分裂と分立。 | yosia621のブログ

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アダムが堕落し神とサタンに使える非原理的存在になったが故にその個体そのものではなく、アベルとカインというアダムの子に対しアダムを分立したという摂理を神がしました。

アベルが神側ということです。
カインがサタン側ということです。
アベルが人格的で神様のような人でカインが悪人で悪魔のような人だったからではありません。人格とは関係なく長子(本来の相続者)という位置、立場をサタンが所有したという意味です。

この分立されたアベルとカインが各々の立場や事情を超えて一つになったらメシアの為の基台が造成され、そこにメシア(第2アダム)が来られるはずでした。

アベルカイン分立はメシアを迎える為の基台作りです。

アベルと一体化したというのは、カインがその堕落性を脱いだ=サタン分別したとい事になります。そこにメシアが来られる、つまり後に生まれるという事です。

メシアが生まれ、メシアとして神の摂理を担当し、そのメシアの心情と一つになる事(祝福)でサタンの血統から神の血統へと産みかえられ条件的に創造時の人間の立場(長成期完成級)にたつ事になります。

カインが完全屈服、つまりアベルを中保として屈服し善を繁殖するのはあくまでメシアを迎える為の基台を作る為で、メシアが来臨した後もアベルカインの原則が適応される事は原理観に反する事です。

神の摂理という目的を成す上で教会長や他の信徒、或いは家庭において夫と妻、親と子が一体化することは絶対条件として必要不可欠です。しかしそれはメシアが来臨している今日においてメシアを迎える為の基台としてのアベル・カインではなく、神の目的を中心として主体、対象の授受作用の原則、善なる四位基台をもって成すものです。

アベルカイン信仰と言われる由縁は本来の一体化の為の原理、四位基台を蔑にし、メシアが来ているにも関わらず、メシアの為の基台であるはずのカインがアベルに絶対服従という原理観を適応し、使うべき時でない原理観を誤って、或いは故意に組織維持、組織運営する上で用い、今日まで至っているからです。

結果的に「メシアが来臨」しているのに「メシアを迎える為の基台」である「アベルカインを用いている」という矛盾を抱えている統一教会となりました。

別な言い方をすればメシアが来ていない。
メシアを否定していると言えます。
これは原理を用いた非原理系です、つまりサタン側に陥ったことの証明でもあります。

摂理的に立てられた個人や国家にサタンが侵入した場合は神側とサタン側に分けなくてはなりません。サタンに侵入された個人(アダム)はカインとアベルに分けました。不信仰に陥った統一国家は北イスラエルと南ユダに分けました。

摂理として立てられた団体もサタンの侵入を受ければ分けなければならないという結論になります。非原理的な人物、団体には相対できない神様です。だから今のこの現象は分裂しているのではなく「分立摂理」として見る事も出来ます。

より神の復帰摂理を果たそうと邁進しているのが神側です。
サタンの思想に迎合しないのは神側です。
神が築いたその基盤を崩すものはサタン側です。
神側の活動を妨害しようとするのがサタン側です。
非原理的なものに相対しても矛盾も感じないのもサタン側です。

アベルに絶対に従うのが信仰と信仰指導している教会は「メシアを迎える基台」を造成中なので、まだメシアが来ていない教会と言うことになります。善なる目的をを中心として、神を中心として善き授受作用(話し合いや交流)して一体化していきましょう。と指導するところにはメシアが来ている本来の教会です。

同じ親(メシア)から産みかえられた兄弟姉妹として一体化して頑張ろうと励ましあっている所に神は摂理されます。メイアが来ているにも関わらず間違ったアベルカイン信仰の命令、服従の中には神様は摂理されません。

しかし今は訓読家庭教会の時代なので家庭に神を迎える時代ですから教会組織には神は臨在していないかもしれません。それでも最低限、絶対服従という非原理的発想を排除し、善の目的を中心として主体(教会長などアベル):対象(信徒などカイン)が良き授受作用をしながら四位基台と造成したなら現教会組織にもある程度の運勢は来るかもしれません。

あくまで私見です。


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