「考えないこと」で出逢ってから、保江邦夫さんを追いかけています。
「菊と刀」ではなく「脳と刀」を読み終えたのですが、この本の最後に、脳科学者の大谷悟さんとの対談があり、その中で次の表現があるのです。
音楽というのは聴いている時点では音楽になっていない。
耳に入ってくる信号は一つ一つの音符としての振動。
これだけではただの「音」ですが、それを「音楽」として聴くには一つ一つの「音」ではなくそれを「流れ」として聴く必要がある。私はそういう意味にとりました。
そして、外国語のリスニングについて思ったのです。
リスニングが苦手な人は、一つ一つ「音」を聴き取ることに集中しているのではないか。
完璧主義というか、論理的というか、一つ一つの「音」をしっかり、そして正しく聴き取ろうとするあまり、全体としての「何を伝えたいのか」という月よりも、一つ一つの「音」である単語に集中しているのではないかと。
外国語を話す。ということもそうなのかもしれません。
一つ一つの単語にこだわることなく、全体の流れとして自分が伝えたい事を伝える。ということを意識すればいいのに、一つ一つの単語にこだわってしまうから話せなくなる。
木を見て森を見ず。
◎ 只见树木,不见森林 zhǐ jiàn shùmù,bù jiàn sēnlín
[fail to see the wood for the trees] 比喻只看到个别的事物,看不到整体
いかがでしょうか?