京都は、粉雪が舞ってた。
夜の新幹線で帰京し、それから2月10日の渋谷ライヴのために、バンドのリハをやって帰宅した。
さて、前回の話のつづきです。
山形にある
東北芸術工科大学
の方々に最初にお会いしたのは、昨年末のことで、幻冬舎の見城徹社長の紹介だった。大学で講義を持ってほしいという話だと思い、
「見城さんといっしょなら楽しそうだしいいな」と気軽に考えて幻冬舎に足を運んだのだった。
ところが、そんなに簡単な話ではなかったのだ。
東北芸術工科大学は、ご存知の方も多いと思うのだが、小山薫堂さんが企画構想学科の学科長をつとめたり、映像学科の学科長を根岸吉太郎さんがつとめたりしていることで、ユニークな大学として有名だ。
東北芸術工科大学
この大学で来年から、小説家やライター、編集者などを養成する新しい試みをスタートしたいということになり、その責任者みたいなことをやってほしいという話だったのだ。
そのうちに詳しく書くけど、ぼくとしては「マジで?」という感じだった。それから山形に、東北芸術工科大学と
京都造形芸術大学
の理事長をつとめる徳山詳直氏に会いに行った。スーツを着て行けと見城さんに言われたのはこの時のことです。理事長のお話を聞いてぼくは感動した。そのことは、このブログでもちょっと書いたけどさ。
真剣にこの仕事を引き受けることに決め、まずコンセプトワークから始めた。誰にも相談せずに、たった1人でやった。大学のスタッフの皆さんが「できれば誰にも相談せずにやってほしい。そのほうが斬新なものになると思いますから」ということだったからだ。
最初にマニフェストみたいな文章を書いたのだが、短いエッセイ程度の分量なのに、1週間かかったよ! この短い文章に、若い人達の未来がかかってるわけだから、推敲に推敲を重ねたんだよね。芸工大で起こりつつあるムーブメントのコアになる文章になるからさ。
それから他にも、このプロジェクトに関する文章を書いていった。
書き上げた時は、これまでの自分の全文学生活を出し切った感じで、カラッポになった気がしたよ。
それを読んだ見城さんが、言ってくれた。
「これは素晴らしいよ。この仕事は適任だったな」
昨日は京都で姉妹校の京都造形芸術大学を案内していただき、徳山理事長のご自宅に招いていただいたんだよね。
京都造形芸術大学
「ぼくはこの仕事に命をかけてます。そういう男と長くいっしょに仕事をするためにはね、相手のことを好きにならなければならないんですよ」
今年80歳になられる理事長の言葉に、ぼくはこう答えた。
「ぼくはもう理事長のことが好きですよ」
悪戯っぽい眼で、彼は笑ったのだった。
もうプロジェクトはもうスタートしているんだな、とぼくは節分の京都の街を眺めながら思ったのだった。もっとも望ましい形で成功させたいと思ってます。
小説家。
ロックンロール・バンドのヴォーカリスト。
アメーバブックス新社の編集長。
東北芸術工科大学。
ぼくの重要な領域が、これで四つになった。
ね。人生、どっちの転がるのかわからないものでしょう。
いくつになっても、意外性の連続だ。
がんばるよ!