2016-08-09 11:17:37

わんぱく小僧の恋愛学講座

テーマ:イージー・ゴーイング
 十代の頃は、素敵な女の子を見ると、彼女はどうやったらスカートを脱いでくれるだろうかということばかり考えていたような気がする。そして、すぐ後に考えるのは、うまく彼女がスカートを脱いでくれて、ぼくらがささやかな目的を遂げた後、どうやったら彼女はもう一度すんなりとスカートをはいてくれ、さっさとぼくの部屋から出て行ってくれるだろうということだった。
 ジョークの一つもまじえながら、それでもそれなりに真剣に女の子に対しながら、ぼくはもう既に逃げ腰になっていたわけだ。
 それが果たして恋愛と呼べるものだったのかどうか、今ではもうよくわからない。恋愛と呼ぶにはあまりにも直接的で、貧しく、独得なイマジネーションに欠けていたような気もする。
 当時の十代の女の子たちはそれぞれによく本を読んでいて、それも特に十九世紀の外国の恋愛小説が専門分野で、ぼくなどもそのうちの何冊かを借りて読んでみたりもしたが、そのたびに考えたことは、この青年はなぜこんなにいろんなことを考えるのかな、ということだった。ああだこうだと考える暇があったら、マディ・ウォーターズのように「やらせてほしい」と一言いえばいいのに、と。
 今は十代のぼく自身に向かって、おいおい君、ただやればいいってもんじゃないんだぜ、と言ってやりたい気がする。ほんとうは、そのことはほんのスタート・ラインにすぎないのだから。しかし、十代の少年には、女の子と寝るということが、あたかもゴールのように見えたのだ。
 だが、いずれにせよ、そうしたいささか滑稽でちぐはぐな、それでも本人たちには輝かしく見えた数々の献身的な努力はやはり恋愛だったのだろう。そう認めてやらなければ、あの頃の十代の少年たちは行き場を失ってしまうではないか。
 学生ズボンの前をふくらませていた少年。クラス・メイトの女の子の裸を思い浮かべながらオナニーしていた少年。公園のベンチで、どうやったらキスできるだろうかということばかり考えていた少年。女の子をベッドに連れこみ、急いでブラウスのボタンをはずしていた少年。彼女が帰ってくれた後、ほっとして煙草を喫いながら、シーツの間に貝殻細工のボタンを見つけて舌打ちしていた少年。やはり、彼らこそは恋愛物語の主人公だったのだ、と言うべきなのかもしれない。
 もちろん、ただやればいいというものではない。しかし、ほんとうは、そんなことはあの頃のぼくらにもよくわかっていたのだ。だが、複雑に見えはじめた世界の中で、せめて自分だけはシンプルでいたいと思っていたのだろう。形而上学的な問題は明日勉強することにして、今はとりあえず自分の精神と肉体を解放してやりたい。そんなふうに、無意識のうちに思っていたのかもしれない。
 性欲と恋愛の輝かしい一致。それこそが、わんぱく小僧達の恋愛学講座の第一章なのであった。

抜粋:: 山川健一 “マギー・メイによろしく”。 iBooks
「わんぱく小僧の恋愛学講座

いいね!した人  |  リブログ(0)
2016-08-07 11:40:55

石川忠司──黒いイマズマ!

テーマ:イージー・ゴーイング
8月21日にApple Store 銀座で一緒に公開講座をやる石川忠司教授が、東北芸術工科大学の文芸学科の学生が作った雑誌のカバーを飾りました。

{2F841AD7-9137-46E3-81F2-CDB50704C3AD:01}
GEIKO'S KNUCKLE

{F338073B-7904-4EB4-B6E3-7872B5A2E2FB:01}
女子学生のハートを射抜く黒いイナズマ

カッコいいです。石川、怒るなよ!
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016-08-05 01:37:26

夏休みに読むiBooks:山川健一

テーマ:イージー・ゴーイング

図書館にて


apple


2016 年 8 月 21 日(日)午後 1:00

Apple Store 銀座
「夏休みに読むiBooks:山川健一」という公開講座を行います。
小説の書き方についての出張講義です。

まずぼくが1人で、MacintoshとiPhoneとiPadでいかに文学するか、という話をします。その後、東北芸術工科大学、文芸学科の石川忠司教授と2人で「小説の書き方」の講義をします。

ちなみに、2011年に創設された東北芸術工科大学文芸学科からは、既に8人の作家(小説家3名、ノンフィクション作家2名、漫画家3名)がデビューしています。

2人いっしょに文芸学科で講義をやり、東北地方の高校の文芸部のイベントなどに招かれて講義をし、ぼくらの「文芸漫才」は今や円熟の領域に入りつつあります。東北地方の高校から、2人指名で引っ張りだこの人気コンビです。いや、ほんとの話。

はっきり言って、超絶おもしろいです。世界が一気にひらけるはずです。文芸学科門外不出の内容なので、本にはしてません。ラーメン屋さんの秘伝のタレ、みたいな話です。

ぼくらは小説家と批評家なので、もともと犬猿の仲ですが、その真面目なバトルが学生や高校生達にはウケるみたいです。文芸学科のジャガー&リチャーズと言うべきか、西郷隆盛と大久保利通と言うべきか、はたまた近藤勇と土方歳三と言うべきか。

「おまえが大久保でも土方でもいいけどさ、いずれにしても俺が先に死ぬんじゃん」とぼく。
「たかが1年じゃん。いやぁ、今が幕末ならな。俺達いい仕事したよな」と石川。

以下の方、是非ともいらして下さい。

・会社に勤めてるけどいつか作家デビューしたいと思っている人
・小説というものを立体的に知りたい方
・小説を書くことに興味のある高校生の皆さん
・高校の文芸部顧問の先生の皆さん
・シンプルに石川忠司もしくは山川健一の読者の皆さん
・「Macintoshは希望だ」と信じているマッカーの皆さん

お待ちしております!


いいね!した人  |  リブログ(0)
2016-07-30 09:00:59

ぼくのロックンロールさえもが、死のうとしている。

テーマ:イージー・ゴーイング
「ロックンロールだけじゃない。いろんなものが、いつだって死んでいこうとしてるんだ。でも、まだ死んじゃいない」
 爺さんは私の肩を叩き、白いマントみたいな服を羽織ると、青い革のシューズでステップを踏みながら表へ出て行った。
 入れ違いに、花子が部屋に入ってきた。毛足の長いグレーのカーペットに、赤のドレスがくっきりと映えて見える。
「ねえ、今のお爺さん、誰?」
「ロックンロールの神様さ」
「神様? わたし、キスされちゃったけど、大丈夫かな」

抜粋:: 山川健一. “クロアシカ・バーの悲劇”。 iBooks.
「“ぼくのロックンロールさえもが、死のうとしている。」
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016-07-28 02:51:11

カブト虫の日々

テーマ:イージー・ゴーイング
デジタル書籍を読むという行為は、紙の書籍を読む行為とは、別のステージにあるような気がする。とりわけJacksは、2万4千ページもある1冊の本なので、最初から順番に読むというわけにはいかない。

検索機能のことは書いたが、夜眠る前に、iPhoneでなにか単語をひとつ検索してみる習慣がついた。今夜調べてみたのは、「カブトムシ」「カブト虫」である。今週はずっと山形で、学生達が時々カブトやクワガタを持って来てくれて、研究室に置いてあるプラスチックケースでしばらく飼ってみたりする。

「カブト」でヒットしたのはJacks全体で10箇所ぐらいである。そのうちのひとつを紹介しよう。今後も不定期に、エッセイや小説の一部分をここで紹介していこうと思う。



カブト虫の日々


 夏の思い出を、もうひとつ。いつだったかの夏の日、長野周辺を車で走っていたら、ガソリンスタンドにこんな看板が出ていたことがある。
〈満タン、カブト虫一匹差し上げます〉
 ぼくは思わずブレーキ・ペダルを踏み込んでしまった。ガソリンゲージをチェックしてみたが、残念ながら給油するほどガソリンは減ってはいなかった。
 それからしばらく走り赤信号で停止すると、国道ぞいの薬局にもこ“んな看板が出ている。
〈カブト、クワガタあります〉
 殺虫剤を売りながら虫も売るとは勝手な店だと思いながら、ちょっと覗いてみたい気になった。先を急いでいたのであきらめたのだが、カブト虫を手にしたら自分の少年時代がかえってくるような気がしたのだ。
 とにかく、ぼくはカブト虫が大好きで、大人になってからの夏がなにか物足りないと思っていたのだが、その原因はどう考えてもカブト虫にありそうだ。
 子供の頃、夏休みの課題は毎朝カブト虫をとりにいくことだった。朝、起きる。そして、自転車に乗り、誰よりも早くカブト虫をとりにいくのである。ひと足遅れると、誰かがやってきた後で、一匹もとれないということになってしまうのだ。カブト虫がいる林は子供達どうし、それぞれ秘密にしておいたものだ。
 いつだったか母親が、ぼくと弟に、ごく控え目にカブト虫のいる林を教えてくれないかと切り出したことがあった。いろいろお世話になっている近所の人が、こんなふうに言ったのだそうだ。
「息子がカブト虫のいる林の場所を教えて欲しいと言っているんですけれど、一ヵ所だけでかまわないから教えていただくわけにはいかないでしょうか……」
 ぼくと弟は、即座に、絶対にいやだ、と答えたものだった。カブト虫のいる林の場所はトップ・シークレットで、親戚の子供にだって教えたりしないのだ。
 母親は困ったようだったが、仕方がないとあきらめてくれた。
 ぼくと弟は、あちこちの林や森をくまなく歩き回り、カブト虫がいそうな林はかなり遠くの場所まであらかた知り尽くしていた。そして、カブト虫かクワガタ虫がとれたそれぞれの林には、秘密の名前をつけていた。
 ある日、雄のカブト虫が二匹とれた畑の横のクヌギの林は〈カブ2〉、クワガタが三匹とれた林は〈クワ3〉、といった具合である。赤い羽をしたカブト虫はよく飛ぶとされていて、特にアカバネと呼ばれていたが、アカバネが二度つづいてとれた場所が〈アカバネ〉である。
 そんなふうな名前のつけ方をしていたのだが、ある朝新しい森に分けいってみると、なんと数十匹のカブト虫とクワガタ虫をつかまえることができたのだった。ぼくらは狂喜し、だがなんという名前をつけたものか困ってしまった。
 そこで、こんな名前を思いついた。
〈KS地帯〉。
 ぼくがケンイチで、弟の名前はサトシといい、それぞれのイニシャルをとったわけだ。そのうち、脱脂綿に砂糖水をつけてクヌギの木につけておく、なんてこともやるようになった。クワガタが穴に“入ってしまった時は、一人がその場所で待っていて、もう一人のほうが急いで父親を呼びに帰る。穴に煙草の煙を吹き込むと、たまらなくなったクワガタ虫が出てくるのである。
 市販の虫籠では間に合わないので木材と金網で大きな籠を作り、それを青いペンキで塗った。子供にしては、たいそう立派な出来だった。
 たまにはカブト虫の短いほうの角に糸をつけ、ぐるぐる回して無理やり飛ばしたり、カブト虫とクワガタ虫を闘わせたりしたが、ぼくらはもっぱら、この余りにも雄々しく優雅で美しい昆虫をただ眺めていたものだ。カブト虫にしてもクワガタ虫にしても、それこそ何時間眺めていても少しも飽きないのだった。
 いちばん悲しかったのは、やはり虫籠の中のカブト虫が死んでしまうことだった。秋がくれば死ぬものとわかってはいても、彼らが少しずつ弱ってきて、やがて死んでしまうと言いようのない気持ちになった。ある時、ぼくと弟は相談して、新しくとってきたカブト虫は三日だけ虫籠に入れておいて、その後は林に返してやることに決めた。
 朝、三日前につかまえたカブト虫とクワガタ虫を虫籠に入れ、自転車で出かける。まず、いちばん誰にも見つかりそうにもない〈KS地帯〉に古いカブト虫達を逃がしてやり、それから新しいカブト虫をつかまえるのである。
 ぼくが中学に通うようになると、クラブの朝の練習があったりして、夏休みと言えどもそう毎日カブト虫ばかりとりにはいけなくなってしまった。
 弟は、一人で自転車で出かけていった。見る見るうちに、成績が落ちていった。手ぶらで帰ってくる日が多くなった。多い時でも、二、三匹といった具合だった。
 ぼくは、彼に言った。
「なんだよ、おまえ。一人じゃこれしかとれないわけ?」
「バカヤロー、にいちゃんは何も知らないくせして!」
 翌日、久し振りに弟といっしょにカブト虫とりに出かけ、ぼくは啞然としてしまった。〈カブ2〉も〈クワ3〉も〈アカバネ〉も、ブルドーザーでクヌギの木はなぎ倒され、赤茶けた土が剝き出しになってしまっていた。広々とした〈KS地帯〉も下草が刈り取られ、とてもカブト虫がいる感じではなかった。
 ぼくらは、カナブンとシロスジカミキリしかとることができなかった。カナブンやカミキリなんて、昔はカブト虫が多くてとる気にもならなかったのに、と思ったものだった。
 そんなふうに、カブト虫はあっという間に消えていってしまった。まったく、悪い夢を見ている気がしたものだ。
 今でも、ちょっと郊外に行くとクワガタ虫のほうは見つけることができるようだ。だが、カブト虫のほうはむずかしい。カブト虫の幼虫は、堆肥の中で成長するからだ。堆肥が使用されない現在、カブト虫の幼虫が成育する場所はほとんどないのである。仕方ないこととは言え、やはり淋しい気がする。
 そう言えば、つい二、三日前、ぼくは夢を見た。ぼくはどこかの大学の研究員で、ある薬草の採集に出かけるのだ。森の中を歩き回り、薬草を採集する。すると、その薬草の根元に、黒光りするカブト虫がいた。ああ、君達はこんなところに隠れていたのか、とぼくは思う。大丈夫、誰にも言いやしないから……ここで、そっと生き延びておくれ。そう、思うのだ。
「どうかしましたか?」
 同僚の女性研究員に声をかけられ、ぼくは努めて冷静に答えるのだ。
「いや、なんでもありません」
 あの夏の日のカブト虫達は、ほんとうに素敵だったと思う。そして、いくら懐かしいからと言え、デパートなんかで養殖されたカブト虫を買うような愚かなことは決してするまいと思う。
 なぜなら、今ではもう、三日後に彼を返しにいく林が存在しないのだから。

抜粋: “山川健一デジタル全集 Jacks”。 iBooks.
『いつもそばに仲間がいた』所収「カブト虫の日々」より
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016-07-27 03:23:27

ポケモンGO─現実世界と仮想空間が握手する場所を探して

テーマ:イージー・ゴーイング
数日前に、都内にある近所の公園に行って驚いた。いつもは老人と幼児達の憩いの場であるその場所に、お花見の時の10倍もの人達が集まっている。ポケモンGOのプレイヤーである。「これからずっとこうなのかしら。困ったわね…どうしたらいいのかしら」と話す若い母親の声が聞こえてきた。

確かに、一私企業の利益のために公共のインフラが無際限に利用されるのは問題だよなぁとぼくも思ったのであった。

まぁ、ぼくもその公園でストライクをゲットしたので、偉そうなことを言える立場にはないのだが。

ポケモンGOは、画期的なゲームである。現実世界と仮想空間が二重に存在しているのだ。「本物の虫や花がある草むらで、架空の生き物を探すなんて不毛だ」と言う人がいる。もっともな意見で反論の余地はなさそうだが、多くのプレイヤー達が現実ってものにうんざりしているからではないだろうか。

深刻な原発事故が進行中なのに、各地の原発の再稼働と憲法の改変を主張する安倍政権が権力を握りつづけている。何度選挙をやっても勝てそうにもない。メディアはとうの昔に責任を放棄している。ぼくだってうんざりしていて、そういう時なのだ、例えばストライクが輝きを放ち始めるのは。

それぞれの年代や立場によって社会の見え方は違うだろうが、ほとほと嫌気がさしているという気分だけは共通しているような気がする。

もちろん、後ろ向きな気分だけでゲームをやるわけではない。ぼくは本当にゲームが好きなので、その喜びと感動の大きさも知っているつもりだ。だからこそ、ポケモンGOと現実の社会が何とか折り合いをつける場所を探って欲しいと願わずにはいられない。つまり、ある程度の自主規制は必要だと思う。渋谷の今の状況は異常だと言うほかない。子供達を大切にする任天堂だからこそ、アメリカのその何とかという会社に苦言を呈して欲しいものだ。

最後に。ドラゴンクエストモンスターズスーパーライトの担当者の皆様へ。相当数がポケモンGOに流れているものと思われます。ここはひとつドッシリ構え、バハムートをプレイヤー全員に無料配布するぐらいの度量を見せて欲しいものです!

2016-07-23 01:51:47

渋谷の酒場で Jacks の検索機能に驚愕

テーマ:イージー・ゴーイング
今夜は、高校時代の友人達と渋谷で会食というか、飲んだ。映画とコマーシャルの仕事をしている追分史朗、古典芸能の仕事をしている安藤裕之、編集者の丸山繁とぼくの4人である。

久しぶりとも言えるが、実はこのメンバーで1カ月に一度は会うことになっていて、先月はお互いに忙しかったのでスキップしたのだが、今月はまた集まったというわけだ。

ぼくのデジタル全集Jacksの話になり、まだ誰もダウンロードしていなかったので、ぼくのiPhoneに入っているiBooks を見せてやった。検索機能が付いているということで、試しに「追分」で検索してみると、85冊の──ということはぼくが書いたすべての本を、たちどころに検索。「追分」が十個ぐらい出てくる。

「なんだよ! Jacks って小説だけじゃなくてエッセイも入っているわけか? これで俺の悪行が永久に記録されることになってしまったじゃないか…」と追分。

笑っている安藤と丸山に、ぼくが言った。

「申し訳ないけどさ、おまえら2人も他人事じゃないからな。家に帰ってJacks落として、こっそり検索してみたほうがいいよ」

「わ、わかった」と安藤と丸山。

それから4人で先頃行われた参院選と、鳥越俊太郎さんが不当なバッシングにあっている都知事選の話、福島の原発はいよいと本当にヤバいという話から、2020年以降の日本と世界はマジで悲惨なことになりそうだというような話をした。

石原莞爾、進化生物学者のジャレド・ダイアモンド、アナトール・フランスの話などから、「野性化された資本主義」はやがて「食糧戦争」に至るだろう──という結論に至った。

ぼくらは40年以上も前からそれぞれの立場でいろいろな話をしてきたわけだが、「今がいちばんヤバい」という見解で一致したのであった。

帰ってきて、1人でまた飲んでいる。

東京オリンピックどころの話ではないし、安倍自民党は絵空事で人々を騙すのはもうやめて、情報を公開すべきである。新聞やテレビの疲弊は甚だしいわけだが、メディア内部にいる人達が今なんとかしないと日本は後戻りできない坂道を転落していくことになるだろうとぼくは思います。


 
2016-07-19 00:45:05

63歳の誕生日を迎えてのご挨拶──感謝、感謝、感謝!

テーマ:イージー・ゴーイング
今日、63歳になりました。
作家デビュー、40周年ということになります。
本音を書きますが、今回の40周年記念のデジタル全集の刊行は、最初の単行本が出版された時以上に、喜びが大きいです。最初の本『壜の中のメッセージ』 が出版された時は、「俺の本なんか売れるのだろうか…」という不安もあったので。

今回の企画は、幻冬舎とアップルのコラボによって実現し、その中心にいたのは幻冬舎の担当編集者である設楽悠介氏です。企業というのは個人の集合体であり、幻冬舎やアップルという企業があっても設楽悠介氏という個人が存在しなければこの全集企画は成立しませんでした。そういう意味で、これまでの人生における最高の誕生日プレゼントをくれたのは設楽悠介氏なのだと思ってます。ほんとうにありがとう!

しかし、それ以前に、40年に及ぶぼくの作家活動を支え続けてくれた読者の皆さんの存在がなければ、今日のぼくは存在しません。心から感謝しています。ぼくがデビューした頃、設楽悠介氏はまだ幼稚園ぐらいなんじゃないかね? もうランドセルだったのかな。

「山川健一自身によるデジタル全集解説」 にも書きましたが、これらの作品は、ぼくが一人で書いたのではなかったのだと思ってます。ぼくらはきっと「共犯者」なのだと思います。いずれにせよ、ずっと幸福で幸運な人生を送ってきているなと皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ほんと。

Jacks をリリースしたという満足感のあまりサボらないように、新しい仕事もしないとなと思ってます。じつは今日、新しい書き下ろしの単行本の原稿をメールしたところです。評伝です。近藤勇? 坂本龍馬? いえいえ、現存の人物で、10月か11月には刊行される予定です。

『文芸ラジオ』の3号に小説を書けと、野上勇人副編集長が言ってくれています。最初は「少し休みたいぜ」と言っていたのですが、書くことにします。「ジーンリッチの復讐」 の続編の近未来物を書けという声や、「嵐」 の続編はどうなったのかという声、新境地である「兎」 の連作を読みたいなどいろいろな声がありますが、どういう内容になるのかは書き始めるまではぼく自身にもわかりません。いずれにせよ、ヤマケンの新作を書きます。

まあまあ、そう焦るなって! ぼくはまだ63歳でジャガー&リチャーズより10歳も若く、時間はまだたっぷりあるんだからさ! ぼくにも、そして、あなたにも。

{CD3AB312-FA22-40BF-8D7B-77E7A38EC7EF:01}


2016-07-16 00:32:12

東北芸術工科大学のサイトで Jacks が紹介されました。

テーマ:イージー・ゴーイング
「山川健一デジタル全集」刊行のニュースが、東北芸術工科大学のサイトのトップ で紹介されました。大学関係者の皆さん、ありがとうございました。

文芸学科では、学科長であるぼくのデジタル全集の刊行を機に、今年を「文芸学科デジタル元年」と位置づけ、年内に学科の学生や教員のデジタル書籍を「文芸ラジオbooks」というレーベルで刊行していく予定です。当初は5冊程度の刊行を予定しています。

旧アメーバブックスの友人達は「アメーバブックス立ち上げ前夜の編集長が帰ってきたみたいだ」と言い、バンド仲間は「1枚目のアルバムのリリース直前のケンさんみたいだ」と言ってくれてます。

メディアの皆様へ
取材ご希望の方は、下記へお問い合わせください。

東北芸術工科大学 法人企画室 広報
TEL:023-627-2246
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016-07-14 14:49:02

変革の精神の権化としての天皇

テーマ:イージー・ゴーイング
 批評家であり東北芸術工科大学の同僚である石川忠司がこの4月に出版したばかりの『吉田松陰 天皇の原像』の中の言葉がたった今、切っ先の鋭い刀のように光っている。近くにある研究室へ行ってぼくは言った。
「天皇の生前退位のニュース知ってるだろう? おまえの本をブログで引用したいんだけど」
「いいよ、任せる」とコーヒーをすすりながら彼は答えた。
 では、その重要な言葉を引用しよう。

<吉田松陰が絶対の「忠誠」を捧げた天皇は法とも統治とも無縁であった。そこから主権国家の「神話」とは別の地平に分化し、多大な犠牲者を出した尊王攘夷運動の果てに具現化した天皇とは、もともと日本の伝統には見られなかった「正統性」の暴力的・人工的な具現物、したがって正統性の誇示以外能のない純粋な「正統性」であって、担わされている機能は新たな政治の中心=統治の中心ではなく、あくまでも既成の政権に対して断固「否」を叩きつける反骨と否定性の塊だ。この天皇の本性とは、「お前は正統的な政権ではない」「お前は政権を担当してはならない」と告発し続ける変革の精神の権化に他ならない。
 幕末の動乱を生き抜いてきた明治政府の指導者たちが、日本の近代的な統治システムを包み込む枠組みとして天皇を選び、両者を接合したのも無理なかったろう。それを押し立てて彼らが幕府を崩壊させた当のシンボルこそまさに天皇だったのだから。こうして明治国家は変革のシンボルと統治のシンボルとの、互いに反発しあう二つのシンボルを戴いて出発することになった。>
石川忠司『吉田松陰 天皇の原像』(藝術学舎/幻冬舎)の中の「維新政権の二つのシンボル」より引用

「お前は正統的な政権ではない」「お前は政権を担当してはならない」と告発し続ける変革の精神──これを慧眼と言わずして何と言おう!

 ご存知のように、昨夜、凄いニュースが配信された。天皇陛下が生前退位の意向を示されたのである。すると、皇室典範改正をすることになる。皇室典範改正は国会において憲法改正に優先する事項なので、天皇陛下が生前退位するということは安倍の任期中、2018年まで憲法改正は出来きなくなることを意味する。これは事実上、天皇陛下によって安倍政権による改憲が阻止されたことになるのではないか。

 今上天皇は「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」との考え方を示し、護憲の立場であることが窺い知れる。ところが自民改憲案は「象徴」から「国家元首」にしようとしてるわけで、それにストップをかけようとしたとも受け取れる。

 ところが、である。
 宮内庁の山本信一郎次長は直ちに、天皇陛下が生前退位の意向を示されたことについて「そのような事実は一切ない」と否定したのである。

 宮内庁内部で、あるいは官僚機構の中で、政権中枢で、いま何が起きてる?
 おそらく「変革」が起きているのだ。石川忠司が言う、「お前は正統的な政権ではない」「お前は政権を担当してはならない」と告発し続ける変革の精神が、光を放ち始めているのかもしれない。

参考ページ
「生前退位の意志表明」は安倍政権と日本会議の改憲=戦前回帰に対する最後の抵抗だった!

吉田松陰 天皇の原像/幻冬舎

¥1,188
Amazon.co.jp



いいね!した人  |  リブログ(0)