「自分」に対する思い込みが、
私の世界を作るなぁ、
と思います。
たとえば、
「私賢い」と思っているAさんと、
「私バカだ」と思っているBさんがいたとして、
なんか、相手の言っていることがよくわらかない、
という出来事が起きたとき、
「私賢い」と思っているAさんは、
「この人の言っていることをよく理解できないが、
賢い私は、きちんと説明してもらえれば、きちんと相手の言っていることを理解できるはず」
と思っているので、
「今のお話は、たとえばこういうことですか?」
などと質問をして、相手の言っていることを理解しようとします。結果、相手とよくコミュニケーションが取れている現実を創り出します。
そして、「相手ときちんとコミュニケーションが取れる私は、やっぱり賢い」と、思い込みを強化します。
でも「私バカだ」と思っているBさんは、
「相手の言っていることを理解できないのは、私がバカだからだ」
と思っているので、
自分がバカなことがこれ以上バレないように、分かっているフリをするとか、(以前よくこれやりました私)
「わざと難しく話して、私をバカにしてるの!?」
と怒り出したりします。結果、相手とよくコミュニケーションが取れない現実を創り出します。
そして、「相手とコミュニケーションが取れない私は、やっぱりバカだ」という思い込みを強化します。
相手にとって、つきあいやすいのは多分、
たとえば、
「私愛されている」と思っているAさんと、
「私嫌われている」と思っているBさんがいたとして、
メール送ったのに、
いつもならすぐ返信が来る相手から、返信がなかなか来なかったとします。
「私愛されている」と思っているAさんは、
「きっと今お仕事で忙しいのね。私が愛されていないわけないもんね。お仕事お疲れ様」
とか思いながら、機嫌よくコーヒー飲んだりします。
「私きらわれている」と思っているBさんは、
「ああ、あのメールのあの言葉がよくなかった?
あの言動が失礼だと思われた?
あああやっぱり私嫌われている」
とおろおろしたりします。(今でもこれちょいちょいやります私)
いつも機嫌の良いAさんです。
そのため、Aさんは「やっぱり愛されている」世界を自分で創り出します。
そのことが「ほぅらね、やっぱり私愛されている」という思い込みを強化します。
『嫌われる勇気』がベストセラーになりましたが、
「嫌われる勇気」よりかは、
「私賢い」という思い込み、
「私愛されている」という思い込みの方が、
幸せな世界を創り出しやすいのではないかなぁと思います。
(自分へのよくない思い込みが強いBさんが「嫌われる勇気」をもっちゃったら、
Bさんの周りの人を、そしてBさんをも不幸にしそうに思います)
いま、いろんなところでシェアされまくっているこの動画、
【好きなことで、生きていく】『レペゼン地球-DJ社長-』
40分くらいの動画なのに、体感10分くらい。
一気に見ちゃったし、何度か見返してるのですが、
24分の
「ちびまる子ちゃんにトラウマでもある人なのかな?」
のところ、
人から責められたり、
自分で自分を責めそうになってしまったとき、(勝手に脳内で「私が○○したから嫌われた?」的な妄想暴走の時とか)
これが一番正しい態度な気がします。
相手が怒っているのは、
私のせいじゃなくて、
相手の中に埋まっている地雷のせい。
(実際、こういうことも多いです)
相手からメールが返ってこないだけなのに、
「相手が怒っているからなんじゃないか、私、嫌われているんじゃないか」
と脳内で勝手に不安になっちゃうのは、
自分の中に埋まっている「私嫌われている」地雷のせい。
私が相手を傷付けるつもりでした行動でなければ、
自分を責める必要って一切ないんだって、
そんなふうに勇気づけられる動画でもあります。
Aさんの世界でも、Bさんの世界でも、
起こる「出来事」は変わらない。
相手の言うことが分かりづらい時もあるし、
メールの返信が返ってこない時もある。
そこに、自分がどんな「意見」をつけるのかが、
人生のすべてを決めていくのかもなぁと思います。
(自分がどんな「意見」をもっているのかは、
パセージ・プラスで深く学びます)