アベル・カイン信仰のどこが間違いなのか(1) | yosia621のブログ

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文師が「日本のアベルカインは間違いである」と述べた事は周知の事実です。

教会(家庭連合)は間違っていると分派(教会本部の認定してる)に行った方々でも長年染みつき「思考の癖」になっている「アベルカイン信仰」から抜け出れない人も多いようです。

原理講論によればアベル・カインというのは「メシアの為の基台」に登場し信仰基台、実体基台の勝利の上に成り立つ。

人類始祖が堕落した結果人類はメシアを迎えなくてはならなくなりました。

【アダムの家庭が「信仰基台」と「実体基台」とを復帰する蕩減条件を立てて、それによって「メシヤのための基台」をつくり、その上でメシヤを迎えるのでなければ、復帰摂理は成就できないのである。】(後編第1章第1節)

メシアを迎える為の神の摂理がアダム家庭におけるアベル(善の表示体)とカイン(悪の表示体)の摂理でした。

アベルは絶対善ではなく、善の表示体です。
カインも絶対悪ではなく、悪の表示体です。

メシアを迎える為には必要な基台が信仰基台と実体基台です。
メシアを送る為にサタン的要素を分立しなくてはなりません。

「信仰基台」はアベルが立て、その信仰基台に勝利したアベルが実体基台の中心人物となり、悪の表示体であるカインが無条件に信仰基台を立てたアベルに対し、愛して仲保として屈服して善を繁殖するという堕落性を脱いだ、つまりサタン分立したという条件をたてたならそこにメシアを送る事のできる条件が成立するというものです。

メシアの為の基台を造成するための信仰基台と実体基台であり、その基台の為のアベル・カインなのです。
言い換えればカインが無条件にアベルに従うと言うのは「メシアを迎える基台」を作る為のものです。メシアを迎える為のものでメシアを迎えた後には適応されません。

このメシアを迎える基台の為の「アベル・カイン」が、日本統一教会に「アベルカイン信仰(命令と服従)」として何時、どのような経緯で蔓延していったのかは正確には分かりません。

考えられる理由の一つは
堕落人間には堕落性があり、その堕落性はサタンと相対する性質を持っているので、メシアの為の基台にある「堕落性を脱ぐ条件は無条件にアベルに従う」という一節が適応(利用)されたのではないかと考えられます。

多くの皆様も教会生活の中で経験があると思います。
上席者(アベル)に異を唱える人、物申す人はカイン的であり「サタン分立」の名のもと「分別」という叱咤、叱責を受け、例え自分が正しいとしても無条件に上席者(アベル)を受け入れる事でサタンは分別され、サタン分別されたのちに神に帰れると諭されたり・・・・。

アベル(上席者)が間違っていても神側なので、何か意味がある。神の成さることは人智を超えると教えられたことがあるのではないでしょうか。

人智を超える例としては
ヤコブ路程のエソウを騙して奪った長子権復帰やタマルの神の血統を残す為に舅と交わった事、モーセのエジプト人を殺したことが出発の摂理となった事などをもって「神の摂理は人間の道徳観や良心を超えている」と関連づけたり、蕩減復帰歴史のレアケースを基にアベル(上席者)の間違った判断や決定を正当化するために間違った使用をしてきたと考えられます。

無条件にアベルに従うという条件をたてるのは「メシアを迎える為」に造成する基台の為です。
そしてメシアを迎え、基督教が受け入れなかった代わりに、メシアが立てた「統一教会」である事を考えれば、その教会内でメシアを迎える基台である「アベルカイン」を持ち出すことがどれほど間違った考えであるかが理解できるでしょう。

聖書に記述してある事柄もメシアを迎える為の復帰歴史上の神とサタンの戦いである為に特殊事情を抱えていたことは今日の我々は理解しきるし、旧約時代の価値観で「メシアを迎えた」現在に当てはめることは出来ないと思います。

もう一つは「四位基台」に「アベル・カイン」を組み入れた事です。
四位基台は神を中心として或いは目的を中心として主体、対象が良く授け良く受ける(授受作用)ことで合性一体化する。そして神の実体対象になるという創造原理です。

主体にアベル(上席者)を置き、対象にカイン(教会員)を置き、良く授け良く受ける「授受作用」を「命令と服従」に言い換えました。

教会内では四位基台も、主体に従う事で堕落性を脱ぎ、カイン(対象)が主体に従う事でアベルと一つになれるし、それが神が働くことの出来る基台。と言う原理にない解釈です。

実例です。
物販の展示会に参加し、ゲストを動員した人は良く知っていると思います。
タワー室に大きな紙に書かれ、壁に貼ってあった「四位基台」の図です。
展示会動員の為の啓蒙教育でも誤った「四位基台」は説明されていました。
班長(基台長)らによる動員面接でも言い聞かせます。

四位基台の上には神がいて、主体の位置にアベル(この時はタワー長)対象の位置にはカイン(展示会では担当者)そして下にゲストと書いてあり、主体(タワー長:アベル)からの→は「指示、助言、命令」であり、対象(担当者:私:カイン)の←はそのタワー長の言う事を「無条件に信じる」ことで神が働き、ゲストが生まれ変わって天の万物を授かるという天的四位基台の完成する。結果展示会は勝利するという講義であり、啓蒙教育です。

創造原理にある四位基台の〇(まる)四つの配列や矢印の図形は同じでも、意味が全く違います。

展示会用の四位基台は「復帰摂理のメシアの為の基台」の「堕落性を脱ぐ条件(アベルに従順に屈服する)」を入れ換えた解釈であり、混在させてはいけない「原理」を混ぜて、おかしな四位基台を作り上げたのです。

このおかしな四位基台は「メシアを迎える為」に必要な復帰摂理に登場する「アベルとカイン」を「主体と対象」の位置に置き別解釈にした「偽原理」なのです。

メシアを迎える為の基台のアベルは主体ではなく、アダムの半分で神が相対しうる善の表示体です。復帰摂理上必要な信仰基台を立てる中心人物であり、実体基台の中心人物という事です。

正しい四位基台の主体と対象と作用は次の通りです。

個人の形成なら主体は心であり、対象は体です。
家庭なら夫(父)が主体の位置で対象は妻(母)になります。
会社や団体なら主体は社長であり、団体の長でしょうし、対象は社員でり、団体の構成員です。
国なら国家元首や政府であり、対象は国民です。

神や目的を中心に主体、対象が互いに良く授け良く受ける(授受作用)事で合性一体化する事で【創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。したがって、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。】(創造原理第2章3-3四位基台より)と原理に書いてある通りです。

神が働く「四位基台」に一方的な服従や命令は存在しません。
授受作用の原則にも抵触します。

【あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。】(第1章:第2節-2授受作用より)

原始教会は主体、対象が良く授け良く受けして神の臨在する四位基台が出来ていたと思われます。西川氏を父と慕い、教会員は兄弟姉妹という関係性が築かれていたことは以前記事(祝福家庭の共同体は必要です。 )した通りです。

「原理用語」を使った、日本独自の「偽原理」が組織運営に利用されたのか、組織運営と実績確保の為に偽原理を利用したのか?それは後編にて書きます。

メシアを迎えた後にメシアが創設した教会内でメシアを迎える為の基台の「アベルカイン」はあってはならないと言えます。

伝道の時はメシアを知らない人を導くので、この時はアベルカインは適応できます。
但し、アベルは命令ではなく、カインが自然屈服できるように愛することによってです。

メシアを知らない人を伝道する時には「アベル」である私達が信仰基台の中心となります。カイン(メシアを知らない人)をして私(アベル)を信じた事で、愛して仲保として屈服して善を繁殖した条件が成立しメシアが伝道対象者に来て祝福を受け、基台は成就するのです。


<アベルカイン関連過去記事>
文化と組織
分裂と分立。 

【gildongブログ:アベルカインについての教材記事】
アベルカイン ( 13 )
アベルカインはメシヤを迎えるための条件に過ぎない

アベルカインでは長成期完成級を越えられない
アベルカインの弊害(カインの立場)
アベルカインの弊害(アベルの立場)
日本式アベルカインが間違いである理由(み言から)
アベルカインは既に撤廃されている 


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