日常を整える、ということに触れました。
参加者の方から、整え始めたという
報告をさっそくいただきましたよ。
自分らしく生きるとか、働くとか、
「雷に打たれるようにある日天命を知る」ようなことではなくて、
「生きるか死ぬかの冒険」でもなくて、
淡々とした日常の延長にあるなあ、と
最近しみじみ思います。
日常が心地よく整っていること。
・・・そんなことを考えていましたら、
糸井重里さんのこんな記事が。
糸井重里から働く人へ ちゃんとメシ食って、風呂入って、寝てる人にはかなわない
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でも、ひとつだけ言いたいことがあります。ちゃんとメシ食って、ちゃんと風呂に入って、ちゃんと寝てる人には、かなわない、ってことです。
ぼく自身散々無茶(むちゃ)もやってきたけど、40代になってから、そういう健全な人が目に入るようになりました。大人数で会議をすると、目立つタイプではないけれど穏やかで、話してみるとよく考えている人がいるんですよね。その人がチームにいるのは、皆がいてほしいからなんです。
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うんうん、そうだよなあ、とうなずきながら読みました。
寝食忘れて仕事に没頭していたこともあったし、
そうしなければ生きていけないのではないか!?という
切迫感もあったし、
仕事一辺倒が格好いい、と酔っている気持ちもあったのだけど、
ガーーーッと短距離走みたいなエネルギーの出し方で
仕事をするのは長続きしないし、消耗しますね。
花火を打ち上げることを目指すのではなく、
淡々と、ねばりづよく、
毎日の生活、毎日の仕事を積み上げていくこと。
淡々とした積み上げの良さを、見直している最近です。
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髪を切ったらせかせかした気持ちが落ち着いた。生活を整えることは、こころを整えること。
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