こんにちは
前回の記事では 私たちが・・・
この世界で 生きている ”最後の瞬間” まで・・・
”平穏の状態” を 維持し続けることが 重要であると 書きました。
しかし それを 実現するには・・・
並大抵のことでは 不可能にも 思われます。
それは なぜか? といえば・・・
私たちにとって 確実に訪れる ”死” に 直面する時・・・
そこでも ”平穏な状態” で ありつづけることが・・・
極めて 難しいと 考えられるからです。
そして その 主な原因とは 何か? といえば・・・
それは 私たちが そこまで ”築き上げてきたもの” が・・・
”死” によって ”自分の手から離れる”・・・
つまり ”離別” させられることが・・・
大変に ”惜しい” と 思うからでしょう。
そして ”離別” ということは・・・
“失う” という言葉と 同じ意味になります。
これが 私たちを ”激しく苦しめる” 大きな原因に なっているようです。
そこで 私たちは ”平穏の状態” を 維持することが できなくなるわけです。
そのことを あらかじめ 知ってしまうと・・・
私たちは ”死” という 言葉を 聞いただけで・・・
さらに ”死” が ”間近にやって来る” ことを 知っただけで・・・
私たちは ”死への恐怖” を 覚えることになります。
それは ”健全な人間” で あれば あるほど・・・
”普通” であると 考えられるわけです。
しかし その一方で・・・
”死を恐れない” ような人々が 存在します。
それは どういう人たちか? というと・・・
”自殺者” や ”テロリスト” などが 挙げられるわけです。
では なぜ ”死を恐れない” ように 思われるのか?・・・
それは その人たちにとっての ”目的” が 別にあるからです。
”自殺者” にとって 何が ”目的” になっているのか? といえば・・・
それは 自分自身を 現在 取り巻いている・・・
さまざまな ”苦しい状況” というものから・・・
一刻も 早く “脱出する” ことが 目的なのです。
それゆえに ”死” というものが・・・
自分にとって ”都合のいい手段” と 考えてしまうことで・・・
”死の恐怖” も 感じることが なくなっていると 考えられます。
さらに ”テロリスト” にとっての ”目的” というのは・・・
自分自身が 信仰している 思想や 宗教などに対しての・・・
“信仰の度合い” を ”死で表現” することが 目的なのです。
それで ”自爆テロ” のような “殺人行為” も・・・
“勇気ある行動” として 周囲の信仰者たちから ”賞賛” されるがゆえに・・・
”死の恐怖” も 感じないように 思われているのです。
つまり 人間とは “人生の目的” によっては・・・
”死の恐怖” も 感じなくなるようです。
しかし ”自殺者” や ”テロリスト” の ”人生観” において・・・
完全に ”欠落しているもの” が あるのです。
それが 前々回の記事で 詳しくご紹介した “ブッダの思想” なのです。
仏教の開祖であった ゴータマ・ブッダは・・・
生きとし生けるもの すべてを ”殺してはならない” と 説きました。
それは つまり ”自分自身” も 含まれるわけです。
そして その 理由とは・・・
そこには ”殺した縁(えん)” が 発生するからです。
人間は ”殺した縁” を 形成してしまうと・・・
”輪廻転生(りんねてんしょう)” の プロセスに 影響を与えることになり・・・
その結果 ”死後の世界” である ”来世” においても・・・
”殺した縁” によって 自分自身が ”支配される” ことになります。
それが 何を 意味するのか? といえば・・・
それは ”殺し合いの世界” に ”生まれ落ちる” ことが 確実になり・・・
まさに “地獄の苦しみの世界” に 生きることになるのです。
これが ”本来の仏教” における “地獄” であると 考えられます。
ブッダは ただ ”人間” として 生きていること だけでも・・・
“大きな苦しみ” であると 考えていたわけですが・・・
”来世” で ”殺し合いの世界” が ずっと 続いていることになれば・・・
もはや そこでは ブッダであっても ”救いようがない状態” とも 考えられます。
それゆえに 私たちは “ブッダの教え” を 知った以上・・・
自分自身を そのような世界に 導いてはならないことが わかって来るのです。
しかし 私たちが ここで 注目すべきことは・・・
人生における ”目的” 次第によっては・・・
”死の恐怖” も ”感じなくなる” ということです。
それゆえに 私たちが ”死の恐怖” を ”感じなくする” ための・・・
”正しい方法” も 知ることができるのです。
私たちが この世界で 懸命に ”平穏な状態” を 維持しようとしても・・・
そこには 確実に “限界” が あります。
それは “健全な人間” が ”死ぬという現実” に 直面するからです。
私たちは ”人間” という ”生物” であるがゆえに・・・
”必然的” に ”生と死” が 存在することになり・・・
最終的には ”死の現実” に 苦しむことになるのです。
そんな 厳しい 現実の中で・・・
今から 約2500年前に 説かれた ”ブッダの教え” というのは・・・
”生と死” そのものを ”なくしてしまう” ことを 目的にしています。
つまり 私たちが ”来世” 以降に・・・
”人間” や ”生物” に ”生まれ変わらない” ことを 目的にしているのです。
これまで “ブッダの教え” というのは・・・
”人間を否定する” ことが ”目的” であるかのように 考えられてきました。
しかし “ブッダの教え” を 深く 学んでゆくと・・・
それは 極めて ”一面的な考え方” に 過ぎないことが わかってきます。
その意味とは・・・
私たちが この ”宇宙全体” を 見てみれば・・・
”生まれる” ことも “死ぬ” ことも ないような・・・
”人間の次元” を 完全に ”超越” している・・・
まさに “異次元の存在” が あることを・・・
ブッダは 私たちに ”暗示” していることが わかってくるのです。
そして 私たちが “異次元の存在” に なることを・・・
人生における ”目的” に することができれば・・・
私たちは ”死の恐怖” も 完全になくすことが できるのです。
つまり 私たちが ”人間として生きる” ことを ”目的” に すれば・・・
”死の恐怖” に ”おびえ続ける” ことになります。
さらには 死ぬまで ずっと ”人間” に ”執着” していれば・・・
”来世” 以降も ”人間に生まれ変わる” だけで・・・
このまま ずっと ”死の恐怖” に ”おびえ続ける” ことを 繰り返すのです。
それゆえに ブッダは 人類に対して・・・
”死の恐怖” を 感じつづける ”悪循環” からの・・・
画期的な ”脱出方法” を その教えの中で 説いていたのです。
そして その ”脱出方法” というのが・・・
ブッダが 示した ”八正道(はっしょうどう)” の 実践なのであり・・・
それによって 私たちは この世界の “真理” を 知ることによって・・・
”死の恐怖” も ”感じなくなる” ことが 実現されることになると 考えられます。
つまり この世界での ”本当の勇者” というのは・・・
”テロリスト” のような “蛮勇者” ではなくて・・・
この世界での “真理” を ”知った者”・・・
つまり ”真理” に ”目覚めた者” としての “ブッダ” こそが・・・
”本当の勇者” と 呼ばれるに ふさわしいことが わかって来るのです。
それは 仏教の開祖の ゴータマ・ブッダ だけではなく・・・
私たち自身も ”ブッダの教え” を 実践することによって・・・
“真理” に ”目覚めた者(ブッダ)” に なることができ・・・
“本当の勇者” に なれることが できるのです。
そして “本当の勇者” こそが・・・
人間としての ”最大の苦しみ” と 考えられる・・・
”死の恐怖” も 完全に なくすことができると 考えられます。
それで 私たちは この人生での “最後の瞬間” まで・・・
”平穏な状態” を 維持することが 可能になり・・・
それによって ”涅槃寂静・ニルヴァーナ” が 実現されることになり・・・
私たちは “永遠の幸福” に 導かれると 考えられます。
皆様も ”ブッダの教え” を 実践されることで・・・
”死の恐怖” も 感じないような・・・
“本当の勇者” を 目指されてみては いかがでしょうか?
(※) 以下は ”人間の死” についての 過去記事を ご紹介します
”人間の死 とは? の 記事は こちらに
“自殺してはいけない 理由” の 記事は こちらに
”ブッダの教え 人間の死 とは?” の 記事は こちらに
“不死 の 意味とは?” の 記事は こちらに
そして ”ブッダの教え” の 実践法である・・・
”八正道(はっしょうどう)” の 内容は こちらからどうぞ
“真理 とは 何か?” の 記事は こちらです
前回の記事では 私たちが・・・
この世界で 生きている ”最後の瞬間” まで・・・
”平穏の状態” を 維持し続けることが 重要であると 書きました。
しかし それを 実現するには・・・
並大抵のことでは 不可能にも 思われます。
それは なぜか? といえば・・・
私たちにとって 確実に訪れる ”死” に 直面する時・・・
そこでも ”平穏な状態” で ありつづけることが・・・
極めて 難しいと 考えられるからです。
そして その 主な原因とは 何か? といえば・・・
それは 私たちが そこまで ”築き上げてきたもの” が・・・
”死” によって ”自分の手から離れる”・・・
つまり ”離別” させられることが・・・
大変に ”惜しい” と 思うからでしょう。
そして ”離別” ということは・・・
“失う” という言葉と 同じ意味になります。
これが 私たちを ”激しく苦しめる” 大きな原因に なっているようです。
そこで 私たちは ”平穏の状態” を 維持することが できなくなるわけです。
そのことを あらかじめ 知ってしまうと・・・
私たちは ”死” という 言葉を 聞いただけで・・・
さらに ”死” が ”間近にやって来る” ことを 知っただけで・・・
私たちは ”死への恐怖” を 覚えることになります。
それは ”健全な人間” で あれば あるほど・・・
”普通” であると 考えられるわけです。
しかし その一方で・・・
”死を恐れない” ような人々が 存在します。
それは どういう人たちか? というと・・・
”自殺者” や ”テロリスト” などが 挙げられるわけです。
では なぜ ”死を恐れない” ように 思われるのか?・・・
それは その人たちにとっての ”目的” が 別にあるからです。
”自殺者” にとって 何が ”目的” になっているのか? といえば・・・
それは 自分自身を 現在 取り巻いている・・・
さまざまな ”苦しい状況” というものから・・・
一刻も 早く “脱出する” ことが 目的なのです。
それゆえに ”死” というものが・・・
自分にとって ”都合のいい手段” と 考えてしまうことで・・・
”死の恐怖” も 感じることが なくなっていると 考えられます。
さらに ”テロリスト” にとっての ”目的” というのは・・・
自分自身が 信仰している 思想や 宗教などに対しての・・・
“信仰の度合い” を ”死で表現” することが 目的なのです。
それで ”自爆テロ” のような “殺人行為” も・・・
“勇気ある行動” として 周囲の信仰者たちから ”賞賛” されるがゆえに・・・
”死の恐怖” も 感じないように 思われているのです。
つまり 人間とは “人生の目的” によっては・・・
”死の恐怖” も 感じなくなるようです。
しかし ”自殺者” や ”テロリスト” の ”人生観” において・・・
完全に ”欠落しているもの” が あるのです。
それが 前々回の記事で 詳しくご紹介した “ブッダの思想” なのです。
仏教の開祖であった ゴータマ・ブッダは・・・
生きとし生けるもの すべてを ”殺してはならない” と 説きました。
それは つまり ”自分自身” も 含まれるわけです。
そして その 理由とは・・・
そこには ”殺した縁(えん)” が 発生するからです。
人間は ”殺した縁” を 形成してしまうと・・・
”輪廻転生(りんねてんしょう)” の プロセスに 影響を与えることになり・・・
その結果 ”死後の世界” である ”来世” においても・・・
”殺した縁” によって 自分自身が ”支配される” ことになります。
それが 何を 意味するのか? といえば・・・
それは ”殺し合いの世界” に ”生まれ落ちる” ことが 確実になり・・・
まさに “地獄の苦しみの世界” に 生きることになるのです。
これが ”本来の仏教” における “地獄” であると 考えられます。
ブッダは ただ ”人間” として 生きていること だけでも・・・
“大きな苦しみ” であると 考えていたわけですが・・・
”来世” で ”殺し合いの世界” が ずっと 続いていることになれば・・・
もはや そこでは ブッダであっても ”救いようがない状態” とも 考えられます。
それゆえに 私たちは “ブッダの教え” を 知った以上・・・
自分自身を そのような世界に 導いてはならないことが わかって来るのです。
しかし 私たちが ここで 注目すべきことは・・・
人生における ”目的” 次第によっては・・・
”死の恐怖” も ”感じなくなる” ということです。
それゆえに 私たちが ”死の恐怖” を ”感じなくする” ための・・・
”正しい方法” も 知ることができるのです。
私たちが この世界で 懸命に ”平穏な状態” を 維持しようとしても・・・
そこには 確実に “限界” が あります。
それは “健全な人間” が ”死ぬという現実” に 直面するからです。
私たちは ”人間” という ”生物” であるがゆえに・・・
”必然的” に ”生と死” が 存在することになり・・・
最終的には ”死の現実” に 苦しむことになるのです。
そんな 厳しい 現実の中で・・・
今から 約2500年前に 説かれた ”ブッダの教え” というのは・・・
”生と死” そのものを ”なくしてしまう” ことを 目的にしています。
つまり 私たちが ”来世” 以降に・・・
”人間” や ”生物” に ”生まれ変わらない” ことを 目的にしているのです。
これまで “ブッダの教え” というのは・・・
”人間を否定する” ことが ”目的” であるかのように 考えられてきました。
しかし “ブッダの教え” を 深く 学んでゆくと・・・
それは 極めて ”一面的な考え方” に 過ぎないことが わかってきます。
その意味とは・・・
私たちが この ”宇宙全体” を 見てみれば・・・
”生まれる” ことも “死ぬ” ことも ないような・・・
”人間の次元” を 完全に ”超越” している・・・
まさに “異次元の存在” が あることを・・・
ブッダは 私たちに ”暗示” していることが わかってくるのです。
そして 私たちが “異次元の存在” に なることを・・・
人生における ”目的” に することができれば・・・
私たちは ”死の恐怖” も 完全になくすことが できるのです。
つまり 私たちが ”人間として生きる” ことを ”目的” に すれば・・・
”死の恐怖” に ”おびえ続ける” ことになります。
さらには 死ぬまで ずっと ”人間” に ”執着” していれば・・・
”来世” 以降も ”人間に生まれ変わる” だけで・・・
このまま ずっと ”死の恐怖” に ”おびえ続ける” ことを 繰り返すのです。
それゆえに ブッダは 人類に対して・・・
”死の恐怖” を 感じつづける ”悪循環” からの・・・
画期的な ”脱出方法” を その教えの中で 説いていたのです。
そして その ”脱出方法” というのが・・・
ブッダが 示した ”八正道(はっしょうどう)” の 実践なのであり・・・
それによって 私たちは この世界の “真理” を 知ることによって・・・
”死の恐怖” も ”感じなくなる” ことが 実現されることになると 考えられます。
つまり この世界での ”本当の勇者” というのは・・・
”テロリスト” のような “蛮勇者” ではなくて・・・
この世界での “真理” を ”知った者”・・・
つまり ”真理” に ”目覚めた者” としての “ブッダ” こそが・・・
”本当の勇者” と 呼ばれるに ふさわしいことが わかって来るのです。
それは 仏教の開祖の ゴータマ・ブッダ だけではなく・・・
私たち自身も ”ブッダの教え” を 実践することによって・・・
“真理” に ”目覚めた者(ブッダ)” に なることができ・・・
“本当の勇者” に なれることが できるのです。
そして “本当の勇者” こそが・・・
人間としての ”最大の苦しみ” と 考えられる・・・
”死の恐怖” も 完全に なくすことができると 考えられます。
それで 私たちは この人生での “最後の瞬間” まで・・・
”平穏な状態” を 維持することが 可能になり・・・
それによって ”涅槃寂静・ニルヴァーナ” が 実現されることになり・・・
私たちは “永遠の幸福” に 導かれると 考えられます。
皆様も ”ブッダの教え” を 実践されることで・・・
”死の恐怖” も 感じないような・・・
“本当の勇者” を 目指されてみては いかがでしょうか?
(※) 以下は ”人間の死” についての 過去記事を ご紹介します
”人間の死 とは? の 記事は こちらに
“自殺してはいけない 理由” の 記事は こちらに
”ブッダの教え 人間の死 とは?” の 記事は こちらに
“不死 の 意味とは?” の 記事は こちらに
そして ”ブッダの教え” の 実践法である・・・
”八正道(はっしょうどう)” の 内容は こちらからどうぞ
“真理 とは 何か?” の 記事は こちらです