汝自身を知れ

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デルポイのアポロン神殿の入口に刻まれた古代ギリシアの格言である。

(Wikipediaより)

 

中国語を調べる時、このWikipediaもよく使います。

日本語版で「汝自身を知れ」があり、運が良ければ中国語版もあるからです。

 

中国語版では;

 

认识你自己(γνῶθι σεαυτόν),相传是刻在德尔斐的阿波罗神庙的三句箴言之一,也是其中最有名的一句。另外两句是“妄立誓则祸近”(ἐγγύα πάρα δ'ἄτη)和“凡事不过分”(μηδεν αγαν)。或说这句话出自古希腊七贤之一、斯巴达的契罗(Χίλων),或说出自泰勒斯,或说出自苏格拉底。传统上对这句话的阐释,是劝人要有自知,明白人只是人,并非诸神。

 

中国の「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」にもつながるような気がします。

 

【注釈】    『孫子・謀攻』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける)」とあるのに基づく。
原典では「殆うからず」だが、「危うからず」と書いても誤りではない。

 

相手を知り、自分を知れば百戦しても大丈夫。

相手を知らず、自分を知っていれば一勝一敗する。

相手を知らず、自分を知らないと必ず負ける。

 

相手を知らず、自分を知っていると。というのはありませんが、やはり自分のことを知る。と言うのは難しいということなのでしょうか。

 

自分のことを知るのは本当に難しい。

周りの人がいるのは自分のことを教えてくれているのではないかと思うほど、自分のことはわからない。

鏡のように人を見て初めて自分のことがわかるのではないでしょうか。

 

そんなことを考えていると、今読んでいる本に以下のフレーズがありました。

 

(瞑想をするのは)自分自身を学んでいる。

呼吸による癒しP123)

 

 

ブッダの教えは究極的に「自分自身を学んでいる」ことではないでしょうか。

 

中国語も、そして人が学ぶのは全て「自分自身を学んでいる」。そんな気がします。

 

中国語を何年も学んでも、思うようなレベルになりませんか?

 

大丈夫です。

自分を客観的に見ることができれば、そこから出発です。

人と比べることなく、昨日の自分と比べて少しでも向上したら良しとしましょう。

 

「自分自身を知れ」

 

に対する中国語は:

 

“认识你自己”

 

「知る」という日本語表現ですが、中国語では“认识”、日本語では「認識」になっています。

 

「知る」に相当する中国語は“知道”なのですが、どうして“认识”なのでしょう?

 

今は、ネットを紐解けば答えは出て来るでしょうが、自分なりにこの語感というものを感じてほしいものです。

 

学ぶことは自分自身を学ぶこと。

 

これに尽きるのでしょうね。

 

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私の翻訳方法:圧倒的な情報量

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今、派遣である工場に行っています。
もともとは中国から来た研修生の通訳が仕事なのですが、今はその研修生もなく、また、来るかもしれないということで契約していただいています。
 
ということで今は翻訳をしています。
そして、先週一週間は特に、ある中国語文書を日本語にしていました。
 
内容はどうやらISO関係。
それも品質と環境の両方が入り混じっています。
 
ISOというのは;
 
国際標準化機構(こくさいひょうじゅんかきこう、英: International Organization for Standardization)、略称 ISO(アイエスオー、イソ、アイソ)は、国際的な標準である国際規格を策定するための非政府組織。
(Wikipediaより)
 
工場では品質マネジメントシステムのISO9000と環境マネジメントシステムのISO14001を取得するところが多いのですが、これに関する規定のようです。
 
こんな書類の翻訳は次のようにしています。
 
一、内容の把握。
全部で30ページある資料で、別の翻訳者と半分ずつ翻訳したのですが、まずは全部に目を通します。
同時に、今回のように複数の人間で翻訳する場合には用語の統一のため、キーワードを抜き出し翻訳語を統一してから各翻訳箇所の翻訳をします。
 
自分が翻訳しないところまで目を通すのですが、それはなぜか?
私は翻訳とは単語の置き換えではないと思っています。
翻訳対象が何を伝えようとしているのか。行間を含め、言葉の裏にある思いのようなものも感じたいと思っています。
ただ文字からの情報ではなく、できるだけ情報を集めたいということです。
 
ニ、調査。
全体を通して読んだら、この文章はISO関係だとわかったので、ISOなら、雛形があると思うので、ネット上で参考になる文書を探します。
 
今回はたまたま2015年にISOの規定が新しくなっていて、それに関する翻訳文だったので参考になるサイトがたくさんありました。
 
ISOの場合、大本は英語で、それを日本語なり中国語に翻訳して、各工場などが自分のところのISO規定(マニュアル)を制定するので、今回のように、中国語のISOマニュアルを日本語に翻訳する時、日本にある英語を日本語に翻訳した資料が参考になりますし、また、翻訳の依頼者はISOの知識があると思われるので、翻訳するときにも「日本語版ISO」にもとづき翻訳した方がわかりやすいはずだと思ったのです。
 
以上が終了してから翻訳作業に入ります。
 
この翻訳作業で日本語と中国語の翻訳では、キーワードについては一括置換を使います。
(ただし、それも慎重に、日本語版ISOの用語を確認しながらになります。)
 
また、こういう資料は意味が取りづらかったりするので、そのときにもネットでISO規定についての解釈を調べながら翻訳作業を進めます。
 
三、チェック。
翻訳作業を一通り終えたら、単語の統一、表現の統一を含めて2回は翻訳文の全文に目を通します。
その時には赤鉛筆を愛用しています。
 
以上は、主に英語の翻訳手法を学び、自分なりに考えた独学の方法です。
 
ポイントは「圧倒的な情報量」。
 
ネットが便利になった時代で、ネットだけで翻訳作業を進めることができるようになっていますが、私はできるだけ紙媒体の資料を大量に集めます。
 
ネットは便利なのですが、ある単語を調べた時、特殊な業界の専門用語だったとき、どの表現が適切なのか判断できないこともあります。
その場合には例えば百科事典で業界別のよく使われる表現を確認するようにします。
 
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”しあわせ見つけの名人になる!”

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昨日は、久しぶりに外でお酒をいただきました。
ちょうど一年前、1ヶ月ほどいた会社(今も中国語関連業務はしていますが)の同僚ですが、あることがありその方もその会社を離れたのですが、斎藤一人さん絡みだったので、とても印象深く、新しい仕事が決まったということもあり、会社を辞めた送別会と、新しい会社に就職したお祝いを兼ねて一緒に食事をしました。
 
その方のお話の中で、中国語学習にも役に立つと思うことがあったのでご紹介します。
 
「余計なことを考えるな!」
 
斎藤一人さんのお弟子さんの一人、宮本真由美さん。
この方の講演会があり、そこでの話です。
 
まゆみさんは、特に金持ちの家に生まれたわけではなく団地育ちだったそうです。
そのまゆみさんが斎藤一人さんのお弟子さんとなり、成功者?になった。
それはどうしてか?
一体何が違うのか?
 
それは、余計なことを考えない。ということのようです。
 
例えば、夫婦の間で何か問題があったとする。
その時に、「こんなことを言うと相手を傷つけてしまうんじゃないか」とか、「でも、今、言わないとこれからも同じことがあるだろうから」とか、「それでも気まずくなるより自分だけが我慢したらいいか」とか考えるのではなく、パッと思ったこと感じたことを言うのだそうです。
 
これは、マインドフルネスでも同じことですね。
 
人は一日に6万ものことを考えているといいます。
(別の本では10万とも)
 
その内、くよくよとマイナスのことを考えているのと、悩むのではなく考え方を切り替えて、「どうしたらいいか」とか「どうやったら楽しいか」「どうやったら幸せなのか」を考えると「今」に集中できるのではないでしょうか。
 
外国語の学習でも、「もう何年も学習しているのに、(人と比べて)自分は全然ダメだ・・・」「なかなか覚えることができない。記憶力がない。」と自分を責めてしまう。
これではとても集中できないでしょう。
疲れ果ててしまうでしょう。
 
中国語には“杞人忧天”という言葉(成語、四字熟語)があります。
 
杞人忧天
ピンイン Qǐ rén yōu tiān
((成語)) 杞憂,取り越し苦労.≒杞人之忧.
 
「杞憂」
 
これは日本でも使う表現ですね。
 
杞憂(きゆう)とは、起こることのないこと
必要のないことを心配すること。
取り越し苦労と同じ意味です。

「憂(ゆう、うれい)」は
心配する、案ずるという意味の漢字です。

これは分かりますが、では「杞」は何か?

「杞(き、こ)」は漢字の本来の意味としては
植物である柳の一種のことですが、
ここではそれは関係なく
古代中国にあった国の名前です。

この、杞の国に住んでいた、ある人が
「天の空が崩れ落ちてきたらどうしよう」
と心配していた、という話が
『列子』という文献にあります。
 
天の空が崩れ落ちてくることを心配しないでしょうが、将来のことを心配していませんか?
 
私自身、契約派遣の仕事で、契約期間満了後、次の仕事がなくなったらどうしようと心配していましたし、今の仕事でも、しっかり役に立っているのかどうか心配していました。
皆さんはいかがですか?心配をしてもどうしようもないことをくよくよ悩んではいませんか?
 
通訳も、余計なことを考えないことがコツのようです。
 
「聴き取れなかったらどうしよう」
「訳し間違えたらどうしよう」
「ちゃんと通訳できなかったらどうしよう」
 
と杞憂するより、目の前に集中して、パッと反応する。
 
リスニングが苦手だと思っている人もそうではないでしょうか?
 
久しぶりに人と会い、色んな話をしたのですが、やはり実際に会うというのは素晴らしいことですね。
ネットでいくらつながっても、実際に会うのとはぜんぜん違う。
お互いが影響し合うという感じです。
 
最近、人と合うのがおっくうになっていましたが、もう春ですし、動き出そうと思う、今日このごろです。

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自分を傷つけるのはもうやめませんか?

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ある方からメッセージがありました。
中国語を長年勉強しているけれど、レベルがまったくダメだとのこと。
そして、悲しくなったとのことでした。
 
中国語学習にも役に立つと思い、学んでいるマインドフルネス。
勉強の仕方のように方法だけでなく、心構えとか、心の持ちようとか、精神的な面に是非目を向けていただきたいと思います。
 
 
この本で紹介されていることです。
 
「不安になりやすい遺伝子を世界でいちばん持っている日本人」
 
については、自分を愛することで少しご紹介しましたが、今回は「心の中のバトルフィールド」をご紹介します。
 
不安は未来のどこかにあるかもしれない恐怖なのに、すぐそこにあるような錯覚をもたらします。
しかし、実体はありません。
心の中にあるのはわたしたちの思考や感情だけです。
ところが、それが情動となり、エスカレートすると危機管理システムが働き出します。
そして、闘争・逃走・フリーズ反応が、その不安を生み出すわたしたち自身に向かうことになります。
草原ではなく、心の中がバトルフィールドになっていくのです。
闘争・逃走・フリーズ反応が自分自身に向かった時、なにが起こるでしょうか?
テキサス大学心理学部准教授のクリスティン・ネフ博士によれば、それが闘争であれあ、自分を感情的に叩き始めるそうです。
自分を残酷で辛らつな言葉で批判して打ち負かそうとするのです。
逃走であれば自分からの逃避です。
問題から目を背けて現実逃避し、アルコールや食物などで気を紛らわせようとします。
フリーズすると、その問題や状況の反すうにはまり込み、自分の至らなさを繰り返し考えます。
 
いかがですか?
私もそうです。
自分を責めて責めて責めまくり、アルコールに走り、また過去の出来事を後悔し、自分の至らなさを繰り返し考え、そして責める。の繰り返し。
 
これでは疲れて当たり前ですよね。
 
いつも自分を責めたり、不安になったり、過去を後悔する。
そして「今」に集中できていない。
脳が疲れて、その疲れが蓄積して、注意力も集中力もなくなっているのではないでしょうか?
注意力も集中力もなくなっている状態なら、学習効果も上がらないのも当然です。
 
この本では、インナーチャイルドについても書かれています。
 
中国語学習で精神的な障害となる「完璧主義」。
その完璧主義に陥りやすいのは、批判的な親のもとに育った子どもの特徴だそうです。
 
子どもを厳しくコントロールし、いつも成功を求める親のもとに育つと、子どもは失敗を極端に恐れるようになり、もし失敗が続くと自分を批判的に見るようになるとのこと。
そして、「お前はだめな子だ」というメッセージが、自分を批判的に見る子どもの神経回路を作っていくとも。
 
決して親のせいにするのではありませんが、子どもにとって親は絶対的なもの。
やはり影響は大きい。
アドラー心理学では、親が子どもの自主性を尊重し、なにごとも自分でやり遂げさせ、失敗しても避難しないという育て方をすべきだと言っていますが、今の時代、競争が全てで、競争に勝ち抜くためには他人を蹴落としてでも成功しなければならない。と育てる親が多いのではないでしょうか。
 
「子どものために」
 
そう思っているのでしょうが、育て方を知らず、育児に失敗している親の何と多いことか。
 
でも、このことを知ればもう大丈夫。
親にしても、良かれと思ってのこと。
そして、自分は自分の人生を歩むしかない。
もうそろそろ親の呪縛から抜け出ましょう。
そして、人と比べることなく、自分なりに一歩ずつ前に進みましょう。
 
この世に生まれてくる一人ひとりは、なにか新しいもの、独自なものを持っている。
彼は自分と同じ存在がこの世にないことを知らねばならない。
もし(自分と同じ存在が)あったとしたら、彼は存在する必要がないのだから。
一人ひとりは彼にしか果たせない使命を果たすべくこの世に存在するのだ。
(マルティン・ブーバー)
 
降临人世的每个人都拥有某些新的东西、独特的东西。
他必须知道,这个世上没有和他一样的存在。
因为如果有与他一样的存在,他就没有存在的必要。
每个人都是为了完成只有自己才能完成的使命而活在这个世上。
(马丁・布伯)
 
一人ひとりは誰もが大切なのです。
ご自分をどうぞ大切にして差し上げて下さい。

通訳はお節介?

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少し前、NHKのBS放送で、ザ・プレミアム 時空超越ドキュメンタリードラマ「江戸城無血開城」があり、少し見ていたら、アーネスト・サトウが通訳として活躍していたという話でした。
 
その番組の中で長井鞠子さんという通訳者が、
 
「(アーネスト・サトウというか通訳は)お節介なんですよ。」
 
とおっしゃっていましたが、通訳をしたり、通訳をしているのを見たり聞いたりしていると、お節介というか世話好きということは通訳のとても大切な資質だと思います。
 
お節介
罗马音【oseqkai】 假名【おせっかい】
中文解释:
多管闲事,爱管闲事,好多事.
人のお節介をやく/多管别人的闲事.
よけいなお節介だ/用不着你管!你管不着!
いらぬお節介はやめてくれ/少管闲事!
 
日本語のしゃれことばのような歇后语に次があります。
 
狗拿耗子,多管闲事。
「犬がネズミを捕る・・・余計なお世話」
 
お節介というとなんだか余計なことというか悪い意味があるように思いますが、相手のことを考えて、なんとか役に立とう、相手のために何かしよう。という気持ちがないと通訳はうまくできないのかもしれません。
 
もっとも、これも程度の問題で、やり過ぎると色々問題も出てきますがそれはさておき、
 
長井鞠子さんのことをネットで調べると、以下のブログで詳しく説明されていました。
 
KYOTO * 通訳というブログです。)
 
長井鞠子さんは「通訳者の資質」について以下の8つがあるとおっしゃっているそうです。

1.語る、表現することにパッションを持っている。
2.勉強、準備をいとわない。
3.性格的におせっかい、世話焼きである。
4.一を聞いて十を知る、要領の良さ。(⇨限られた時間の中でさっと資料を見て、これがミソだなと判別する能力。)
5.何ごとにも好奇心を持つ人間である。
6.人間に対する興味。(⇨言葉は人間の営みの表れ。「この人はなぜこんなことを言うんだろう」という理解に繋がる。)
7.落ち込まないこと、引きずらないこと、楽観的であること。(⇨大変なことをしでかしても、3日以上は落ち込まない。)
8.若干の自己顕示欲。(⇨千人の聴衆の前で堂々たる通訳をしなければならないこともある。自分の声を相手にしっかり届けようという姿勢。)
 
この内の、3.性格的におせっかい、世話好きである。がNHKの番組での発言ですね。
そして、7.落ち込まないこと、引きずらないこと、楽観的であること。
 
これもとても大切だと思います。
 
中国語通訳者で亡くなられていますが長澤信子さんという方がおられ、その方も著書「台所から北京が見える」の中でおっしゃっていますが、初仕事では、満足に通訳ができず、機械設備の能力の“马力”「馬力」しかできなかったといいますが、これを笑い話にするぐらいの豪胆さが必要なのかも知れません。
 
通訳も翻訳も、完ぺきということはあり得ない世界だと思うのです。
 
だから一から十まですべてを通訳なり翻訳するということはできない。
ですから、ある程度はしょることも必要なのですが、それも決してはしょりすぎてはならず、可能な限り伝えたいことを別の言葉にしなければなりません。
 
母語でもちょっとした時に言い間違えをすることがありますが、通訳をしていても、常に自分の表現する内容に注意し、言い間違えがないようにしなければなりません。
 
完ぺきはあり得ない。でも、できるだけ完ぺきを目指す。
お節介も、やり過ぎると問題も出ますが、節度をもって、そしてパッション、熱意というか熱い思いを持って通訳をする。
そして、これも程度問題ですが、ある程度図太くなり、落ち込んでも素早く回復するレジリエンス(レジリエンス(resilience)とは、「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」)を持っていなければならない。
 
ちょっとしたことが気になって夜眠ることができない。
 
というのでは、通訳は難しいかもしれませんね。
 
ただ、この通訳という仕事。
 
長井鞠子さんがおっしゃるには;
 
人と人とを繋ぎながら、時代の波頭に立ってサーフィンすることができる
 
人と人を繋ぐ。
それも言葉の違う人同士を繋ぐ、お互いの理解を深めることのお手伝いができる。
とてもやりがいのある、素晴らしい仕事でもあると思います。
 
「私なんてとてもとても」
 
とおっしゃる方が多いのですが、誰でも最初はできないもの。
そして、最初から難しい仕事は来ませんし、周りもそんなに期待しません。
それより、通訳は何と言っても場数を踏むことが大切。
冷や汗をかき、胃の痛い思いを何度もしている内に、次第に自信がつき、通訳のレベルも上がってくるもの。
 
是非、勇気を出して一歩をすすめていただきたいと思います。