中国語を学び始めて三十数年。
小学校の頃から学んでいた武術とようやくつながりはじめました。
今、改めて武術の世界を見なおしているのですが、そのきっかけとなったのはブルース・リーでした。
「燃えよドラゴン」(Enter the Dragon, 龙争虎斗)のオープニングでブルース・リーガ若い男の子を指導するシーンでのセリフ。
Don't think, FEEL!
别想啊,去感受吧!
(中国語版では“别想,快点儿。”字幕では“不准想,快点。”)
これが武術だけではなく、外国語学習でもコツになる予感がしています。
今回、このような予感がするようになったのは、
「考えないこと」
で紹介した【神業】物理学を駆使した最強格闘技 究極奥義「無想転生」vs 極真空手がきっかけなのですが、
「考えない」
「アホになる」
という考えは、「ぼーっとする感覚」であったり、英語の数字を10から1まで逆に数えるように、イメージでとらえるというか、脳の奥で感じるというか、なんとも通常の感覚ではないのですが、これが外国語を話したり聞いたりする時の脳のモードのような気がします。
このことについては引き続き学び続けているのですが、今回は、「燃えよドラゴン」の“Don't think, FEEL!”のシーンで、この後に続いている言葉を紹介します。
“Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”
“别想,快点儿!反应要快,就像是直觉一样地把手指像月亮。记住!假如反应慢了只能看见手指,也不能让你再看到月亮的光华了。”
ビジネス読書会さんのあの名セリフ「Don’t think. FEEL!」の後に続く含蓄に富んだ言葉、知ってますか?には次の翻訳が紹介されています。
“考えるな!感じろ!それは月を指差すようなものだ。指を見てちゃ栄光はつかめないぞ!”
この話。
仏教の中に出て来る「指月の譬え」なのですね。
そして、落語;「池田の猪買い」に出て来る、場所をたずねて、この手の先を見よと言われて、指の先、爪の垢を見る話のようなものです。
さて、話を外国語に戻します。
外国語学習ではこの指と月を次のように考えます。
・指=言葉、単語。
・月=相手が伝えたいこと。
例えば、リスニング試験で、一つ一つの単語ばかりを追って、全体として何が言いたいのか、何を伝えたいのかを見失うと、意味がつかめなくなる。
会話をしていても、相手が何を言いたいのかということより、一つ一つの単語が聴き取れているかどうかに集中すると、とてもではないですが何が言いたいのかはわからない。
逆に、一つ一つの単語(指)が指し示している「相手が何を言いたいのか」を予測しながら聴いていると少々わからない単語があっても気になることはなく、全体の意味をつかむ一つ一つの情報として参考にすることができる。
おっと、話が難しくなりました。
結局、外国語であろうが母国語であろうが、相手の話を聞いたり、読んだりするときには、単語にあまり引きずられることなく、予測・推測を補う一つの情報として聞いたり、読んだりする方がいいのではないかということです。
そして、
・単語に集中する。
・全体として相手の言いたいことを予測する。
の違いは脳の使い方にある。
そんなことを思ったのでした。