまるって、名前からして悪いじゃんか(笑))
とてもハンサムだけど暴れん坊。
母の死をきっかけに寺に入り、修行に励んだ。
ハンサムだから、たくさんの娘たちから恋文をもらったが
目もくれず、修行に励んでいたある日、
恋焦がれていた娘が自殺した。
その娘の恋文を読もうと、つづらを開けたとたん、
煙が外道丸を包み、悪鬼の顔になったと!
それから、外道丸は山に籠り、悪行の数々をはたらいた。

というハナシだが・・・
ここに、どんな教訓があるんだ???(笑)
修行に励む美男子が振り向いてくれないからって、
呪った女に同情できないけどなぁ・・・
呪われて顔が醜くなったからって、
山賊になった男にも同情できないけどなぁ・・・
悪行を悔い改めて、この土地の守護となるのならいいけど。
そうなの?カミキリムシさん?
 
この階段の下に
人工の小川があり、淵にガマの穂
 
なぜか、昔から、このガマの穂がある水辺の風景が大好き。

上の、酒天童子の周辺案内図に
乙子神社ってあるでしょ?
友人が 「そこも気になってたんだよね」って。
んじゃ行ってみよう!!
友人のこの“気になる”は、当たりが多いぐー.gif 

乙子神社
 
ダイジョブかぁ~?って道を進んで、鳥居発見。

素敵ですっ!!
 
日暮れの木漏れ陽が、とっても綺麗
 

てっぺんは、玄武さん
 
乙子って、どういう意味だろう?
私は「(海龍)オトの子?」って言ったら
友人は「乙姫の子だと思った」と・・・
うん乙姫の子かもね
 

堂内(蜘蛛の巣だらけで、まずは枝ではらいました)
 
振り返って・・・
 
山の森林の中にひっそりとあって、とても気持ちイイ
 
あっちの奥にあるのは、
良寛という、江戸時代の高僧が住んだ庵
 
48歳のとき、越後の国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の
五合庵にて書を学ぶ。
良寛は何事にもとらわれず、何者にも煩わせることもない、
といった生活だった。
筍が顔を覗かせれば居間を譲り、(穴を開けてあげた)
子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きに興じるのだった。
「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」
五合庵での階段の昇り降りが辛くなり、61歳のとき、
乙子神社境内の草庵に居を構え、
円熟期に達した良寛の書はこの時に生まれている。
70歳のとき島崎村(現長岡市)の木村邸内にそれぞれ住んだ。
無欲恬淡な性格で生涯寺を持たず、諸民に信頼され教化に努めた。
難しい説法を民衆に対しては行わず、
自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言など)によって

一般庶民に解り易く仏法を説いた。
(ウィキより)
青い文のところは、宗教を学び人に説く立場にある人
全員に向けて送ります。バチカンを筆頭に。
 

たっぷりと堪能して
(たっぷりと蚊に食われて)
この夕陽を、日本海の海辺で見よう
車を川沿いの県道159号を走り
野積海岸へ出た。

翌日知ったのだが
彌彦のおやひこさま(本当は、伊夜比古さま)は
この海岸から上陸し、人々に塩作りや農耕を教えた
とのこと・・・ 

翌日へつづく・・・

このあと、さんちは
お嫁に行った三人姉妹が勢ぞろいで
お父さん・お母さん、一番下の娘さんの旦那さん(競輪選手)と
私たちでおおいに盛り上がったのでした