「教わる」姿勢と「求める」姿勢

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「心を静める」(心身統一合氣道会 会長 藤平信一)

 

 

は、私にとってとても深い学びがある本なのですが、この本の「本章に入る前に」に次の説明があります。

 

「教わる」姿勢と「求める」姿勢

 

「学び」には、大きく分けて、「知識を得る学び」と、「身につける(体得する学び)があるといいます。

そしてこの本では「身につける学び」だというのですが、外国語を学ぶというのは、この二つの学びがあるということを意識することが大切だと思います。

 

学校での「学び」は「知識を得る学び」です。

この方法で学んでいくと「知識を得る」ことはできますが、「身につける(体得する)こと」はできない。つまり、使うことができないということになります。

 

これについては、同じく山科にあり、また友人でもある英語脳クリニックCATCHさんが次のように言っています。

 

TOEIC990満点講師の“学び方を学ぶ”レッスンが、あなたの“英語脳”を治療します。

 

まずは「初回無料クリニック」をご予約下さい。“違い”を体感していただけます。

 

英語脳クリニックCATCH では、“英語の学び方を学ぶ”ということに重点を置いています。 
多くの日本人英語学習者は、学校の筆記試験などに解答できるようになるための勉強しかしておらず、英語を言語として運用するための勉強はしていないようです。

 

その結果、長年、英語学習に時間を割いてきたわりには、英語を苦手と感じる人がたくさんいます。それは、単語や文法の知識そのものよりも、英語に対する取り組み方、学習法に問題があるのです。

 

そのようなことを置き去りにして、英語学習をさらに先に進めるのではなく、まずは根本的な問題をひとつひとつキッチり解決していきます。

 

効率的に英語力を高めるための土台作りをし、
『知っている』 から 『使える』に 変えていく - それが英語脳クリニックです。

 

外国語学習者は是非とも「学び方を学んで」いただきたいと思います。

 

藤平氏は引き続き学ぶ姿勢には「教わる」姿勢と、「求める」姿勢があり、「教わる」姿勢だとある程度のところで成長が止まる。といいます。

 

これも学校の勉強のように、「決まった知識をインプットする」「正しい答えを導くことを重視する」学び方を「教わる」という受け身ではなく、「具体的な体験から教訓を引き出し」「答えを導くプロセスを重視する」学び方をしていただきたいと思います。

 

なぜこのようなことを言うかというと、先生や講師には限界があるのです。

 

以前、馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。で紹介しましたが、教える側ができるのは学びの材料を提供することはできるのですが、それをどうするかは学習者にかかっています。

(もっとも、もっとも効率のよい連れて行き方をし、水を飲みたくなるように導くのがプロの講師だとは思いますが)

 

You can lead a horse to water but you can’t make him drink 
这是一个比喻性短语,字面意思是你能把马牵到河边,但你不能强迫马饮水,实际的意思是你能为别人提供学习或做事情的机会,但是不能强迫他们接受或把握这个机会。

 

你 能 把 马 牵 到 河边 , 但 你 不能 强迫 马 饮水
Nǐ néng bǎ mǎ qiān dào hébiān , dàn nǐ bùnéng qiángpò mǎ yǐnshuǐ

 

外国語を学ぼうとしている方々は、是非とも「求める」姿勢で正しい「学び方」を学んでいただきたいと思います。

 

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心を静める

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何かとても出会いの妙を感じます。

 

 

を読みました。

ここまでに来るのには、著者の藤平光一氏はもとより中村天風氏、そしてアドラー心理学や斎藤一人さん、小林正観さんの流れがありました。

 

藤平光一氏の後を継ぎ、心身統一合氣道会の会長をしている藤平信一氏の著書です。

 

中国語の講師としては以下の文が心に深く刻まれました。

 

プロの指導者として良い結果を残すには、最高の心の状態を維持することです。

 

「心の状態」

 

色々とさまよってきましたが、結局心に行き着きました。

 

最終的には松下幸之助氏と同じように「素直な心」が大切。ということなのでしょうが、海外で合氣道を指導している著者が英語について次のように書いています。

 

かく言う私も、中学校からずっと英語を勉強していますが、全く話すことができない一人でした。そもそも、英語はコミュニケーションの手段に過ぎません。目的は相手を理解することです。私が海外で講習の指導をする際に、必ず英語での質疑応答の時間があります。初めは英語を理解しようと努力したのですが全くわかりません。そこで、相手のことを理解しようと氣持を切り替えた瞬間に質問の内容を理解できるようになりました。

 

ときどき相手が質問する前に、相手が何を質問したいのかわかり、周囲を驚かせることがあります。心を向けるべき先は英語ではなく、相手だったのです。これがわかってから、英語で講習ができるようになりました。

 

そうなのです。

 

英語や中国語はコミュニケーションの手段に過ぎないのです。

目的は「相手を理解すること」。

だから、相手の話す言葉を理解しようとするのではなく、その背後にある「何を伝えたいのか」に心を向ける(注意力というか意識を向ける)と理解できるようになるとのことです。

 

さらには、ときどき相手が質問する前に、相手が何を質問したいのかわかる。といいます。

 

これも、私が予測とか推測と言っていましたが、要するに相手が何を言いたいのか、それをわかろうとするといいようです。

 

試験でのリスニング試験もそうなのでしょう。

言葉を聞き取ろうとするのではなく、何を伝えようとしているのか理解しようとする。

 

ちょっとした違いですが、実際には大きな違いになるようです。

 

この世の中はとてもシンプルで物事の本質はいつも同じなのかもしれません。

 

生き続き学び続けます。

 

それにしても色んな出会いに感謝する今日このごろです。

 

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(外国語は)ペラペラではない方がいい?

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Facebookの友人で、実は、30年程前からの知り合いから教えていただいたブログの記事があります。

 

No.862 日本の誇る英語の達人

 

ペラペラと外国語を使っておしゃべりすると気持ちのいいものかもしれませんが、大切なのは中身。自分の考えをしっかりと持ち、相手を傷つけることなく自分の主張を説明できる外国語力を目指すべきだと思います。

 

そのための学習方法としては「素読」がいい。

 

幕末にアメリカ人ラナルド・マクドナルドが利尻島に漂着した際に、英語担当通詞・森山栄之助が応対したが、その英語のうまさはマクドナルドを驚嘆させた。森山はいったいどうやって英語を勉強したのか。当時は英語の書物も限られ、そもそも英語を教えてくれる外国人すら国内にはいなかった。

その学習方法が素読であった。武家が幼児に漢文の素読を授けたように、長崎通詞の家ではオランダ語や英語の素読をさせていたという。

No.862 日本の誇る英語の達人より)

 

素読については以下が詳しいです。

 

「素読」とは何なのか?その学びの効果を田口佳史が解説

 

科学的、近代的な学習方法ではないと思うかも知れませんが、科学の歴史などたかが知れています。

目先の魅力に惑わされず、心を静めれば正しい方法がきっとわかるはず。

 

ペラペラ話すのは実は簡単です。

「口ぐせ」を多用することでいくらでもペラペラ感は出せます。

入り口はそれでもいいでしょう。

でも、外国語を学ぶ方には是非、自己満足から脱出して外国人と実のある交流をするための外国語を身につけていただきたいと思います。

 

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反面教師

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「反面教師」

 

中国語では“反面教员”“反面教材”。

語源は毛沢東だといいますのでもともと日本語にある言葉ではありません。

 

私がこの言葉を生まれて初めて耳にしたのは大学の一回生のときでした。

 

中国語の授業で、K教授(当時はまだ副教授?)が、私たちがあまりにも勉強しないので叱ってくれていたのですが、その時に使っていた言葉です。

 

デジタル大辞泉の解説
はんめん‐きょうし〔‐ケウシ〕【反面教師】

《中国の毛沢東の言葉から》悪い見本として反省や戒めの材料となる物事。また、そのような人。

 

反面教员(fǎn miàn jiào yuán)
【出处】:毛泽东《我们党的一些历史经验》:“它是全世界人民的反面教员。”
【事例】:出了最大的~,我们的党可以从这场血淋淋的惨痛的教训中汲取教益。 ★李娴娟《血染的爱》
【近义词】:反面教材
【反义词】:正面教员、光辉典范
【用法】:作主语、宾语;指反面人物
【英文】:opposite <negative side>

 

なぜいきなり「反面教師」の話題なのかというと、今、中国人研修生の通訳をしているのですが、先生役の日本人が表現が下手というか、説明するのがうまくないというか、何を言っているのか日本人の私でもわからない。それを直訳するのですが、ほとんど単語しか話さないので言いたいこと、指示の内容を推測して作業をするのですが、それが先生役としては自分の思った通りにならない(まあ、そうでしょう。ちゃんと説明していないのですから)のを見て、怒るのです。

 

「なんで言ったとおりにしないのだ!!!」

 

工場ではこういう方はたまにおられます。

職人肌というか、教えるというより見て覚えろ、技術は盗めというタイプ。

また、口よりも手が早い人。

この先生役は手や足は出しませんが言葉の暴力であることは確かです。

 

これまでなら、こういう人に対して敵意を持ちました。

 

こんなことをしているから中国人は日本人に対して悪い印象を持つのだ。とも思っていましたから、なんとかこれではダメだということをわからせて直すように言いたいと思っていました。

 

でも、人は変えられない。

そして変えることができるのは自分だけ。

さらには、人は自分自身を向上させるために生まれてきた。

と思うようになると、この先生役は「反面教師」なのだと思うようにしたのです。

 

中国人研修生も“反面教员”を知っていました(まだ20代の90后ですが)。

 

アドラー心理学では「課題の分離」ということを言います。

「課題の分離」とは「自分の課題と相手の課題を分けて考える」ということなのですが、この場合、中国人研修生に対し感情的に怒鳴りつけた結果どうなるかというのはあくまでも先生役の問題。

それに対し、それを見て、また、同じように怒鳴られたことをどうとるかというのは私の課題なのです。

 

今の状況を受け容れ、そしてこの先生役を「反面教師」としてここから学ぶ。

それができていればいい。

そんな風に思うようにしました。

 

 

には、ニーチェの言葉として次が紹介されています。

 

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

 

没有事实,只有解释。

 

目の前で怒鳴る人がいる。

よかれと思って気を使って何かをしても思う通りにならないと怒鳴る人がいる。

でも、それをどのような意味にとるかは自分次第。

反面教師としてとり、自分はそんなことはしないようにしよう。

自分が人に教えるときには、ちゃんと説明し、相手が理解していることを確認し、そして、もし、相手がわかっていなかったらそれは自分の説明の仕方が悪かったのだと思い、研鑽する。

 

そう思えば、この先生役は悪役をしてくれているだけ。

私が成長するために敢えて悪役をしてくれているだけ。

 

そう。

敵ではなく仲間。

 

これもアドラー心理学が教えてくれました。

 

 

ああはなるまい! 反面教師にしたい“図々しい子連れ”のエピソード4つ 木村華子(ママライター)さんからお借りしました。

どうやったら中国語が使えるの?

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中国安徽省合肥からの研修生に日本語を教えてたり、一緒に働く通訳を見ていてつくづく思うのは、外国語ができる。というのは、ただたんに、

 

「誰かが使った(使っている)言葉をそのまま使うこと」

 

だと思います。

 

外国語が話せるようになるとか読めるようになるとか、通訳や翻訳をしようとする人は、どうしても「学ぼう」と思うようです。

合肥からの研修生もそうです。

 

日本語を五十音から学び、それを必死に覚え、単語を覚え、表現を覚える。

 

まるで試験のための勉強のように。

 

これでは楽しくないでしょう。

 

外国語が使えるようなる。

それはとてもシンプルなことだと思うのです。

 

頭の善し悪しではなく、ただただ「誰かが話したり、書いたりしたものをそのまま使うこと」だけです。

 

大人になってから学ぶのですから、より効果的にマスターするために文法を踏まえた学習方法もあるでしょうが、それでも基本は「外国語を使っている人が実際に使っている表現」です。

 

誰からが使った表現を一つでも多く自分が使えるようになること。

 

そのためには自分が使いたい表現からマスターしていくこと。

 

そのためにはIQが必要なのではないと思うのです。

 

せっかくの人生。

より豊かにするために、より楽しむために外国語を使えるように稽古する。

ただそれだけだと思います。 

 

今朝のスーパームーン。
生きとし生けるものが幸せでありますように!