シリア難民と日本の「国民受忍論」 | 追憶の骨 (bones)

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音楽や映像だけでは残せない、あの時の僕たち。


(ギリシャ-マケドニア国境を超える難民たち GlobalPost 9月1日)


シリアからの難民が欧州各国に押し寄せている。

小さな男の子の死体が海岸に打ち上げられている画像、日本でも報道されていたので、ご存知の方も多いだろう。まさに「一枚の写真」が多くの人々関心を呼び、EU全体で難民を受け入れよういう流れが始まっている。

しかし、これらの報道は一面的だ。

シリアからの難民は最近始まった事ではない。




この問題の根源はイラク戦争にある。

日本のマスコミはこの事実に言及しない。「日本政府がこの戦争に加担した」という都合の悪い過去に触れないようにしているからだ。

あれだけの戦争があって、多くの一般住民たちはどうしてたのか?

どこで何人がどう生きていて、誰に何人がどう殺されたのか?

もう10数年戦争状態が続いていて、今回の難民騒ぎはその一端に過ぎない。昨年の夏は「イスラム国」が現れ、秋には有志連合が発足し空爆を開始した。報道されなくなっただけで、今も空爆は続いている。


(荷台の中で難民71名の死体が発見されたトラック)


ドイツ、イギリス、フランスが難民の受け入れに動き出した。オーストラリアでもその動きがある。今後もEUを中心に受け入れ制度が議論される見通しだ。

「アメリカは…??」

アメリカは以前から移民受入国、いずれ何がしかの対応が発表されるだろう。戦争責任を考えれば、これは当然の事だ。

他にも、ロシアはシリアのアサド政権を支持する立場、中国は同じイスラム圏の新疆ウイグル地区の治安悪化問題、中東の隣国には民族間対立や人権問題など、各国それぞれ簡単に進まない状況がある。


(国連総会で演説する安倍晋三 2014年9月25日)


「日本はどうなの…??」

難民の受け入れは国連加盟国の「約束」である。ところが日本はそれを一切無視した「難民受入後進国」だ。年間の受入数は10人程度、先進国としては有り得ない状況にある。

それだけでなく、難民申請中の外国人への扱いも酷く、人権無視状態が今も平然と続いている。ところが日本がそんな国であることを知る人は多くない。難民受入はこの国の「闇」のひとつになっている。


(海を渡る難民たち BBC 8月30日)

「恥ずかしい総理大臣」

安倍晋三が海外で演説するたびに、僕はそう思ってきた。

戦争が起これば、その被害を被るのは普通に生活をしているだけの一般市民だ。生命を奪われ、家を焼かれ、食料も途絶し、非人道的行為が蔓延していく。怒りに狂ってテロリストになる者、ありったけの財産を持って難民になる者、そして移動もできず苦境に身を埋める者。

国連が難民受入を「約束」としているのは、「一般市民の生きる権利」を加盟国全体で負うことが、戦争の抑止なるからではないか。1国の戦争が、多くの国々の負担につながるからだ。

しかし、日本政府はそれさえやらない。

これはもちろん「国民に対する戦争責任」を隠蔽しようという考え方に通底している。戦争の災禍は一般市民が受任すべき、それが日本政府の基本姿勢だからだ。それが移民受入に表れている。

国民を殺しても一切責任を負わない日本政府。

こんな恥ずかしい国ないだろう。


<おわり>