Facebookに言葉の森ネットワーク というのがあって、毎日、心に響く言葉が投稿されるので思わず作文の講師試験を受けたのですが(無事合格でした)昨日の言葉に次がありました。
かまどの火をうまく焚くには、入り口からまきをくべること、煙の出口をふさがないこと。
作文をうまく書くには、読書をすること、書いたものを注意しないこと。
教育。というと何かしっくり来ないのですが、人に何かを伝えよう、そして育ってもらおうとするのはかまどの火を焚くのと同じ。
燃料を供給するのはもちろん大切ですが、煙の出口をふさがないこと。つまり、出てくるものを拒まず、為すがままに任せること。
外国語でいうと、大量のインプットをしてもらうように教材を準備しそれを提供すること。
一週間に一回、アウトプットをしてもらうのですが、そこでは発音の間違いや文法の間違いの修正はせず、とにかくどんどん外国語で話してもらい、そしてできれば書いてもらう。
そして次のインプット材料を渡すときに、「こことここはこうした方がいい。次回までのインプットで気にかけてください」と次回の課題とする。
「かまどの火を焚く」
“烧 炉灶 shāo lúzào”
「かまど。へっつい」の中国語は“炉灶”“灶”ですが、日本ではもう見かけなくなりましたね。
考えたら昔の人は毎日お米を焚くときに知らず知らずに人を育てるということの具体的な方法を身につけていったのかも知れません。
かまどの火は毎日毎日様子が違ったでしょう。
それをその時々の様子を見て、適切な量のまきを適切にくべていく。
もちろん煙の出口をふさがない。
それはふさいでしまったら火が消えてしまうことを身をもって知っているから。
世には「教育論」なるものが数多く存在し「教育評論家」なる方も多い。
でも、一向に自殺は減らないし、子どもの虐待も減らないし、昔はなかったような犯罪も増えている。
便利になった代償に何かとてつもなく大切なものを忘れている。そんな気がする今日この頃です。
中国語を学ぶ皆さんは、ご自分の状況を慎重に見て、いちばんよい方法を探してください。
上手に必要なだけのまきをくべてくれるトレーナーを、そして煙を出すことを止めないトレーナーを。
さらに適切にお米を炊き上げる火へと知らず知らず誘ってくれるトレーナーを探してください。




