中国語の原書を読む会(アドラー心理学)。

細々とですが確実に進んでいます。

 

読んでいるのは次の二冊。

 

被讨厌的勇气

(「嫌われる勇気」の中国語(簡体字)版)

阿德勒100句人生革命

 

一緒にアドラー心理学と中国語を学んでいるある方から、

 

阿德勒100句人生革命

 

の音声があるとお聞きしました。

それが冒頭の画像のサイトです。

 

有生化平台

 

このサイトの以下で1から100までの内容が朗読されています。

 

http://www.ximalaya.com/56243866/album/4968456

 

情報をご提供いただいたTさん、ありがとうございました。

 

 

 

 

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直感が大切

テーマ:

今、読んでいるのはこの本です。

 

『子どもの「脳」は肌にある』

 

中国語関係の私が何故?

実は柔術が関係しているのですが、昨日の子どもはことばをからだで覚えるは、この本で見たのです。

 

 

この本では「皮膚」というものにスポットを当てて色々と紹介しているのですが、次のような一節があります。

 

皮膚の判断は頼りになるもの

 

ダマシオによれば、たとえばある状況で将来を予期して行動を選択(意思決定)しなければならないとき、無数にある選択肢から一つを選ぶ作業は、知的判断がなされる前に、直感的にある程度選択肢を狭めることができないと、不可能であるという。

 

この直感は、その場の状況で感じられる気分や感情に基づくものに他ならない。だから、感情に不全のある前頭葉の損傷者は、日常生活で意思の決定に困難を示すのだ。すべての選択肢を一つ一つ理屈で判断しようとしても、とてもできるものではない。過去の経験をもとにして、あるいは初めて遭遇する状況でも、直感で判断しなければならないのだ。

 

直感で判断したことというのは、案外正しいものが多い。直感というのは、皮膚や内蔵から生み出されてくる感覚なのだと思う。感覚器官としての皮膚、あるいは内臓としての皮膚の感性を磨き、判断や意思の決定の際の、信頼に足る良き僕(しもべ)として、鍛錬するのだ。

(『子供の「脳」は肌にある』P173)

 

「皮膚は露出した脳」

 

であり、

 

皮膚からの刺激(触覚と温痛覚)は、たとえば視覚に比べて単純な経路で脳に届くというのです。

 

そしてこの皮膚感覚を鍛えるには普段と違う行動をして周りお雰囲気を敏感に察知するなどするといいといいますし、

 

まずは、「考える」のではなく「体で感じる」ことなのである。

(P173)

 

だといいます。

 

「考える」そして「(体で)感じる」。

 

これは考えるな、感じろ!燃えよドラゴンより。で紹介したブルース・リーの言葉にもありますね。

 

以前はこれを「指月の譬え」として紹介したのですが、もしかしたらブルース・リーの言いたかったのは、「皮膚感覚として感じろ」と言うことだったのかもしれません。

 

というのも、中国語や外国語を話す時の感覚というのは、頭(論理脳と言われる左脳)を使っていては間に合わなかったりいい訳が出てこなかったり、言葉そのものが出てこなかったりするのです、もちろん、しっかり考えるべき時には考えるのですが、使うときには考えるよりも直感で通訳したり、翻訳したりする方がうまくいくようなのです。

(直感は右脳だとも言われますね)

 

もちろん、直感だけに頼ると誤訳も起きるでしょうからそこは冷静に自分自身を客観視することは必要でしょうが、それでも、「皮膚感覚」というか「直感」を意識するかどうかで状況は全く変わると思います。

 

中国人にしても日本人にしても外国語をペラペラ操っているように見える人がいます。

本当に力があることもありますが、多くは「直感」や「勘」を使い、相手の言うことを「推測」していると最近よく思います。

 

そして、中国語検定やHSKなどのリスニング試験が苦手だと言う方は真面目でこの「直感」や「勘」に頼ることをよしとしない方が多いようです。

あるいは、「直感」や「勘」が出て来るにはかなりの情報量が必要だと思うのですが、インプットした情報量がまだ十分ではないのではないでしょうか。

 

ということを考えてくると、中国語を操るためには、

 

1.文法を分析する時。

→この時にはしっかりと頭を使って理解する。

 

2.「直感」や「勘」を養成する。

→身体を動かし、皮膚感覚を養うように文字情報に頼らず、イメージや筋力を使う。

 

この二つの方法のバランスをとることが大切なのではないでしょうか?

 

もっとも、中国語学習の目的が書かれたもの(テキスト)の理解なら、2.「直感」や「勘」を要請するには大量の中国語のテキストに接することで「直感」や「勘」が働くようになるでしょうが、より効果的に学習するのなら、やはり「身体」をできるだけ使う方がいいように思います。

 

日本語が母語の方は学習というと頭を使うと思うのではないでしょうか?

「露出した脳」を使う(というか敏感になる)ことが一つのコツなのかもしれないと思う、今日このごろです。

 

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子どもはことばをからだで覚える

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ある本を読んでいてたまたま目にした「子どもはことばをからだで覚える」が気になり、アマゾンで購入しました(なんと1円でした)。

 

外国語学習ではよく「子どもはどうやって母語を覚えるか」が注目され、その方法で外国語を学ぶという学習方法もあるのですが、この本は赤ちゃんがお母さんの体内にいる時から注目しています。

 

ちょっと難解な文章なのですが、なんとか読了しました。

 

色々と学ぶことができました。

その内の一つが;

 

ことばを学びとるのは頭脳だけではない。からだ全部なのだ!

 

という帯のことばです。

 

「やっぱり」

 

とも思います。

 

英語教育では革命的?な中津燎子先生も英語学習で身体を動かすことの重要性をおっしゃっていましたし、落語家の桂枝雀師も、HOEインターナショナル英語スクールで山本正昭氏から英語会話を習ったのもアクションを重視した学習方法でした。

 

言葉や知識で学ぶ癖のある人は座ったまま行動を求めようとする。

 

 

日本語を母語とする人にはこの傾向が強いようです。

 

もっとも、ことばには;

 

1.文字となったもの。

2.音だけのもの。

 

の二つがあって、1.文字となったものを研究するのなら座ったままでもいいかもしれませんが、2.音だけのもの。つまり会話や通訳で使える外国語を学ぶにはからだを使って学ぶことがとても大切のようです。

 

この本には他にも;

 

赤ちゃんことば(baby talk)の効用

(略)

たとえばフランスでも、大人が幼い子どもに話しかける際には、声の調子が高くなり、抑揚が誇張されると報告されている。

(P61)

 

とありますが、これは中国語や英語が日本語に比べて「相手に意味を伝えること」を優先するために「声の調子が高く」なり、抑揚(中国語の場合四声)が誇張されるのだと思います。

(「台所から北京が見える」で長澤さんも中国語を話すときには日本語よりも一段高い音を出すようにするとおっしゃっていました。)

 

また、中国語の学び方にしても、

 

第二章 記憶することのはじまり

歌からの単語の「切り出し」

 

で、生後八ヶ月の乳児に対する実験で、歌の中にある単語が数回出て来るとそれを長期語彙記録とするとありますが、これは私の言う「耳の記憶」だと思います。

 

このことから日本語を母語とする人が外国語を学ぶ時、効果的な方法として「(学ぼうとする外国だけで教授する)直接法」を用い、覚えようとする単語を何度も耳にし、それを記憶することを優先ことだと思います。

(もっとも、たとえ間接法であったとしても、「耳の記憶」を作っていく方法を意識すると効果的だと思います。)

 

他にも

 

第六章 子どもはことばをからだで覚える

身体の動きを分析する

 

では、

 

「行く」と「来る」という語が口をつくときに、からだが微妙に動くことが多いのである。

 

とありますが、これも「(言葉を)からだで覚える」ということの特徴なのでしょう。

 

外国語を学ぶ時には学ぼうとする外国の子ども、それも胎内の赤ちゃんがどのよう言葉を学んでいるかに注目するというのはやはり大いに参考になるようです。

 

ことばをからだで覚える

 

これは翻訳など「文字になった言葉」を研究する以外では重要なキーワードだと思います。

通訳や会話でお困りの方、一度、からだを意識されてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

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考えるということ

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を読み、冠光流柔術を学び始め、同じ著者の『合気修得への道』を読みました。

 

この著者は数学者です。

この本の第二章 数学の研究と合気修得に明け暮れた日々に「寝ても覚めても数学の日々」というのがあるのですが(P79)そこに次の言葉が紹介されています。

 

「数学というものは考え続けて考え続けてやっても、それでもできるかどうかわからない。自分の命を削ってやるものだ」

 

「朝起きて今日一日、さあ数学をやるぞなんて思っているようじゃとてもものにならない」

 

と師に言われ、

 

「数学をやりながらいつの間にか眠り、朝起きた時に自然に数学の世界にひたっている。どのくらいひたれるかが勝負の分かれ目だ」

 

ということだそうです。

 

武術ならいざしらず、数学の世界も命がけ、勝負なのですね。

そして我が身を振り返ってみると、中国語に関して、大学で何が何でも身につけようとしていたときには、

 

「中国語をやりながらいつの間にか眠り、朝起きた時に自然に中国語の世界にひたっている。」

 

状況に近かったと思います。

さらには中国で働いていて、中国人と中国語で交渉などをしているときには寝言でも中国語で言っていたといいます。

 

中国語を本当に身につけようとしたら、やはり中国語の世界にひたる必要があるのでしょうね。

 

そして、中国語を教える。ということについては、まだまだひたっている状態には程遠い。

どうやら中国語を教える。というのは私に与えられた役割ではないようです。

もっとも、いつも中国語に接するようにしていますし、また、日本語が母語の方がどうやったら効果的に中国語ができるようになるかについて人より考えているので、いくつかのヒントは気付きます。

 

これからもあくまでも私個人の感覚ですが、気づいたことはご紹介したいと思います。