「あんにゃろめ。じい様たちを…。許さん。」


ハッシュは怒りに満ちた表情で拳を握りしめる。


「あのー。決意にみなぎってるとこ悪いんだけど…。」


おずおずとリノが訊ねる。


「ちょっと説明してくんないかな?」


ハッシュはエルフ族に伝わる魔王についての伝承と盟約について語った。

冒険者たちは、そこで初めて盟約の意味を知る。


「最初の盟約は、人間族は封印を解いちゃうかもしれないから森に近づかないように、ってものだった。」


ハッシュはただ淡々と語ってゆく。


「初めのうちこそしっかりと守られてたが、そのうち封じられている力を欲する者が現れ始めた。」


ありがちな話だ。


「そこで盟約は書き換えられ、森はエルフ族の領域だから入らないように、ってなった。」


「盟約って、二つあったの?」


リノの疑問。


「いや、エルフ族の領域には何かあるかもしれないと入る輩がいたからね。その後も何度か書き換えられた。だが、どうしても入りたがるもんで最終的には、盟約を忘れる事、っていう盟約が結ばれた。」


もはや笑い話である。


「で、裏でもう一つ盟約が結ばれた。すなわち、森に入った人間族は命の保証をしない、ってね。」


なるほど、だから一方的に襲われたのか、と冒険者たちは納得する。


「それなのに、私たち入っちゃったのね。そのせいで…」


リノの顔は蒼ざめている。


「君たちのせいじゃない。封印から永い時間が経ち過ぎた。それだけさ。」


ハッシュは絞り出すように切れぎれに言葉を紡ぐ。


「奴が去った後、心の奥底で何かが解放されたのを感じた。じい様たちもきっと同じだったんだろう。」


「そうは言うけど…」


何かを言いかけたリノに対しハッシュはゆっくりと首を振る。


「こうなる事は…多分決まってたんだ。大事なのは、これからさ。」


ハッシュはそこで一旦大きく息を継いだ。そして、底抜けに明るい調子で後を続ける。


「さぁ、いざ行かん。エルストイへ!」


悲しみを振り払い前に進もうとするハッシュに否定の言葉をかけるなど、出来ない。


「えぇ、行きましょう。エルストイへ。」


サラが賛同し、


「あぁ、行こう。エルストイへ。」


アルが同意する。リノがアルに付き従うのも、レクトに決定権がないのも、いつもの通りだ。


ほどなく、一行は森の出口に辿り着いた。


「ワタシハ此処マデダ。」


と、ふと立ち止まったオーレックが告げる。


「オーちゃん、帰っちゃうの?」


とても寂しそうなリノである。


「オ前タチニ助ケラレタコトハ忘レナイ。ワタシノ力ガ必要ナ時ハ声ヲカケテクレ。」


そう言い残し、一つ目の巨人は山へ帰って行った。


「行っちゃいましたね。」


レクトが言わずもがなの事を言う。


「いつかまた一緒に旅しようねー。」


リノの声は存外に大きく響き渡った。

その昔。

強大な力を持った召喚術師がいた。

彼は魔族の王の力をこの世に具現化しようと試み…、‘かの者’に呑み込まれた。

魔王の力をその身に宿し暴走した召喚術師はとめどない力の奔流となり全ての生き物の脅威となった。

脅威に立ち向かう為あらゆる種族が手を結んだ。

人間族とエルフ族。

本来なら全く違う世界に住うはずの二つの種族も互いに協力し、最後に‘かの者’を封じ込んだ。


森は‘始まりの森’であった。

森の最奥の祭壇で、召喚術師は‘かの者’を喚び出した。


森は‘終わりの森’であった。

森の最奥の祭壇に、召喚術師と‘かの者’は封じられた。


最後の時、‘かの者’は言った。


『やがてこの地に‘運命の子’が訪れる。その時、我は再びこの地に現れるであろう。』と。


‘運命の子’は人間族から産まれ出ずる、とエルフ族の伝承に残っていた。

エルフ族は封印を引き受け、人間族はこの森に入らない事を約束した。

それがすなわち、盟約である。


『待っていたぞ。‘運命の子’よ。その力が我を封印から解き放つのだ。』


おぞましい声が聞こえた。

石柱が端から順に崩れ落ちていく。

石柱の前に座るエルフたちは祈りを捧げ続けている。

それでも。

崩壊は止まらない。

中央の一際大きな石柱が崩れ落ちた時、祭壇の下からこの世のものとは思えない咆哮が響いた。

祭壇が崩れ、地面が割れる。

辺り一面が土煙に覆われる。


しばしの沈黙。

土煙が晴れた時、そこには深い深い穴があった。

祭壇も、石柱も、地の底に呑み込まれたようであった。

長老たちの姿も見えない。


『礼を言おう、‘運命の子’よ。よくぞこの地に来てくれた。そなたらの前には数多の災厄が待ち受けよう。だが、また逢う日まで、せいぜい小さな災厄に屈してくれるなよ。』


おぞましい声は随分と遠いところから聞こえたようだった。


「いったい、何が起こったの?」


いち早く我に返ったリノが辺りを見回し、呟いた。

冒険者たちは呆然と立ち尽くしている。

ハッシュが傍に倒れていた。


「今の声はなんだったんだ?」


二番目に口を開いたのは、アル。


「何か恐ろしい、邪悪な気配を感じました。」


サラが答える。


「モシカスルトえるふノ伝承ニアル魔王ガ復活シタノカモシレナイ。」


と、これはオーレック。


「魔王!?」


レクトの声は悲鳴に近い。


「だから嫌だったんだ。来たくないって言ったのに。」


「今更そんなこと言ってても始まらないでしょ?」


リノが諭すように声をかける。


「それに、魔王だって決まったわけじゃないんだし。」


「いや。あれは魔王さ。」


そう答えたのは、いつの間にやら目を覚ましていたらしいハッシュだ。

その答えに冒険者一同は声を詰まらせるのだった。

『ハッシュ。つまらぬ事をするでない。人間どもは捨て置いて戻って来るがよい。』


長老の声がする。

当然の事だが、話は全て筒抜けだ。


「やだなぁ。それじゃあ俺は半分しか戻れないじゃないか。」


ハッシュがとても楽しそうに答える。


「なるほどね。」


リノが感心した風に頷く。

実のところ、どうやって長老との話し合いに持ち込むのか訝しんでいたのだ。


「これまでだって、俺が気に入った人間たちは逃がしてくれただろ?」


ハッシュは半分人間の血を引いている。

彼はこの森の異端児、唯一の例外なのだ。


『お前が勝手に逃がしただけだ。』


苦々しげな声。


「ひどいなぁ。いつだってこうやって直談判して許しを乞うているっていうのに。」


ハッシュは両手を広げ軽やかに踊るようにくるりと回りながら空に向かって芝居掛かった調子で言う。


『ふん、たわけた事を。まぁ良い。だが、今回ばかりはそうもいかんのだ。』


長老の声がこもる。


「何か理由がおありなのですね?」


間髪入れずにサラが訊ねる。


『それは…。』


あまりにもタイミングの良過ぎる質問に思わず答えそうになる。


『お主らには話せん。』


慌ててはぐらかしてみても肯定したも同然だ。


「あぁ、そうなの?って引き下がると思う?」


リノが突っかかる。

ここが正念場だと踏んだのだろう。

交渉ごとはタイミングが重要だ。

ところが…。


「まぁ、いいんじゃないの?直接話せばわかる事さ。」


ハッシュは気楽にそう言うと、冒険者たちが歩いて来た方へと歩き始める。

長老の元に辿り着く公算でもあるのか?

聞きたい気持ちはあったが、とにかく一同は後に続く。

疑問は道中に訊ねるつもりだった。

だが、それは叶わなかった。


ほんの数歩。

ちょうどリノが付けたマークを通り過ぎたあと。

突然目の前に見た事のない景色が広がったからだ。

少しひらけた空間に石造りの祭壇らしきものがあった。

周りには何本か石柱が建てられており、そのどれにも緻密な彫刻が施されていた。

そしてその一本一本の柱の前に端正な顔をした男女が一人ずつ座っていた。


「エルフ族!本物…?」


驚きの声を上げたのはレクトだ。

レクトの記憶が確かならこの辺りにはエルフ族はいなかったはずだ。

ましてや、こんなに人間族の近くにいるエルフ族など聞いた事がない。


「これも盟約とやらのせいってわけか。」


したり顔で一人大きく頷くレクト。

盟約のなんたるか、その中身が分からずにいることは、どうやら忘れているらしい。


『やはり来おったか。』


中央の一際大きな石柱の前に座った男性がとても残念そうに口を開く。

その声は先程までと同様に森中に響き渡る。


「残念ながらじい様たちがいくら道順を組み替えても無駄さ。彼らにはどうしてもここに来てもらわなきゃならなかったんだからね。」


ハッシュの声はそれまでとは打って変わり、不気味なほどに落ち着いていた。

冒険者たちは不穏な空気を感じ取り、背筋が凍りつきそうになるのを感じていた…。