はげざるのブログ -7ページ目

鳥日記:子育ての季節

季節が移り替わり、鳥も子づくりと子育ての時期になりました。

 

今、庭をのぞいたら、久々にメジロがきていた。シジュウカラ用のヒマワリの種は、雨が降っても湿気ないように、ヤシの実の糸で作ったハンギングプランツ用の下敷き(水を通す)の上に載せています。その入れ物は、庭に出しっぱなし。メジロ君、そのヤシの実の糸をついばんでいた。巣作りの材料用のようです。ここにそれがあると、よく覚えていたな。

 

数日前の朝、シジュウカラの鳴き声が近くで聞こえるから、外を見てみたら、電柱の上に大きなシジュウカラがいて、周囲に2,3羽群れている。ヒマワリの種がほしくなったかと思い、店じまいしていたヒマワリの種をまたおいてみた。そしたら、スズメより小柄で細身なシジュウカラがやってくるようになった。子供です。クッキーの砕いたのもお気に入りのよう。あれは、子供が生まれて、ここに餌があると親が教えていたのか。以降、庭で縄張りを意味する地鳴きがよく聞こえるようになった。子供相手に餌付けは、自然に完璧に反すると思うので、控えめに付き合おう。

 

キジバトのキュッキュ夫妻は、来る頻度が落ちました。抱卵か子育てが始まったかもしれません。

 

皆、カラスを嫌いますが、ほかの鳥用に餌が置かれて、鳥たちが食べていくのを、とあるカラスがじっと見ていた。その後、庭にやってきて、食えるものないかと物色していきました。嫌われ者でも、生き物は生き物。この子、どうしよう。ほかの鳥種と比べて、格段に知能が高いようなので、かわいがれば楽しいと思うが。試しに、ちくわをかみ切って小さくして、ベランダに置いて、ちゅっちゅという音と指差しで合図したら、ちゃんと反応して、いったん近くを周回して餌を視認したあと、その場所にやってきて、くわえて飛んでいきました。なんだ、この濃密な対話感。

 

鳥日記:キジバトのチュッチュに遊ばれる

チュッチュと口を鳴らすと寄ってくるので、友達のキジバトをチュッチュと呼ぶことにします。

 

メスです。向かいの電線の上で、何度も連れ合いに寄って行ってキスをせがんだ末に(連れ合いは、そのたび嫌そうに間をとっていましたけど)、マウンティングされていたので、メスです。

 

自分が外出して、かみさんが家にいる日は、何度となく夫婦でうちの庭にやってきては餌がないかチェックしに来るそうです。

自分が家にいる日は、チュッチュは、日に何度となく、近所に待機していて、自分が外に出ると、アイコンタクトしたり、近くに寄ってくるので、つい一握りの餌を庭に置いてしまう。

朝一は、夫婦で平らげますが、その後、えさをあげても、少しついばんだだけで、残していく。

なら、来るなよと思います。

 

で、気づいた。自分は、チュッチュに遊ばれています。人から餌をもらうのが楽しくて、チュッチュはうちに来る。実際におなかがすいているかどうかには関係なくに。

 

若いとき読んだフロイトの本に書いてあったのを覚えているのですが、日本の「いないいないばー」という赤ちゃん遊びは、万国共通だそうです。ドイツ語だと、「ダーフォルト」になる。赤ちゃんは、愛する対象が、見えない状態から見える状態になるという喜びで、遊ぶんですね。犬も、おいでというと、いったん離れて、何度かおいでした後に、そばに来たりする。動物にも、愛情遊びに近いものがあるのかもしれません。

 

 

 

中央集権的技術政策の限界

日本は、戦後、官僚が主導して産業を育成して、成功した。

それで、戦後の復興が達成された。

ところが、フロンティアに立とうとする段階で、同じスキーマを使い続けた。

つまり、国民の税金を使い、官製技術に投資した。ICOTとかEDRとか

の国家プロジェクトを起こし、産官学で集中して投資した。

しかし、失敗。

 

フロンティアは、そんなに甘くない。エリートの夢見るアイデアが

現実の生存競争・選択淘汰に耐える確率は低い。

ビル・ゲーツが日本がAs Number 1と言われた時期が一瞬だけだった

理由は、その中央集権的な技術政策にあったと批判していました。

 

一方、アメリカは、昔から今も、多様なアイデアが生まれては、競争し、いいものだけが

生き残るという技術環境を持っていた。その結果、今の経済と技術はUSが支配

しています。

 

生物の歴史を見ると、これは真理です。ランダムにDNAが変化し、そのうち環境に

適したDNAの種族のみが生き残り繁栄する。ほかは、死滅する。

 

その後、日本の産業政策は、ユニークなものに懲りて、世界の後追いになったと

思います。Googleの検索がぐっと出てきてから、「大航海」とか検索に関する

国家プロジェクトをやったりね。フロンティに立つ前の後追いマインドセットに後退した。

 

この経緯を思い出したのは、米中貿易戦争のニュースからです。

中国は、共産党による中央集権で、急激に成長した。

ある技術分野では、もうフロンティアに立っている。

で、いま、USから技術のソースをいろいろ絶たれて、自力でやっていけるのか

試されている。

日本の過去をみると、中央集権を続けている限り、無理ではと思います。

中国は、人口が多く、秀才の口数も日本と桁違いであり、日本の同質社会と異なって

(秀才ではなく)リーダーも桁違いに隠れているでしょうから、それらリーダーたちを

生かす社会に変われば、日本とは別の道をたどるかもしれませんが。