何もしてない?何かしてる?1/2 | りおみーのブログ ニュースとお笑い芸人に不毛な突っ込み

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主にお笑いのネタに関して、時々ニュースに関して、「これってどういう事?」をロジカルに分析してます。

黙ってみるのも1つの手!

□□□□□□はじめに□□□□□□

演技や笑いで一番大事な事って何でしょう???


答えは……「間」です。

……等と偉そうに言ってみたところで、

演技における「間」が何なのか、
どういう「間」が正解なのか、
全く解りません。

笑いの「間」に関しても、
芸人さんが時々口にする「間」という言葉の正確な定義は知りません。

ここでは「間」を、

「笑いを意図した『作為』と『作為』の間隙に存在する『不作為』」

…と捉えます。

まぁ、簡単に言うと、
セリフとセリフの間の「沈黙」
動作と動作の間の「動作の停留」の事、、、
つまり何もしない事ですね。

「間」をそう捉えたとしても、
その効果の面では、
「間」がある方がいい場合も、
「間」が無い方がいい場合もあるでしょうし、
「間」が短い方がいい場合も、
「間」が長い方がいい場合もあるでしょう。

一応ここでは、
ある程度の長さの「間」がある場合について、
その効果、役割について考えてみます。

□□□□□□事例1□□□□□□

まずは、過去記事で言及した話から・・・

このブログで、アメリカのスタンダップコメディーの「間」について触れた事があります。

スタンダップコメディーにある「間」、、、

何の事か解ります?


スタンダップコメディーでは、
話者がまくしたて、おかしな事を言った後、
不自然な「間」を空けますよね。

観客の顔を見渡したり、肩をすくめたりする事もあるので、
完全な不作為とは限りませんが、

意味のある発言の後に、
言葉の無い「沈黙」という「間」がありますね。

この「間」、何ですかね?


これって明らかに、
「わざわざ説明しないけど、ここ笑うところだよ。」
って教える役割ですよね。

つまり、
笑ってほしいズレが提示されてるという事をほのめかす、
「ズレの存在の指摘」でしょう。


日本の漫才を考えて下さい。

その役割を担うのは「突っ込み」です。

「突っ込み」には色々な効果がありますが、
最低限の突っ込み「何でやねん!」一言でも、
「今おかしな事言った」という事実を表面化させる、
「ズレの存在の指摘」の役割があるでしょう。

その結果として、
落差を感受させ、
笑いが起きやすくする効果が期待できます。

それに対して、
アメリカのスタンダップコメディーには、
「突っ込み」はありません。

確かに、笑いを作るのに「突っ込み」が不可欠な訳ではありませんが、

それでも、より確実に笑いを取りたいじゃないですか……

最低限の突っ込み「何でやねん!」と同じような役割を果たすものがある方が心強い……

……それが「間」という事ですよね。


つまり、スタンダップコメディーにおける「間」は、
突っ込みの代替物としての役割を担っている訳ですね。

□□□□□□事例2□□□□□□

続いても、以前書いた話ですが、

ムーディ勝山さんの「右から来たものを左へ受け流すの歌」でも、
「間」に関して触れました。

登場してすぐのセリフ、
「ミュージックスタート!
(間)……
(口で)チャラチャッチャッチャラッチャー♪」の部分。

この「……(間)……」は何でしょう?


ここに成り立つ笑いは、

< 基準 >:カラオケでイントロが流れるのかと思ったら
< ズレ >:自分の声でイントロを歌う
<ツッコミ>:「歌うんかい!」「オケ無いんかい!」

という、「思い込みの間違い」の切り口の笑いです。

「ミュージックスタート!」が、直接の「前振り=基準の設定」

当然カラオケが鳴るだろうと「思い込ませる」役割です。

・「(口で)チャラチャッチャッチャラッチャー♪」「落ち=ズレの生成」です。

「間違い」に気付かせて笑わせる。

・そして、その2つの間にある、
沈黙の時間、「……(間)……」の役割が何かと言うと、

「カラオケが鳴るだろう」という期待を育む、
「期待感(思い込み)の醸成」です。

「カラオケが鳴る」と思い込んでいると、
この沈黙、不作為は、
カラオケが鳴るのを待っているのだと想像できるので、
より一層その期待感は強くなります。

その期待感が大きい程、
「思い込みの間違い」の笑いの落差が大きくなります。

つまり、「落差拡大策」な訳ですね。

□□□□□□事例2補足□□□□□□

実際ネットで見た過去の映像でも、
「…(間)…」の部分を強調していました。

もちろん、それが正解です。

……なんですが、

……ブームが去った数年後の別の動画でも「…(間)…」の部分を強調していました。

……が、それは駄々滑り。(-_-;)

繰り返しますが、このネタの「間」は、
「思い込みの間違い」の笑いの「期待感(思い込み)の醸成」。

ところが、みんな何が起こるかを知っている状況では、
「思い込みの間違い」の笑いは存在しない事になりますよね。

つまり、「間」が醸成する「期待感」は、裏切られなければいけないのに、
予想通りの落ちでは、裏切られていない訳ですから。

「間」が、その役割を果たしていない。


この「思い込みの間違い」の笑いって、初見でしか成り立たない様にも思えます。

正確な表現は覚えていないのですが、
昔読んだ本によると、
心理学的には、
一度獲得した観念は数回程度の体験で修正されるものではないそうです。

回数を重ねて、やがて修正されていく。

ただ、笑いにおける「思い込み」に関しても当てはまるかどうかは解りません。

当てはまるとすれば、
「思い込みの間違い」の笑いも、
初見だけしか受けない訳ではなく、
受ける期間=ブームはしばらく続くけど、
やがて終息するって事ですよね。

厳しい世界ですね。(T-T)


何れにしても、「右から来たものを左へ受け流すの歌」における、
「ミュージックスタート。
(間)……
(口で)チャラチャッチャッチャラッチャー」
の「……(間)……」は、
「期待感(思い込み)の醸成」の役割です。

□□□□□□続く…□□□□□□

上記2例で見たように、
「何も言わない」という意味では全く同じ「間」という不作為も、
それぞれ笑いを作り出す為の役割があり、
それが何処にあるかによって、その役割は異なるという事が解りますよね。

他の例も検討してみましょう。

次号に続く。。。




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