ざっくり要約しちゃうと、
「劣等感が強い人より、健やかな自信を持っている人の方が、周りの人がラク」
というものでしたが、
私は、
自分に自信ねーから苦しんでんじゃん!
こんな、能力低くて、欠点だらけの自分に、自信なんか持てるわけねーじゃん!
てサイドの人の気持ちのほうがよく理解できる、
自分に自信ない子ちゃんです。
自信、て、
パセージでいうと、
1)私は能力がある。
2)人々は私の仲間だ。
という信念だと思います。
子どもが、この信念に向かうように親がする援助を、「勇気づけ」と言います。
さて。
子どもが、じゃなくて、自分自身が、
1)私は能力がある。
2)人々は私の仲間だ。
という信念に向かうように、何ができるだろう?
とテキスト読んでいくと、
「勇気づけの第一歩は、子どもの話に耳を傾け、子どもの考えや感情や意思を理解しようとすることです」
と書いてあります。(9-L)
「自分を理解しようとしてくれている人がいる」ということ、
「私は、何を考えても、感じてもOKなんだ」と自分に対して思えること、
それが、子どもを深く勇気づける。
であれば、私も、私の話を聴こう。
自分に自信をつけるの、まずはそこからだ。
そんなふうに考えて、
ちら、っとでも自分の感情が動いたときには、(プラスにでも、マイナスにでも)
ジャーナルに、
こんな感情が起きた。この感情の背後にどんな考えがあったんだろう?
って書いていくお稽古を始めました。
感情の背後には、必ず考えがあり、その奧に信念がある、
とアドラー心理学では考えるので、
(「感情は信念から起こる」35-R)
感情が動いたときは、自分がどんなことを考えているのか、自分の話を聴く絶好のチャンスです。
4月頭からこれをやり始めて、
自分が感じていること、考えていることをただ聴いて(書いて)いたら、
これ、けっこう危険
てことにも気付いちゃいました。
私、誰が好きで、誰が好きじゃないか、
はっきりしちゃって
あぁもう、気付かなかったらそれなりにやり過ごせたのに
(ほんとに無意識的に、かなり堅くフタをしていたんだなぁ、と思いました。
気付いた瞬間、「あ~あ。やっぱりか」って思いましたもん)
「人を嫌いだなんて思っちゃダメ」って思い込みは、
「にも関わらず、嫌いな人がいる自分」を「ダメ人間」にしてしまいます。
本当に、無意識的に。
でも、「誰かを嫌いと感じる」ことと、
「嫌いと思う相手を攻撃する」ことは、まったくの別物。
誰かを「嫌い」と思ってもいい。
でも、その「嫌い」を、相手にそのままぶつけるのはやめよう。
「嫌い」と思う相手と、どうすれば共存できるか、そこを考え工夫しよう。
そんなふうに思うことが出来るようになれば、
誰かを「嫌い」と思う自分を、嫌いにならずに済みます。
「これ好き」
「これ嫌い」
「これやりたい」
「これやりたくない」
てでてくる自分の感情と思考を
「あああそれを断るといろんなところに波風が」
とか思いつつ、
全体的には、少しずつ、ラクになってきています。
自分を責めている思い込みを少しずつ減らして、
自分を好きになって、
自分と仲間になっていきたいな、と思います。