夜話 621 明治天皇の身長と青木繁の歌碑 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 621 明治天皇の身長と青木繁の歌碑


青木繁の歌碑を建てるのに地もとから反対意見がでるかもと言うことは拙は予想はしていた。

建設場所は八女市室岡の岡山公園山頂。     
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戦時中 ここは明治天皇にかかわる聖地と言われたところ。

明治四十四年秋、久留米陸軍特別大演習のとき明治天皇がここで演習を統監した。

全国の統監場所には物々しい碑が立ち、戦後もそれらはほとんどそのまま。

八女市岡山には統監を記念した奥陸軍元帥が書いた記念碑が立っている。

日露戦争で奥は久留米の師団を率いて戦場にのぞんだ。その縁で彼の筆になる記念碑が頂上に立っている。

その側に青木の歌碑を建てる計画。

拙はその近傍にやや物騒な言動の人物がいることを知ってはいた。

戦後間もなく井上農夫がこの近くにいて彼の薫陶を受けた人物の一人や二人いることは承知していた。         
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井上は「三上卓」名で『高山彦九郎』を書いた人物。善知鳥は井上を「最右翼」の人物と理解している。

「青木繁なんぞの絵描きの記念碑を」という批難の声はのぞむところ。

拙は井上とは旧知の間がら。

「もしその声が公に出たら、拙に連絡を」と建設委員会会長に伝えていたがその後何もなかったらしい。

拙はもしものことがあったらと用意していたことがあった。

せめて青木の歌碑の高さを明治天皇の背の高さ以下に設定し計画していた。

言い訳として筋は通る。

さて明治天皇の背のたかさは?

ドナルドキ―ンの名著『明治天皇』で拙は承知していた。

明治四十五年七月三十日午前零時四十三分天皇は崩御した。

そのとき明治天皇の唯一の友人藤波言忠が天皇の身長を計っていた。

生前 天皇は身体の寸法を測られることを拒否していた。

五尺五寸四分。約百六十七センチだった。 
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青木の歌碑の高さは台座をふくめて四尺七寸。

異論があったらこれでと拙は決めていた。

文句言う側は天皇の背の高さは御存じないこと確実。

明治天皇の背の高さを持ち出して、意表を突くのも愉快ではないか。

相手の無智をつくのは、孫子の兵法。

そんなのアったかナア。

愉快なのは青木の背の高さ、これは明治天皇を抜いていた。

明治三十八年二月三日づけの蒲原有明あての手紙に自分の身長を

「五尺七寸二分七厘」と書き送っている。

ドナルドキ―ンは明治天皇の体重は書いていないが「肥満気味」だったとある。

美食家だった天皇と比べれば貧乏ヒマなしの青木は体重では負けていたはず。敬称略

上 明治天皇

中 青木繁歌碑

下 青木繁